眠れる森は月と躍るⅡ

BEYOOOOONDSが演劇女子部として演じた『眠れる森のビヨ』をみた森がネタバレありで感想を書き散らすのはこちらです。

あとはなんだ、ものすごく生々しい話をしております。劇は劇と割り切って見られる私ではありますが、他の記事で扱ってるようにうつ病なのと、割と人生サバイバルなので発狂をした経験ありの者がわぁ、と見て、それを思い出しながら書いてる物なので、似たような方は夜に見ない方がいいかもしれない。落ち込んだり、引き摺られるかもってことです。ご注意。

ネタバレはなるべくしてない方を読みたい、熱に狂ってるのが見たいという方は下記の記事へ

森、発狂する

いきなりなんだと言われそうだが、見終わった時に叫んだのは私である。

「なんて脚本をぶつけてんだ!!!」

最初に病院の脈を測る機械音だったり、最初の方だったか、ヒカルが交通事故に遭いそうになってる時点で嫌な予感しかしてなかったんだけども。それにしたって!

怒っているのか、悲しみなのか、よくぞやったなの喜びなのか、私はぐちゃぐちゃ。そのまま、親友にこれから書くことを含め3時間止まらずに話したのほ事実。だって、言語化しないと迷子になる。

感受性豊かかつ、表現力があるどころでは言い合わせられないBEYOOOOONDSの12人にぶつける内容か!?

いや、表現できると期待され、この舞台を乗り越えて更なる発展をすると信じられていたからこそのこの脚本なのだろうが…酷だわ!とまず叫んだ。叫ばざるを得なかった。

表現者は繊細

元々は聞いた話なので、真偽の程はわからない…と前置きした上である。

舞台だけでなく、小説や漫画、絵、音楽、映画…なんでも良いのだけれど、表現者は非常に繊細だ

造っている内は良い。気分が高揚しながら、アドレナリンをはじめ、イケイケとやれるホルモンが出ているのだと思う。あの時はものすごい集中力を発揮する。だいたい始めてしまえばいける。

問題はそのあと。表現を終えた後にがんと落ち込む。離脱感というのだろうか。これは本当に魂が抜けたような、疲れ切ったかのようなそんな落ち込みかた。

私自身も色々と創作するけれど、泣いたり、倒れて動けなくなったりする。頭痛が痛いという表現がしたくなるほど、ゆらゆらする。

今日、実は小説2話分を書いた後でこれを書いている状況。糖分を貪り、ぐったりしながら書き殴っている。ちょうど良いかな、と思って。毒には毒をぶつけろではないけども、そんな感じでと開き直っている。

ー狂っている?そうとも。

創作を始めたから狂ってしまったのか、狂っていたから創作にたどり着いたのかはわからない。

ただ、音を失っても、なお作曲し続けたベートーヴェン。自分を傷つけることをやめられなかったゴッホ。有名な表現者たちもこんな感じである。まだ、私は狂いきってないのかも。

死ぬまでに評価されなかった芸術家も多く、それでも彼らは表現することをやめられずに注目もされないまま亡くなるなんて茶飯事。理解されなくても、それでも造ることをやめられないのだ。

今回の『森ビヨ』は「生と死」を生々しく扱う作品である。

「生きることが幸せか」を問う話である。

観てるだけでとんでもないエネルギーを使う作品のように思う。もしかしたら、観劇が終わったあとにこの世から消えてしまった人もいるのでは、とすら頭をよぎる。

ましてや、演者であるBEYOOOOONDSはもっと重たかったに違いない。メンバーの心が心配だった。

神おろしと言えば良いのか。青森の恐山のイタコみたいな感じ、で通じるだろうか。BEYOOOOONDSの演じる登場人物は正直に役というよりは本人そのもののようだ。乗り移っているような感じ。だからこそ、役が抜け切らなかったのでは、と観終わった時に「なんて脚本を!」と叫んだわけだ。

ただでさえ、芸能界という世界は過酷で、いつその人が引退するかもわからない。引退なら良い、突然消えるかもしれない。それに特に女性は不幸なことに未だに見た目で期限を切られがちである。

