見出し画像

あるレース

 いいレースだったと彼は言う。
 もう二度と出たくないと彼女は言う。

 ウチの主催するレースに関しては、上位にいる者ほど評判が悪い。
 それは本当に顕著なものだ。
 反面、最下位の者ほど、何か悟りを開いたかのように良い顔になっていく。
 そして数度レースを続け、やはり箸にも棒にも掛からない結果を出し、いつの間にか辞めていく。満ち足りた顔をして。

 そのほとんどはもう二度とレースには戻ってはこない。

 彼らの何人かの消息を聞くところによれば、どうもみんな成功とは言わないまでも、幸せに暮らしているようである。

 一方で勝ち続ける者は、どんどん人相が悪くなっていく。
 人間として大事なものを捨てなければ、上位にはなれないというように。

 ここではそれが勝者と呼ばれる。
 彼らにも引退というものはある。けれど多くの場合、自分で辞めていく者は少ない。 
 そのとき彼らは、すでにそのことを自分で判断できない。この世にいないということもざらである。


 人間が作った勝負事だからそういうことになるんだと、見かねてある出資者が言った。
 彼も元はレースの上位選手だ。
 莫大な金は手にしたが、それ以外のほとんどのものを失ったと言ってもいい。

 我々は彼が提案したレースを興味深く聞きいれた。


 それは猿の群れの中に入ってのボス猿レースというものだった。

 はじめこそレーサーたちはその提案に戸惑いはしたが、莫大な賞金がかかっているのは疑いない。
 一人また一人と猿山に入っていく。
 ボス猿になるべく、近くの猿に毛づくろいを申し込んで引っかかれる者もいれば、動物なんかと付き合えるかと人同士で集まって、協力して家を建てたりする者なんかもいる。


 それで一か月が経ったけれど、サル山の上位陣たちは、レーサーも猿も、揃いも揃って人相が悪い。

 何か良いことをしても、そこには裏の意図と顔が透けていたし、ある種の真実に突き動かされ、心を許した者はみんな近いうちに消えていった。
 悪夢みたいだ。

 一方そんなコミュニティーから外れた者たちは、人と猿が共存して、仲良く毛づくろいをしたり、肩をもんだりしている。

 まったく。

 これだからレーサーというものは。



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?