空を見上げて思い出す

ステイホーム、おうち時間。家にいなければならない。いなければいなければ、どんどん追い詰められていた。

私は今年、2021年の1、2月に怒っていた。どうしてこれほどニュースをはじめ、さまざまに「外出するな」と言われているのに。どうして、守らないのか。とても怒っていた。今、振り返ると世の中には事情があって外出をしなければならない。通院のため、働いて稼ぐため、家にいると辛いことに合う人。外から見えるものは不確かで、内側から見ていないのに。全部悪いと我慢できない奴らなんて思っていた。しかし、外に出て、本物に触れるのが本来好きな私は確実に仕事だけに傾いていき、蝕まれていた。

新型コロナはインフルエンザよりはなんて言われていた頃とは大違い。歴史を専門的に勉強してきた私には今、「戦争」のように見えている。戦争を経験したことのない、あくまでも記録を見た私の感想だ。ただ、悲惨だなと思う。確実に豊かとは言えない生活の中、人々が監視し合い、正誤の区別のつかない情報が飛び交い、アスリートの活躍に喜ぶ。反対運動の声もある。一方で医療現場、工場、運送など、誰かの命を繋ぐために駆け回っている人たちは休む間もないと聞く。なんだか、現実味がない。だが、私はつい最近まで、怯えながら電車に揺られ会社で働いていた。

さて。詩にもならない感情の吐き出しをやめて、現実を一度挟む。

私は現在、鬱病とパニック発作、睡眠障害とされている。これは仕事だけではなく私が生きてきたこれまでが複雑に絡み合った結果。しかし、私が受けた傷…トラウマを抉られる様な毎日が就職してから続いていた。結果、爆発し、何かおかしいと病院に駆け込んだ。しかし、やりたいことがあって働き続けた。結果、休まなければいけない。命を削ってまでやることではない。自分のことが見えてないと医者を始め他者に言われ、「人生の夏休み」が始まった。

鬱病はかかずともよく知られていると思う。私が出ているのは、出来てたことが出来なくなって焦る・悲しくなる…例えば、食器を洗うことができず、シンクにものが溜まっていく。それを洗わなければと思うのに出来ない。洗濯物を夜に回していたのにそれがいつしか出来なくなって、ある日職場へ着て行くものがなくなった。話しかけられているのはわかるものの、内容が聞き取れず、何かの音として流れていく。お腹は空くのに食べられない。食べるために動くことができず、ベッドに横たわったまま、食べること諦めてしまう…こんなところだろうか。

高校を卒業してから、私は体重は大体50kg前半だった。身長は158㎝だし、いい感じ。4年前にすごく痩せて48kgになった時は風邪をひいたり、走れなかったり、最悪だったので、個人的には筋肉をつけて52、3kgがちょうどベスト、1番体が動かせて、でも病気しないラインだと思う。それが今年になって、GWまでに57kgに到達。人生の記録更新。こんなに太ったことはなかった。そこから、どんどん痩せていき、今日は50.4kgだ。体を酷使しすぎである。人から痩せたと言われてきたが本当にそうだった。

次。パニック発作。パニック障害ではないの?と聞かれそうだが、その医者曰く、パニックになって頭が真っ白になり、動けなくなるわけではないから、発作とみているとのこと。私の場合、好きな映画が見ることができなかったり、会議に出ることが難しくなった。トイレが昔から近いと思っていたが、ここでさらに悪化したらしい。汚い話だが、お腹が痛くなるからトイレに駆け込む。しかし、出ない。だが、トイレから出るとまたお腹が痛い。それを繰り返すうちにトイレから出られなくなった。ひどい時だと1時間こもっていた。