つまるところ、あっという間に駆け抜けて消えてしまうような光なのに、その光にこの哲学のような、呪いのような重たい物をぶつけて本当に良かったのだろうか。

ー誰一人欠けてない今が奇跡のよう

千秋楽がBlu-rayになっているので一人ずつ感想を言う。「幸せでした」と皆さんが言う。それを聞きながら、ぼろぼろと崩れていくような、頭痛がした。

重たい役をやり切ったという達成感も、それをやれると信じてもらえたからこそだとい自信もきっとついただろう。

だが、あの場で幸せという言葉が出せることがたくましいというか。そりゃ涙だって出るはずだ。ティッシュじゃなくて、ふわふわのタオルで包んであげたいとすら思った。映像だから届かないとは解りながら、拍手を一人一人にしたのは、それでも果敢に表現した彼女たちを無視できなかったからだ。

りかさんがすごく苦しんでいた、と親友から聞いて、そうだろうなと思った。

ただでさえ詩的な感性を持っていそうな繊細な彼女は11人とは違う役割で。非常にしんどかったと思うし、美葉さんと2人だけの千秋楽をした…というような話を聞いてそうでもしないと役が抜けないまま、気持ちだけが落ちていくだろうな、と予想は容易い。生きててよかった。

『森ビヨ』のあらすじを書いてみる

今回の話を私なりに簡単にまとめよう。

「ある高校の、ある演劇部の物語。歌を武器にというのが伝統。しかし、全国大会に行けたことはなく、先輩たちの泣く姿を見た後輩たちが先輩となり、後輩たちも入ってきてくれている。

そんな事情から、なんとしてでも勝ちたい、勝つための演劇をやりたい派。歌を捨てたくない伝統派。というように皆が納得するものはどこかと落とし所が見つからない。そんな中、ヒカルが脚本を書くならと本人以外は一致して決まる。

ツムギが部に合いそうだと『荊姫』を題材にと提案する。ヒカル本人は気が乗らないで断ろうとさえしたが、ヒカルの幼馴染のヒマリがヒカルを応援して脚本を書くことを楽しもうと背中を押されるのである。

そして、ぶつかり合いや苦難を乗り越えていき…演劇部は一体どうなるのだろうか?勝てるの?まとまるの?さぁさぁご覧くださいませ」

と、書くと、高校生の青春だなと思う。あっという間に過ぎていく時間の話である。

実はネタバレは踏まないようにと親友から言われていたが、「学園もの」という話は聞いていた。頭がハテナでいっぱいだった。だって、キービジュアルに制服姿なんて誰もいないじゃん、と。

それで私は幼馴染と言われて、ヒカルとヒマリは同級生なのねー、と。登場人物全員の名前覚えられるかなぁ、と観始める。

演出による恐怖 ゴジラを添えて

ゴジラ!?となりそうだが、落ち着いて欲しい。『森ビヨ』の感想は続くし、ゴジラを観ろと言っているわけではない。演出が見事だという話である…ちなみに私は昔からモスラが大好きである。バスタオルを体に巻いて、モスラを呼ぶ歌を歌い狂っていた幼少期である。

閑話休題。今回の『森ビヨ』は音が特に特徴的だと思っていた。

まだ一度しか見れておらず、思い出しながらになるため、どこの場面でと断定できなくて申し訳ないが。

それにしても、割と最初の方のどこかの病院の「テンテン」と人の命が続いているという音ともに「水の流れる音」が混ざっているな、と思った。眠れる森の美女だから、糸車をからからと足で踏む音か、とも思ったが。

実際、「水の音入ってる?既に不穏」と呟いた。親友は見終わった後にその言葉で物語を既に不穏だと察しようとしてる姿にゾッとしたと言っていた。

事故当日の雨の音と一致しているっぽいと解釈。多分、意図的に入れられたものだろう。

舞台の上、照明で照らされている荊モチーフのセットがなにやら歯車に見える。それで夢がどうたらという台詞。「ループもの?」と呟く。多分にだけど、病院に寝ている人が夢を見続けているんだろうな、と仮定して。

『モダン・タイムス』というチャップリンの喜劇の話題も出た。歯車に人間が巻き込まれていく映像、見たことあるだろうか。

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あれは精神的に異常をきたしている話であるし、誰か狂ってるのかなぁ。そこも含め、ぐるぐる回って巻き込まれていると示唆してるんだろうなぁと感じた。

(あと、これを書いてる今、思い出したこと。「モダン・タイムス」って主役のチャップリンとヒロインがある事情で捕まって、トラックで輸送されるんだけども。横転して投げ出されて、その隙に2人で逃亡というか幸せになるんだよな。あれ、ヒカリがヒマリの手を取る未来、そこで既に示唆してたんか?)

