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世界一周の旅に行くことになったいきさつ

1 .いきさつ
 
 30歳で産んだ男女の双子はどちらも就職して都内ひとり暮らしを始めたので、文京区の自宅は夫と私の二人暮らしとなった。気が付けば私は54歳。ひと昔前の会社員ならそろそろ定年で退職金を貰って年金支給が開始されるような年齢だ。私が小学生の頃には周囲のおじさんおばさん達は55歳で平気な顔して老人になりすましていたのである。しかし今や人生100年の時代、私はまだまだ生きていくためには稼がなければいけないと思い、和フォーの事業とエアブラシ化粧の事業を行う会社を前年に設立していた。


 その登記も済ませバリバリ働こうと張り切って準備していた矢先、脳に奇病が見つかり、進めようとしていたことが全て中途半端になってしまった。もどかしく思ったが、病体では無我夢中で働くことはできない。何よりビジネスパートナーに迷惑をかけてしまうだろう。この頃は毎晩ベッドに横になると道路工事のような音が脳内で鳴っていた。ガッシャンガッシャン、ピヨピヨ、というような音だ。


 奇病は「右椎骨動脈硬膜動静脈瘻」という名称で説明によると「硬膜を介した間接的な動静脈瘻ではなく椎骨動脈から椎骨動脈周囲の静脈路に直接吻合して動脈血が非常に勢いよく流れ込んでいる状態」で「静脈路がうっ滞して頭蓋内への逆流があるようなら治療が必要」であり「治療には1ヶ月程度の入院を要し動脈カテーテルによる血管内の手術で塞栓する」とのこと。
 カテーテルで塞栓すべき箇所に運ぶコイルは1本15万円ぐらいで10本以上必要。これを脳内に埋め込むので今後は金属が脳の中に存在し続けることになる。…えらいこっちゃ。

 入院手術は、私が所属しているリコーダーグループの演奏会が終わったあとの日付で5月末から6月ぐらいに行うことにした。また5月には行政書士会の定時総会があり、私は議決権のある代議員として毎年出席していたのだがそのお役目は外してもらった。事務所の電話番も秘書と調整してなんとかなりそう。いろいろな支払いや書類の提出もこの時期なら緊急のものはない。
 手術費用もなんとか工面して私は手術する気まんまんでいた…のだが、なんと直前の検査で「今すぐに手術する状況ではない」との結論になったのである。
 
 私は発作的に、「ひとりで世界一周旅行に行く」ことに決めた。

 マチュピチュ、アンコールワット、エジプトのピラミッド、カクシラウッタネンのオーロラ、ケニアの動物たち、・・・私が本当の老人になって歩くことすらも困難になったら、訪れることが不可能になる場所は世界には沢山ある。そして現在、離乳食を作ったりオムツを替えてもらうことを必要として私を待っている人間は誰一人自宅にいない。この降ってわいた人生のチャンスに、行けるところに全部行くことに決めた。私は55歳になっていた。

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