#家族の物語

 朝食を食べに台所へ向かうと女がいた。

 そういえば今日からだったっけな。


 地下アイドルをしていたのは聞いていた。その後大手の芸能事務所でメジャーデビューをしたことも。

 そこが彼女のピークだった。

 雑誌か何かのカメラマンと恋に落ち、ファンに見つかりグループを離脱。

 ドラマや舞台のオーディションを受け、通ったことはない。

 とうとう家賃を払うこともできず、携帯も大丈夫かという段になったとき、私の家に転がりこんできた。

 金髪のショート。
 ショートパンツにタンクトップ。
 片足を座面に乗せ、昨日の残りを食べている。

 ご飯は固くてボロボロだし、肉じゃがは白く固まっている。
 柔軟剤みたいな彼女の香りだけが部屋に立ち込めている。

 家主として何かビシッと言っておいた方がいいのではないか。

 面倒くさい。

 言い合いになって出て行かれるのも困る。お金をもらっているから。
 何も話さず、このままずっとそうしていられたらいいのに。
 私も朝食にとりかかる。ずっと初対面でいいのに。


 一週間が経った。
 我々は一言も口をきかなかった。
 すごい。
 なんか、ギネスとかに載れやしないだろうか。
 
 一軒屋。一つ余った部屋を彼女に与えた。

 我々は基本部屋にいる。
 私は小説を書き、彼女は何をしているのか分からない。

 作り置きを冷蔵庫に入れておく。
 彼女はあまり食べない。冷たくても平気。菓子の減りだけ尋常ではない。
 夜から早朝まで起きている。


 初めて口をきいたのは、その翌日だった。


 朝いつも通り台所に行くと、彼女がいた。
ここが唯一の我々の接点だ。
 箸を片手にコピー用紙の束を読んでいた。

 しまったと思ったがあまりにも遅い。
 私の書いたものだ。

 昨日米を研いで、そのまま置きっぱなしにしたらしい。

 彼女は読むことをやめない。

 なんだろう、それほど面白いのか?

「ごちそうさま」

 何事もなかったみたいにそう言って、食器を下げプイと行ってしまう。


 私たちはそれっきり口をきくことはなかった。三か月。

 しかし変化はあった。
 彼女がオーディションに受かり出した。

 私はそれを彼女の母親から大げさな口ぶりとともに聞かされた。


「演技は今までどおり下手なんだけどね」

 そしてどうも、立役者は私ということになっている。


 はて。


「ドラマ、おめでとう」
「うん」
「聞いたんだけど、私が何かしたとか」
「…」
「言いたくないならいいけど」
「…小説」

 しばらくしてそう切り出す。

「あれを見てね」
「うん」
「すごく、面白くなかった」

 ああと私は言った。

「みんな仲良くならないでしょ。なんで?」
 私は黙っている。
「なんだか全部裏切られるわけ」
 わざとそういう風に書いている。
「それを見たとき、私もそういうことしてたって、思い当たった」
「え?」
「それが私のキャラ、みたいな」


 気づいた彼女は自分のそういうところをすっぱりやめたらしい。

 人気者になった。

 あっという間に引っ越していった。


 でも半年ほどして戻ってきた。


 当たり前みたいにご飯を食べている。

 母親が言う。
 なんでも、人の思いにこたえることは疲れるらしい。

 そして我々は無言生活に戻る。


 一つだけ、いいことがあった。

 私の小説を面白いと言ってくれた。

   ***

「なんでおばさんの最近の小説はこんななの?」

 いつかはいわれるだろうと思っていた。
 私の作風は彼女が出て行ったあとから大分変った。


 この小娘につまらないと言われたからだ。


「こんなとは?」

 彼女は私の顔をじっと見る。
 どこまで言おうか迷っているのだ。

「野良猫が心を開きかけたみたいな小説」
「?」
「口が悪い人にありがとうって言われたような感じになる」

 彼女はゴソゴソと椅子を引いて立ち上がる。

「ケツがかゆい」

 出て行った。言わんとしていることは分かる。
 自分でも恥ずかしいくらい真っ直ぐなものを書いていたから。



「今書いているモノをあんたに見せようかと考えているんだけど」

 そのとき向こうはパジャマ姿で、洗面所にいた。朝7時。

「そうすることで、もうちょっとこの小説の方向性が定まるかも知れないって思ってる」

「つまり、私と一緒に小説を書きましょうってことね?」
 
 いや、そういうことではないんだが。あれ、いいのか?