証拠を探すように画面に食い入るように見た。そしたら、舞台セットが大きな本と小さな本でできていると気付く。あぁ、これは登場人物全員が架空、つまり夢の可能性があるとすら疑い始めていた。

途中で命がつながる音が「ピー」と鳴らないことを祈るほかない。

途中、ヒカルとヒマリ幼馴染組の台詞に違和感がある。同い年のはずなのに「いやだ!」とか、「〜だもん」というヒマリの言葉が妙に幼いと感じる。ヒカルはそんな彼女を妙に大人びた感じで宥めているように感じる。歳の差がある?でも、同い年のって言ってたような。思い過ごしだろうか。制服のネクタイやスカートの色もヒカルと同じである。疑いすぎである。

それに加えて、ヒマリが過去形をよく使うことも気になり出した。「後悔している」と。

結局、5歳差があり、ヒマリが小学生だったことも、ヒカリが高校生だったこともわかるのだが。あと、照明のせいか、本当に衣装を変えたのかわからないが、ヒカリが目覚めてからのヒマリの制服は赤だ。学年が違う、時間が経っていることに気付かされる。ずっと青く、色が落ちたように見えていたから、それも同い年と見せかける演出なんだろう。

ヒカリを見つめる時の正気のない顔。幽霊のようだとも思ったし、光の当て方を考えてのことなんだろうし。なんか演技も演出も怖いくらい噛み合ってて。

あとはツムギの衣装だ。カラスに関係している役だったが、全身が黒くない。なんか、道化師みたいな帽子を被っているな、と感じる。

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道化師、またはピエロだが、伝統的に複数の色を見に纏っていることが多い。何故かというと、複数の色を同時に身につけることは「一般人とは違う、自分は変です」ということと同意だった。あとは黄色を着ていることが多い。これは伝統的なヨーロッパの色の感じ方なのだが、黄色は「裏切り者・異質」の色である。

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例えば、イエス・キリストを裏切ったユダは黄色を身につけて描かれることが多い。この絵画だと左側の黄色の人がユダ。お金を持っている。既にイエスを裏切るように買収されているという意味だ。

ちょっと話が逸れたが、黄色こそ身に付けていないが、ツムギの帽子が「異質」な存在、道化師のそれと重なって見えたのだ。もしかすると、この物語で異質か、何か嘘をついて人を笑わせるために踊っているのかもしれない

と思っていたら、夢の中に引き留めるような、幸せを願うような役で、他の部員ともまた違う役割を担ってたんですね。衣装意識してたのかなぁ。

あと、こころさんと呼んだ方が良いですかね。思うに運動が下手な人の動きが見事でした。棒人間がカクカク動くみたいな。あれ、踊れる人が表現するのすごく難しかったと思うし、それが段々スムーズになっていって、練習の成果が出てると見せ方がオシャレ。

で、ゴジラは添えないのか、と。失礼、色々と夢中になってしまったけれど。思い出したのは森ビヨの「どーん、どーん、どーん」の大きな音がきっかけだ。

聞いた時、結構びっくりした。怖いと本能が叫ぶ。親友から、にあれでも1番最初の音量よりも下げた」らしいと後で聞いた。それにしてもである。

劇場にいない者ですら、びびっているのだ。生で見た人はそれこそ本当に怖かったんじゃなかろうか。中には何か事故のトラウマがフラッシュバックした人もいるかもしれない。

ーそれで、ゴジラなんだけれども。

私自身がすごく真剣にゴジラを見ているかと言われると、ほとんど見たが幼稚園児の頃だ。というか、ポケモンの映画を見るよりも早く、確かゴジラが映画デビューである。3歳になら手前あたりのこと。今なお、森が狂気なはずである。ゴジラを最初にみせるか?あと、ウルトラQを幼稚園時代に見せるんじゃあない!

と、ゴジラは作品だけは多く見ているが、朧げな記憶と聞いた話を書くだけなので間違えていたら、ごめんなさい。(KOGはモスラが美しくカッコ良かったのであれはあり!)