最後、睡眠障害。寝れなくて泣いた夜は数えられない。何かの歌詞ではなく、事実だ。眠いから横になるのに目が冴える。寝たいのに眠れない。1時間で眠りにつけたら良い方だった。眠れなくてそのまま朝まで泣きながら起きていたことがある。感覚的な話なのだが、寝てしまうと明日が来るという恐怖があったり、眠った時に次に起きられるのかという不安があったり。それで多分に寝付けなかった。ひどい時には天井が落ちてくる様に感じていた。でも、私にとって、寝るまでに時間がかかることが記憶にある限りでは当たり前だったから、病気だとは思わなかった。

私の担当医は私の話と「最近眠れてますか?」のような質問が続くテストの結果、私を上記のように診断した。それに寝るのがあまりにも下手だとはっきり言われた。私の止まらないマイナスの話を途中でばっさり切ってくれる。人によっては怖いと感じるのかもしれないが、私はその先生が結構好きだ。

それから、いかにもセロトニンに関係してますという感じの名前の薬を飲んで、今は最大量かな、100ミリ。それから、睡眠薬を出された。

薬の効果はわかりやすかった。トイレに行くことが減ったし、眠るまで30分くらいになった。だから、まぁ、治っていると無理した結果体を壊すのだが。

さて、話が長くなった。話が長いところは短所でもあり、長所でもあると思う。まぁ、病気で話がまとまらないのかもしれないし、単に元より話好きなのかもしれない。話しているうちに頭が整理できるので、話すことは好きだと思う。

今回、「空を見上げて思い出す」とタイトルにしたのは、「人生の夏休み」に入って私が外に出たからこその話だ。

ー外に出た

それはまぁ、今は推奨されることではない。しかし、友達とある意味で「監視し合う」ことでご飯をきっちり食べ、お風呂に入ることをするためだった。その方が「自分を大事にできるから」だった。

勿論、人混みは避けた。というよりは観光地はコロナ前に来た時とは異なり、人がほとんどいなかった。こんなに空いてるここ、早朝以外に見たことないぞ、と。避けなくとも、ディスタンス。

8/9、11時ごろ。晴れていたのに急に雨が降り出した。傘は持っていたが、とりあえず友と屋根のあるところに駆け込んで、雲が流れる様子を見た。「すぐ止みそうだね」と話して、雨が少し弱まったタイミングで出た。それから、目についた看板に誘われるまま2人でソーダを飲んだ。

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テレビの砂嵐のようなノイズが一度。それから、アイスクリームが乗ったソーダは幼い頃には特別だった、そんな記憶がゆらり、陽炎のように頭に現れた。

それを飲みながらベンチに掛けて楽しんでいたら、また雨が降り出した。

青空を連想させるような青のソーダを持ちながら、空を見上げた。

屋根や地面に雨が当たり、ザァザァと音がする。雨の線が目に見えて。当たり前だが、「雨が降っているな」と感じた。

以前であれば雨に降られたら、「予定があるのに!」と苛立ち雨宿りせずに走っていた私が。雨を。

空を見上げ、雨を眺めるということ。つまり、「ゆっくりする」ということを思い出した。

特にその後の予定もない。3時くらいに別れようかと言っていたけれど、決まりではない。この後どこにいくかも決まりはない。

だから、イライラとせずに雨が通り過ぎてゆく様を見ていた。なんとなく、晴れるだろうと思った。友達と静かに。時々話をして。溶けるアイスを突きながら。空色のソーダと雨を味わっていた。

そうしているうちに青が現れた。「良いな」と頭で認識する時にはもう、体が動いていた。カメラで「その一瞬」を切り取っていた。

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せっかくの休みだから、心と体を休めるためにゆっくりしようとは決めていたのだけれど。本当のところ、医者から休むように言われた時は「頭が真っ白だった」。

ーやすむ?

それは何だろうと思ったら、自分がどこにいるかわからなくなって。どうしようと焦っていたのに。

何もなくしてはいなかった。私がいつの間にか見失っていたものはちゃんと、私の中に生きていた。

これは愛しい、夏のひととき。

そのあと、お寺と神社でそれぞれおみくじを引いたら、

ー今は休みなさい、治るから

と書かれていて。友と顔を見合わせて、笑った。

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