新聞社で言論の自由がない

ちょっと物騒なタイトルをつけてしまいました。言論の自由を標榜している新聞社で、言論の自由がないなんて? 私自身、そんなことあるはずがないと思ってきました。私は新聞記者になって28年。言論の自由はもう空気みたいなものだと思ってきました。

きっかけは2017年12月、朝日新聞が1面トップで「内密出産導入を検討」という記事を出されたことです。熊本市で赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を運営している病院が、匿名で出産をする制度の導入を検討していると書かれていました。「朝日にこんな記事が出ている」とデスクから電話を受け、一瞬、「抜かれた」と思いました。しかし、記事を読むと疑問が次々にわきました。

出産費用はだれが負担するのか。戸籍法では出生届を「出さなければならない」とされているが、どうするのか。生まれた子どもの戸籍はどうなるのか。子どもの出自を知る権利は保障されるのか。

記事を読んでも私の疑問に対する答えは見つかりませんでした。「追いかけるかどうかは冷静に判断すべきだ」と訴えましたが、結局、ほかの記者が取材して朝日新聞と同じように「孤立した女性を守る」みたいなトーンで記事が出ました。

「社内でも報道の自由はあるはずだ」と考え、私は内密出産を検討しているという医師にインタビューを申し込み、受けていただきました。この内容は拙著『赤ちゃんポストの真実』(小学館)に詳しく書きましたが、最も印象に残ったのは医師が「(報道を)お膳立てした」「これは作戦」と述べたことです。

私は「お膳立て」が全国紙の1面トップになったことに驚愕しました。私は医師との一問一答をそのまま記事にしようと思いました。論評は加えず、そのまま書いて、判断は読者に任せようと思ったのです。インタビューの内容は許可を得て録音していました。しかしー。

「載せられない」とデスクに言われました。理由は「読者が混乱する」。内密出産を「いい話」として出したのに、「こんな問題もある」「あんな問題もある」と書くのは先の報道(自分が通した記事)を否定してしまうと考えたのでしょう。私は納得できませんでした。今も納得していません。当時、人事異動の内示が控えていたため、「上司が代ったら再び原稿を出そう」と考えていました。

ところが、異動したのは私でした。18年3月のことです。現場から離れ、内勤となりました。

もやもやを抱えたまま新しい部署で仕事を始めましたが、翌月、私にとって転機となる出来事がありました。財務事務次官によるセクハラ疑惑報道です。被害に遭った女性記者が「自社で報道できなかったため、週刊誌に持ち込んだ」とのことでした。この記者の「諦めない姿勢」にハッとしました。

たった一人でも書こう。本を書こう。そう決意しました。本にする原稿用紙の枚数は何枚くらいだろうと思って検索したところ、「小学館ノンフィクション大賞」の募集要項がたまたまヒットしました。これだ!と思いました。18年5月のことです。締め切りを見たら「8月末」とあります。あと3カ月しかない!

業務時間を使う訳にはいきません。業務を終えて自宅に帰れば小学生の子ども2人がいます。執筆の時間が取れない・・・。そう思っていると、不思議と午前4時半とか5時とかに目覚めてしまいます。早朝の1~2時間を執筆の時間に充てました。

一気に書き上げ、当時の編集局長に「応募したい」と言うと、「いいよ」との返事をいただきました。応募した結果、最終選考に残してもらいました。大賞は逃しましたが、出版へ向けた話が進みました。編集局長には逐一報告していたのですが、ある日呼び出されてこんなやりとりをしました。

局長「どういう経緯なのか、聞いておこうと思って」

私「私は取材を続けたいと思っていましたが、異動して書けなくなったからです」

局長「あんたが書いていることは社論と違うという声があるんだよ」

私「社論って何ですか」

局長「うーん、ない」

私「ちょっと待ってください。『ない』のにそれと違うってどういうことですか。説明してください」

局長「あんたには批判があるんだよ」

私「私が書いていることの何がどういけないという批判ですか」

局長「とにかく批判されている」

私「批判されていればその人が悪いと思われるのですか。私に対する批判は『これまで書いてきたことと違う』からです。違って何がいけないのですか。批判されるから書かないということはできないと思います。社論と言われましたが、社説で書いたことと違うことを書くなというなら、言論統制であって新聞社が最もやってはいけないことです」

この後、「出版を認めない」と言い渡されました。すでに書いた通りです。当時の局長からは複数回にわたって「あんたは子育てしてみんなに世話になっているのに、なぜ同僚に対する批判的なことを書くのか」と責められました。「批判をしているつもりはありませんが、どんなところが批判的だと思われたのですか」と聞いたところ、「それはあんたが書いているから分かっているでしょう」と言われ、「分かりません」と答えました。私が子育てをしていることと本の出版は何の関係もありません。パワハラ発言だと思います。この発言があったとき、編集幹部や私の上司など3人同席していましたが、3人とも黙っていました。

このやり取りの後、私は再び異動し、今度は夜勤部署に配属となりました。小学生2人の子育てをしている記者を、本人が希望していないのに夜勤部署に異動させるのはパワハラです。私は人事に「パワハラだ」と訴えました。当時の人事担当者は「どうしてここまでもめるんだろう。よかったら原稿見せてもらっていい?」と聞くので、原稿を渡しました。すると、「すごくよく取材しているね。本は出すべきだと思うよ。こんな話、うちの紙面で書いてほしかったなあ」と言いました。私は「うちの紙面で書きたかったけれど、異動したから書けなくなりました」と答えました。

そんな人事の対応が一変しました。病院の医師に手紙を出し、本を出すことを伝えたところ、「本を前提とした取材は受けていない。本を出せば、本に対する批判会見をする」というメールが届きました。これに人事が慌て、「もう一度、先生に取材に行ってよ。ちゃんと説明して理解してもらって」「記者会見開かれたらうちの看板に傷がつくじゃないか」と迫られました。医師には編集担当者と一緒に説明に行きますと伝えましたが、「コロナが心配なので東京の方に来てほしくない」とのことで断られました。

出版後、会見は開かれました。報道各社が集まったようですが、実際に報道されたのは文春オンラインのみです。これを読んで、私が驚いたのは次の3点です。「私についての批判を書くのに、私に取材されていない」「預けられた人数が150人となっているが、実際はこの段階では155人」「医師は会見の目的を報道のけん制と述べていること」です。

まず1点目、本を出す以上、批判は覚悟の上ですが、批判を取材して書く以上、当人に取材して言い分を聞くのは最低限必要だと思います。2点目、病院に取材して人数を書いたのでしょうが、預けられた人数について病院が正確に把握していないとしたら大変なことだと思います。子ども一人一人の人生と命がかかっています。「記憶違いでした」では済まされません。3点目、報道は自由であり、権力からけん制はされないと思っていましたが、そのまま伝えるだけで、自由だと言わないのって、どうなんだろう・・・。

本を出す以上、批判は覚悟の上なのですが、社内外からの圧力と攻撃を受け、疲れ果て、私は心療内科で診断書をもらい、1カ月休職しました。その後復職しましたが、人事の人を見ると激しい動悸がするようになりました。人事の人を見て動悸がするような会社に今後もいるのか、正直悩んでいます。

そんな中、朝日新聞の若い記者が上層部批判のツイッターを残して自殺したというニュースがありました。上層部とぶつかって悩んでいるのはほかにもいるのではないだろうか。崩壊していくジャーナリズムに絶望し、その職を離れ、人生をも絶とうとしている人がほかにもいるのではないだろうか。そんな思いで、発信していこうと思いました。

「あなたは一人ではない」

悩む記者の方々にそう伝えたいです。

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