さて、最初の『ゴジラ』、あとは庵野監督の『シン・ゴジラ』、実は共通点がある。音や映像で恐怖、トラウマを呼び起こすという演出だ

前者は戦後に公開された映画だが、見ている人には「東京大空襲」や「戦時中の空襲」の時の怖さを思い起こさせたかったらしい。

シンの方は「東北の大震災」のほうだ。人が移動しないことでゴジラの熱戦で死ぬ当たりが、当時高台に避難しないで残って亡くなったというのもあったが津波っぽいと思う。あと、大災害が起きているというのにそれを中継で見ているという映像が怖かった。

震災の時は当時まだ学生だったが、津波に車が巻き込まれていく様を映画なのかなとぼんやりと見ていた感覚が思い出された。人が死んでると解るのに何もできないあれだ。ものすごく怖かったし、それをさらっと演出でやってしまうあたりである。そりゃ、シン・ゴジラをみて怖いと感じる人がいるはずである。

森ビヨはというと、どーんどーんどーんは交通事故…まず対向車線から突っ込んできた車との衝突音が①どーんは確定だ。②どーんと③どーんがわからないが、崖から転げ落ちた時と、叩きつけられて部員たちが潰れた時の音なんだろうな、と思う。考えれば考えるほど怖い。なんかガシャーンとか、ガラスが割れてる気がする。飛んで行く時の皆が風に揺れる洗濯物のような動きをしてたと思うが、もうあの時点で生きてる感じがなかった。当たった瞬間にツムギとヒカリ以外、即死だったんじゃなかろうか、とすら思わせる。

実は車がぶつかる事故の瞬間を見たことがあるし、災害事例で人が物の下敷きになって亡くなった現場の写真を見たことがある。ばら撒かれている赤のような黒いものが、人の血なんだなと分かった時に心臓がバクバクして、そのあとトイレで吐いた。ホラーゲームで血塗れは全然いけるのに。ようはあれは架空だから良い。現実はだめだ。

なんというか支離滅裂気味だ(そろそろ一旦薬を飲む)。

森ビヨはきちんと音を聞けば聞くほど怖い。それにヒカルの絶叫が正直に言えば、演技とは本当に思えなかった

生々しい話だが、泣きながら叫び喉が裂けるように止めてと言ったことがある森。あれ、本当に私が発狂してる時のまんまを俯瞰で見てるみたいで。一体何をどうしたらあんなにリアルに出来るのだろう。

あと、弱りきった「やめてよ…」の小さな声がマジで心が折れたり、拒絶したい時の感じなので、わぁ、と思いました。何を見て勉強したんだ。発狂はしたことないよね…?

あと、「朝のひばり、夜のとばり」。最初の方に言ってたと思うのですが、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』からの引用じゃなかったかな、と思います。

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たまたま、やってるFGOのゲームで最近出てきたサーヴァントが「オベロン」なんです。写真は童話っぽい姿の彼を選んできました。『三月のライオン』の作者の方がイラスト担当です。

『夏の夜の夢』という妖精たちの喧嘩が発端の喜劇ですかね。元々、オベロン自体は昔から伝承がある妖精ですが、シェイクスピアが描いたイメージがオベロン!と定着してしまって、本当のところどういう妖精だったのか分からなくなってる、シェイクスピア被害者の会の1人です。ちなみに私も会員です!悲劇を定期的に摂取したくなる病にかかりました。治りません。

彼がゲーム内で「朝のひばり、夜のとばり」というので、あらまぁ、何の因果かと最初の時点で不安を感じてたのはその偶然もあるのかも。

後にアンデルセンにも触れたいと思うのですが、FGOの開発者、アラビヨにしても、森ビヨにしても観劇してないか?と不思議と何かバッティングがある気がします。誰か伝わらないかな…

シェイクスピアは説によっては複数人の作家集団だったなんてものもありますけど、それにしても人の感情をよく知った上で、ドロドロさせる作家です。人の感情をいじくりまわせるど畜生とまでいうと乱暴でしょうか。

どちらにせよ、シェイクスピアが最初の方のセリフでチラついてしまったので、あぁ、これ悲劇確定なのでは、と震えました。だれよ!茨姫にシェイクスピア要素ぶち込んだら、楽しくなるって思い付いた人!

