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父の話

2023年12月7日AM7時5分
2年半膵癌の闘病した父が65歳でこの世を去りました。

私と父の関係は皆さんが想像するような思い出いっぱいの家庭ではありません。

父と母が離婚しした為、父とは小学3年生の頃から22年程全く会っていませんでした。

数少ない父との思い出と感じたこととこれからのことを長くなりますがnoteに残します。

父はとても優しくて、旅行が好きでした。

家族旅行で色々な所に連れて行ってもらった記憶が微かにあります。出かけるのが本当に大好きでした。

父はとても人に好かれる人でした。

周りから頼られるような人で私と会っていない間に働いている会社の労働組合の中央執行委員をしていたりして、すごいなと感心しました。

父はとても働き者でした。

私の知っている中でも、看護師をしながら弁当屋で働いていたり、トラックの運転手をしたりと本当になんでもするなと思っていました。

その一方で父は本当にダメな父親でした。 

タバコは吸うし、お酒も大好き。そしてギャンブル好きでした。
パチンコで多額の借金をして、消費者金融をはしごして、借りたお金を借りて返すみたいな自転車操業をしているのを見ていました。

昔のパチンコは子供がいても、あまり注意しなかったのか、父の横で余玉を使って遊戯し、大当たりを引いたら父が喜んだのを覚えています。

パチンコで当たると大きなおもちゃを貰えるのでわたしも悪い気はしませんでした。

小学2年生の時父と母が離婚する際、

母から唐突に「お母さんとお父さんどっちが好き?」

と聞かれ

何も考えずに「お父さんが好き」と答えたら

母は私を置いて荷物をまとめて出て行きました。

そこからお父さんと2人の生活が始まったのですが毎晩父はパチンコに行っていたので、帰りが遅く寂しい思いをしました。

小学2年生の私は最初は怖くて泣いていたのですが、父がパチンコで勝った時に取って来てくれる景品のゲームソフトで寂しさを紛らわしていました。

夜ふと起きると父が砂嵐になったテレビをつけたまま缶ビールと値引きシールが付いた焼鳥を食べて居間で寝ている姿がとても印象に残っています。
その父にくっついて寝たりしてました。

そんな寂しい思いをしている私を見兼ねた母が結局私を引き取る事になりました。

小学生の時最後に父と会った日のことをずっと覚えています。
夏休みだったので父の実家に遊びに行き、夏休みを楽しみました。
父のトラック運転の仕事の横ノリ。
手を繋いで海水浴。
楽しい思い出の最後は父との別れ。

金沢駅行きの電車に1人で乗せられた時、寂しくて泣きました。
きっともう会えないかもしれないとわかっていたのかもしれない。
そこから父との連絡は途絶えて会うこともなくなりました。

そこから父の実家の近くに通ったり、元気かなぁと思ったりすることはありましたが、まぁ連絡ないってことは元気にしてるやろと思って連絡を取らないでいたらいつの間にか22年程の月日が流れていました。

3年前私が30歳の時に父に結婚したことを報告したかったので、母から連絡先を聞き電話しました。

すぐに会えれば良かったのですが、コロナ禍もあり中々会えずに、いたのですがなんとか再会することが出来ました。

久しぶりの再会に何を話せば良いか分からずにドキドキしていましたが、会ってみると案外普通に楽しく話せました。これから会って今までの分取り返せば良いかなと思っていましたが、その時に膵癌と闘病している事を聞かされました。

父との再会

この時ほど後悔する事はありませんでした。今までなんで連絡しなかったんだろうとか、本当にショックだった。

父は闘病しながらも看護師の仕事を続けていたので、本当にすごいなと感心していました。
もう働かなくても良いんじゃないって言っても働かないかんと頑固に働いていました。

会う度に少しずつ小さくなっている気がしてやはり癌との闘病は本当に辛いんだなと知る事が出来ました。

孫との対面
父の誕生日

今年の誕生日にケーキを渡すと人生で初めて誕生日ケーキ貰ったって言ってすごく嬉しそうに食べてくれました。

2023年11月9日に抗がん剤治療を辞め、在宅医療に切替。
2023年11月27日入院
2023年12月7日にこの世をさりました。

私自身の東京研修中も危ない状態ではあったのですが、父が研修期間中は大丈夫だから頑張って来てと言ってくれたので研修に参加しました。
多分帰ってくるのを待ってくれてたんだな。
父の最後を看取ることができました。

父との思い出は本当に少ないですが、いつ死んでるか分からないの状態から、最後を看取ることが出来たのは本当に幸せだったと思います。

皆さんは喧嘩したり、会えるのに会ってない大切な人はいませんか??私はこの先ずっと後悔すると思うぐらい父に連絡すれば良かったなって思ってます。
絶対にそんな後悔はしないでください。

私が産まれた年は父が32歳の時です。
私の子供が産まれた年も私が32歳の時です。
と考えたらなんか同じ人生歩んでるなと少し感じました。
私の寿命は父と同じ65歳かもしれないと思ったら、もう折り返し。
いつ死ぬかわからないからこそ、自分のやりたいことは早くやらないと後悔するなと思いました。

正直やりたいことがあり過ぎてやりきれないけど全部やり切るつもりで頑張ります。

父も麻雀が好きで、本当は同卓して打ちたかったのですが、叶いませんでした。

麻雀大会の結果とかを伝えるとすごく喜んでくれて応援してくれていました。

父に喜んで欲しいパワーがあってきっと勝てたこともあったでしょう。

努力してもっと良い報告出来るようにこれからも頑張りたいと思います。

父との同卓は天国に行ってからのお楽しみにします。
まぁ当たり前に圧勝するけどね^ ^
天国で待っててね。

拙い文章読んでいただきありがとうございました。

守田成希

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