「今寝るから、テーブルに置いといて」

 言ってあっさり自分の部屋に行ってしまう。

 いや、違うだろう。
 一緒に書くなんてのは違う。
 書くのは私だ。

 テーブルに原稿を置けだと?
 ふざけるな。
 
 廊下でガチャリとドアが開く。

「見せて」
「寝るんじゃないの?」
「寝れない。見せて」
「やっぱりいい」
「なんで?」
「気が変わった」
「私そのために、仕事の予定ずらしてたんだが」
「えっ?」
「おばさん仮にも言葉を扱う小説家でしょ」
「ちょっと直してから見せようと思ってただけよ」

 私はいそいそと立ち上がる。

「コーヒーとかこぼさないでよ」
 原稿をテーブルに置く。
「どこいくの?」
「読み終えるまで暇でしょ」
「あのね、私一応役者よ」

 そのまま無言で読み始める。
 答えになってないんだけど。
 


 想像以上にダメ出しを受けた。

 恋人たちに甘い会話をさせると、彼女は殺し合うくらい憎しみ合えと言った。
 ストレートな気持ちを吐露する場面では、すべての企みの失敗を望んだ。

 以前の書き方だ。いや、それをさらに凶悪にした感じ。恋愛小説をバトル小説にするつもりか。

 でも言われた通りにした。
 恋人たちは憎しみを越えより愛し合う。
すべて失敗して逆効果になる告白では、むしろ相手はより好意を抱くような流れに持っていった。
 上を行く。ふははは。


 担当は何も言わない。

 作品もそんなに評価されない。



 そのまま何もないことにした。


 普通に次の作品を書く。
 彼女からのダメ出しが聞こえてくる。
 そこ、逆にして、これちょっと変。



 一か月経っても、彼女は今の生活を続けている。
 友だちもいないらしい。

 もう一生分の金は稼いだつもりになっているんだろうと、母親は言っている。


 一週間後、担当から電話がかかって来る。
 私の家に本上水咲が住んでいるかと尋ねてきた。彼女の名前だ。

 うまく答えられない。
 でも向こうはなんだか分かっているみたいだ。

「本人から作品が送られてきたんです」
「へ?」
「持ち込みです」

 宛名に私の担当を名指しし、裏には私の住所が書いてあった。
 意図を確認するためにも見ないわけにはいかない。

 一端外してその旨を彼女に確認した。

 ノックするとすぐ返事があった。担当の話をする。送ったらしい。

「代わる?今いるから」
「ああ、では、よろしくお願いします」
「…で、どうなの?あいつが書いたやつは」
 ウフフと、彼は言った。むかつくな。
 

 彼女は小説家としてデビューした。
 読んだがよく分からない。
 文章が頭の中に入ってこない。
 
 話は簡単だ。

 アイドルの少女が、一人の青年のファンと恋に落ちる。
 彼女はすべてのものが灰色にしか見えない。青年は灰色の服を着ているから見えない。
 見えないけど付き合う。
 とかそんな話。

「どう?」
「なんかうまく読めない。なんでいきなりこうなった?」
「結局こういうのが向いてんのかなと思って」

 売れたかといえば売れた。
 ドラマにもなった。さらに売れた。
 

 二作目に入る前に、私は家のお菓子の量を減らし、野菜と魚と肉をたくさん買った。

「お母さんみたいだな」
「そのおっ母から頼まれてる」
「あいつとはいつ知り合ったの?」
「聞いてないの?」
「幼なじみってことしか」
「長くなるわよ」
「短いやつで」
「姉妹だ。腹違いの」
「なんだ。家族じゃん」


 私の書いたモノが読まれているらしい。

 彼女はよく家を空けるようになった。

 どうも恋人がいるようだ。

 たまに家に帰って来る。小説は当分書かないことがその活発な空気から分かる。

「どうすればいい?」
 義姉に尋ねる。
「なにが?」
「彼氏だかの家に泊まって家に帰らないあいつになんて言ったらいいか分からない」
「あんたが男も作らずずっと実家にいたのは、両親がほっといて、小説書き放題だったからだ」
「あん?」
「私が家を出たのは、ちょっと地元にいられなくなったからと、好きな男が欲しいからだ」
「ああ」
「あんたは娘の行動をどう思う?もう一緒にいたくないか?」
「ちゃんと話してほしい」
「っていうことを話すなり、一人で飲みこむなり、とにかくなんとかして一緒にやって行くのが家族なんではないか」
「ふむ」
 じゃあねと電話は切れた。

 結局何も言わないことに決めた。

 とうとう彼女が姿を見せなくなった。

 着替えはいいのか。ちゃんと食っているのか。

「どうすればいい?」
「どうもしなくていい。こっちで何とかする」

 電話は切れる。
 私は小説に戻る。
 仕事が忙しくなっていた。

 やはりあのときなんか言っとけばよかったか。

 本人に電話をかけてみる。
 だが、どれだけ粘ってもつながらない。
 三日後にやってきた。

「なにやってたの?」

 返事はない。
 資料が山積みするテーブルにちらっと眼をやり、冷蔵庫を確認し、お菓子の棚を開け、入ってないことを確かめ自分の部屋に入る。

 埃をかぶった布団やら本やらが叩かれている。
 静かになる。

 たぶん、小説を書いている。

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