繰り返される夢

熱とか出した時とか、特定の夢を何度も見る経験はありますか?

私は胃が弱ってる時は古びた奇妙な遊園地の夢を。熱を出す時はコサックダンスをする黒い男たちに囲まれてぐるぐるされる夢を。あとは追い詰められた時は…やめておきましょう。

昔から寝るのが下手と医者に断言されたやつなので、眠りが浅く、その結果、たくさんの夢を見ます。良い夢も悪い夢も、新しい夢を見ることもあれば、ぐるぐると結末を知ってるようで知らない同じ場所での夢を見ます。

だから、眠れる森の美女がベースなのだから、眠るだろうとは思ってたけど、まさか夢をぐるぐる見続けてる形を取るとは思ってなくて。

劇は劇なんですけど、これ、ヒカリはリアルを見続けたんだと感じます。

どうして知らないはずの感触を夢で見る時は知ってるのでしょう。血があたたかいことなんて、知らないはずなのに。落ちる瞬間、心臓がヒュッと縮まって、バクバクするように。

ー夢ってどこかおかしいのにリアル

正直、寝てるか起きてるのかわからなくなることがあります。

でも、不幸かな。私の場合は悪夢ほど起きたいのに起きられないんです。良い夢の方があれ、これなんか変で途中で起きられるし、だいたい忘れてしまう。

あれだけはっきり覚えてるし、5年も眠り続けたんですもの。ヒカルにとって「悪夢」だったのかもしれない、と思う私です。(とすれば醒めて幸福?親友よ、ちょっとはあの後の2人の展開がハピエン風になってくるか?)

まぁ、ただ、見ているものはBlu-rayなわけで、悪夢と違ってやめたいと思えばやめられるわけです。ここまで書いてきたように抉られる部分もあったので、一旦止めました。

あとは個人的にここで休まないとこの後、怒涛の展開なんだろうなという予感を感じたので、少し頭を整理したかった。

ありません?小説が伏線回収に入る前の瞬間を察知して、読み終えたくないでページを閉じることとか。深呼吸するとか。

ゲーム…私の場合ポケモンですが、チャンピオン戦が終わり殿堂入りしてしまう前にクリアを躊躇するんです。だって、そのあとは今まで一緒に駆け抜けてきたライバルや登場人物がNPCとなって、同じ言葉しか言ってくれなくなるのです。その未来が見えていて、寂しい。

続きは見たいけど、終わってしまうことがこわい。だけど、見たい。そんな作品でした。情報量がとにかく多いこと。そして、そこで最後のネタバラシの予感を察知した頃には私の中ではまぁ、ヒカリが唯一の生き残りで病院で昏睡していることも、舞台セットを壊した犯人がツムギであることも、ヒマリがずっと幼馴染に囚われていることも察していたのです。あー、怖い。怖いしかない演劇って怖い。

さて、本当はまだまだ書きたいのですが、長くなってまいりましたね。

読むのも辛いかもと思うので、一旦ここらで今夜は終わりにしましょうか。

あぁ、そうそう。気づいたかもしれませんが、タイトルの森は私であり、森ビヨです。

月といってたのは、前の記事でも言いました。西洋では怖いもの、狂気の象徴が月だからです。そして、その人間の狂気をその人がまるで実在してしまうかのように錯覚させるBEYOOOOONDSの12人も、実際今なお狂ってる私も月夜に踊っているような。ぐるぐる、そんなイメージで。

ただし、BEYOOOOONDSに関しては愛も感じますので、そこはアジア的な価値観の月ということで。

太陽でさえ眩しいのに、満月が眩しくて目を細めた森。鈴虫が鳴いて秋を感じつつ。金木犀の香りはもうしなくなったので、次は紅葉がいつ始まるかでしょうか。そう言いながら夏休みの森です。

Ⅲでは私が赤く染まります。愛について、優しい話に触れようかと。あと、森としてこの森ビヨがどういう話だったのかとか。

森と森ビヨがわからなくなる?それはそれで良いのかなと。

さて、夜の森で迷子になる前にここらへんで。光る石はありますか?道標に置いておくと良いでしょう。パンでは森の動物たちに食べられてしまいますから。

おやすみなさい。

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