文学賞パラドックス

 文学賞パラドックスという有名な言葉がある。
 一応説明する。昔の文豪と言われる人たちが現代に突如生き返って、ある文学賞に応募する。でも誰も受からないという矛盾である。
 一時期知的な遊びみたいな扱われ方をしていたことがあって、解釈は人によりちょっとずつ変わっている。
 たとえば大審問官の例を取るまでもなく、今の時代と考え方や精神性が合わないだろうとか、またスマホは当然として、今の社会をとらえて描くのは相当時間がかかるだろうとか。もちろん文章や単純に言葉の問題もある。
 いずれにせよ、そのパラドックスの前では、彼ら文豪はどうあっても新人作家になれないようだ。
 ちょっと角度が違う見方もある。
 彼らは生まれ変わったら小説なんて発表しないだろうというものだ。
 転生小説よろしく彼らは幼くして頭角を現し、やがて国家や社会や組織を代表する大人になる。
 前世の自分の作品に出会うこともあるだろう。しかし続きなんて誰も待っていない。
 それより今は、ゲームもスマホも、車も飛行機もロケットだって、とにかくなんでもある。カラマーゾフや明暗の続きだってある。
 誰が小説など書くものか。

 しかしこれに端を発する実験が世界的な問題にまで発展して物議を呼んだ。
 ある研究機関が文学賞パラドックスを実際に行ったのだ。
 もちろんクローンを使って。
 機関の発足は19世紀、産業革命の頃だというから相当古い。日本なんて江戸時代である。
 彼らは作家のみならず、有名人や天才と呼ばれる人たちの訃報を聞くとその新鮮な細胞を極秘裏に取りに行き、保存していた。
 当時の目的は分からない。しかし時代が進み、クローン技術に彼らは目をつけたわけだ。色々な目的を持って、天才たちを私的に再生させるようになったらしい。
 そんな彼らが何故文学賞パラドックスを再現しようとしたのかは分からない。
 クローンにオリジナルの記憶は本当にないのか、みたいな仮説を証明しようとしたのかも知れない。
 その仮説の答えを述べるなら、そんなのはもちろんない。
 新たに生まれた彼らは言葉すら喋れないのだから。

 何故それが明るみになったのか。
 ある文学賞に送られてきた百編ほどの小説、その一つ一つが文学史を塗り替えるような革新に満ちた途轍もない代物だったからだ。
 100人の投稿者はいずれも賞を得ることはなかった。しかしすべての作品は本になった。多くの作家、表現者がそのあとに続くようになる。やがて彼らの名を冠した賞が創られ今にいたる。文学賞パラドックスという言葉を使う人はもういない。


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