自分を信じて老いていけているかも、と思えた、13年目デザイナーのはなし。
どうも、旗振りデザイナーのしのこです。
デザイナー歴13年目。
ひよっことベテランの中間世代ですが、
細々とフリーランスとして働いています。
最近はもっぱら年次の若い方と
お話する機会が増えたのですが、
「この子たちのおかげで、
自分を信じて老いていけてる」と感じました。
そして、そんな自分を
少し誇らしく思えたりもしています。
ん、ちょっとまって。
「老いていけてる」って、どういうこと?
今日はそんなお話です。
ちゃんと老いた、とは?
自分の中で、
「割と道から外れ過ぎない形で」
年齢をを重ねられていて、
加齢とともに予想していた
「自分の思想の変化」にも
気づけていると認識できたから。
大丈夫、今はわからなくても
少しずつ解説しますのでちょっとお待ちを。
デザイナーという職種を見つけたのは20年前。
いま考えると「もうそんな経っちゃったの…?」
と、年齢をうっすら感じ始めちゃいますね。
当時、第一線で活躍されている方々は
もちろんいますが、
わたしの周りにデザイナーを目指す
若者は、ほぼいませんでした。
デジタル化が広まりつつありながらも、
今ほどの評価や必要性の高まりは感じられず。
一億総クリエイター世代と呼ばれる前だったから、
「クリエイター業」は「特別な才能が必要」
だと思われていたかもしれません。
少なくとも現代よりは、
マイナーな職業のWebデザイナー。
そんなものになるために
わざわざお金をかけることに、
わたしの両親は猛反対でした。
当時も「堅実な職業に」と念押しされました。
ただ、わたしはこの道を決めた
18歳ごろから、ぼんやりと思っていたのが
「一般的なスキルや能力がないから、
好きなことで生きていかないといけない」。
あまりポジティブではない、
未来の見方かもしれません。
ただ、当時のわたしは本当にポンコツで
主に接客バイトをしていましたが、
いつも周りの足を引っ張って
いたように思います。
そんな存在だったので自然と萎縮してしまい、
周りともうまくコミュニケーションがとれず、
正直楽しかった青春時代を
送れていたわけではありませんでした。
ただ今までの自分の生き方、
物の選び方、目指した方向を考えると、
今の自分が生きていくためには
「興味のある技術」と
「飽くなき好奇心」を生活に取り入れ、
ガムシャラに生きるしかない。
そういった考えに至ったわけです。
ダメだからこそ、
自分が生きれるかもしれない道を、
やっと見つけた活路に飛びついていく。
デザイナーを目指すのは
それなりの覚悟か必要でしたが、
その方針は変えずに、
デザイナーへの学習をすすめました。
自分が「まだマシに生きれる場所」
を探すヒントとして
わたしが大切にしていたのは
やりたいこと
やれたこと
世間に需要のあること
この3つがマッチした世界線を見つけ、
全力投球していくことでした。
自分の将来がなんとなく見えづらい…
どんな基準で考えたらいいのかわからない…
そんな時、自分のがむしゃらな意識とは別に、
「世間の需要」と
「現時点での自分の能力値」を秤にかけて
ある程度の分野や職種をしぼっていくのも、
考え方の一つとしては有用です。
今思うと、割と悪くない
判断だったなと思います。
大手に入社できるほどの学歴もなければ
興味もなく、
好きなものにしか集中できず、
惰性的に時間を過ごすのも
苦手なわたしにとって、
デザインはいくら考えても
答えが尽きない世界でした。
ただ、それだけでは大人にはなれません。
いろんな先輩や上司、大人と関わることで
自分の幼さ、無知さ、そして愚かさを痛感し、
いろんな人に迷惑をかけながらも、
「恥をかきながら生きていく」
ことを覚えました。
自分が歩いてきた道を後輩が歩く姿を見て、
ようやく第三者として、
当時の自分を俯瞰することができます。
彼らを見て、
仕事や考え方を教えることで、
わたし自身もまた、
「こんな風に問題に
向き合ったら良かったんだ」と
学びに気づいたりもします。
そんな積み重ねを経て約13年。
ふと思ったことは、
「今、この子に必要な話はこんな内容だ」
「逆にこの話は
今のタイミングではないかもしれない」
と、無意識に判断している自分の存在でした。
すごく、驚きました。
たくさんの経験を積ませてもらい、
人と関わり、自分が変容していく中で、
自分も誰かにまた、
変化を与えられる存在になりつつあること。
またその内容に、納得がいっていることです。
他人へのアドバイスに正解はありません。
ましてや、年齢や経験値の違う相手に対し、
どんな言葉をかければ良い効果をもたらせるかなど
答えは教科書にはありません。
ただ、それが今できていると実感できるのは
それだけの関わりが土壌なんだろうな、
と思います。
わたしの経験、選んだ道は、
少なくともわたしを
救っていたのかもしれない。
そんな、なかなか目には
見えづらいことではありますが、
そんなことを感じた今日なのでした。