山の音楽家

小学校2年生の時、はじめて学芸会に参加した。
幼稚園でもお遊戯会はあったのだけれど、当日具合が悪くて参加できなかった。幼稚園の時は「どうぞのいす」という絵本を劇にした演目だった。主役もいなくて、同じ役の人が何人もいた。1人でセリフを喋るなんてことはなくて、みんなで一緒に喋った。結局参加できなかったけど、たくさんキツネさんの役を練習したのは覚えてる。
小学校の学芸会の演目は「山の音楽家」という有名な曲をオマージュして作ったオリジナル。リスとかクマとか皆んなで平和で暮らしていたところにコウモリ(悪役)がやってきて、みんながバラバラになってしまう。そこに女神様が来て魔法をかけた。すると、山の動物たちが皆んな元気になってコウモリをやっつけるって話。小学校2年生の私はとにかくほぼ主役の女神様役がやりたくて仕方なかった。
小さな頃からお友達に玩具を譲ることや、おままごとでやりたくない役をやる、プリキュアごっこで人気のない緑や青のプリキュア役をやるのは別に苦じゃ無かった。揉めて大人に怒られるほうがめんどくさかったし、喧嘩をするのが心底くだらないと思っていた。今もそう、恋人との喧嘩や友達との喧嘩を避けてしまう。でも、女神様役だけはどうしてもやりたかった。普段物や人に対する執着がない私が初めて執着したのは女神様役だった。なぜだろうか思い返すと、真っ白なウェディングドレスみたいな衣装。セリフは少ないけど魅力的で、動物役と違って被りがいない。多分そんな所に惹かれた。ちょうどその時期、人生で初めて劇団四季を見てしまったから唯一無二の名前付きの役にどうしても憧れたのかもしれない。
オーディションに立候補した。女神様役の立候補は4人。セリフのオーディションで2人、私とAちゃんに絞られた。Aちゃんはお母さんが若くて綺麗で、ぱっちりお目目のメゾピアノやポンポネットに身を包んでいて、ベンツに乗って学校に来るような、いわゆるお金持ちな女の子だった。でも、自分の思い通りにいかないとよく泣く子だった。セリフのオーディションをしたのだから、先生が最終的に1人に選んでくれるのだと思っていた。放課後、職員室へ呼び出されて「ここでじゃんけんして、勝った方が女神様役。負けたらあいているところに入って。」と言われた。ジャンケンをした。勝ちたかったけど、私が勝ったら絶対にAちゃんは泣いて駄々をこねると分かっていた。絶対に。
ジャンケンに負けた。勝ちたかったけど、内心ホッとしていた。Aちゃんに嫌われたらクラスで生き残れないと思ったから。あれだけ譲れないと思っていたものが、思っていたよりパッと遠くへ行ってしまった。「Aちゃん、すごいね。頑張ってね。」と案外簡単に言葉が出た。自分を殺すのは簡単で、他人を殺すよりも楽だった。先生に「じゃあAさん、女神様役でいいね。まほさん、申し訳ないけど別のところに入ってね」と言われた。私はあまりものの木役になった。セリフは「葉っぱがユラユラ、重いよお。」の一言だけ。この一言は多分生涯忘れることはない。逃げるように職員室を跡にして、家に帰った。お母さんに「オーディションどうだった?」と聞かれて「譲ったの。Aちゃんに。」と嘘をついた。人生で初めて大きな嘘をついた。お母さんは、「えらいね真帆は」と褒めてくれた。自分は偉い、優しい人なんだという呪いを自分にかけなければ、潰されてなくなってしまいそうなプライドだった。木の役をやると伝えると、翌日可愛い茶色のワンピースが家にあった。いつもお母さんが買ってくれる服は男の子っぽいものが多かったから、びっくりした。その日の夜、一晩中泣いた。ワンピースを抱きしめて泣いた。一睡もしなかった、涙は枯れなかった。お母さんは全部気づいていたんだと思う。Aちゃんに対して沸いた、生まれてはいけない感情も綺麗にしまっておこうと思った。
21歳になっても、生まれてはいけない感情を押し殺すことばかりで、分かり合えない人間に分かり合えるだろうと言われてそちらの正義を押し付けられることばかりで、辛いという気持ちは「それな」に打ち消されて行くばかり。その度に自分という存在を恨むんですよ。他人への怒りではなく、自分が一つのコミュニティに存在してしまったことで、そこから生まれるあれそれ全てここに自分がいるからいけないんだと思って趣味の仮想自殺を繰り返す。女神様が魔法をかけたら、ヘドロのようなこの感情もどこかに飛んで行ってくれないだろうかと思う。でも私はあの時絶対に女神様にはなれなかったから魔法は使えない。あの時から、ずっと、今もこの先も女神様にはなれない。木にしかできないことをしたい。大雨の日には雨宿りできる場所をそっと作り、太陽から身を隠す木陰を作れるような、木に。

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