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黒いマリア様
38. 洗濯屋BUGADEKIAと近所の散策
この百均バッグが再び活躍するときが来た。洗濯物がたっぷり入る。
洗濯屋BUGADEKIAは、若い女性がひとりで運営していて「洗いと乾燥をセットで8ユーロ50セントよ。1時間半ぐらいで出来上がるわ。」とのこと。「ソフはある?」「?なんのことかしら…?」洗剤のことらしい。小分けして持参していた部屋干しアタックを手渡した。洗ってもらっている間に近所を散策することにした。
【タイムラプス】バルセロナ旧市街地区を歩く
ホテル、洗濯屋からの徒歩圏内に、カテドラル(バルセロナの守護神サンタ・エウラリアを祀る大聖堂)、バルセロナ歴史博物館、王の広場(コロンブスが凱旋帰国してイザベラ女王に謁見した時昇った扇形階段がある)、ピカソ美術館、サンタ・マリア・ダル・マル教会(14世紀の建物)など見どころが沢山ある。
昔の楽譜
黒いマリア像
カテドラルはバルセロナが隆盛を極めていた13世紀から建造開始された、典型的なカソリックの教会だ。ひんやりした広大な教会内に入ると、左右にずらっと金色の礼拝室が並び、正面には中央祭壇がある。私は南米で、スペイン人の所業についてさんざん見聞してきたので「ああ、黄金の像がここにもここにもある…。」と、シンパシィはまだペルーに半分残してきている感じだ。
像はどれも金箔の屏風でキラキラと飾られている。観光客に一番人気があって、供えられた蝋燭の数が多かったのは「黒いマリア像」だった。御利益を聞きつけて遠くからこのマリアに会いにくる人も多いという。ヨーロッパの人間たちは、大航海時代からの数世紀にわたって世界中で、相対的に肌の色の濃い他民族たちに酷い仕打ちを繰り返してきたのだから、黒いマリア様を大切にする行為には贖罪意識もあるのかな。
民族の歴史について考えはじめると、私がペルーで出会った人々は皆、日本人にどこか似ていた。親戚のあの子に似てる、中学校時代の隣の席の男子に似てる、と思い出してばかりいた。それもそのはず、2万年前の氷河期にユーラシア大陸を出発したモンゴル民族は、氷で陸続きになったベーリング海峡からアラスカに歩いて渡り、北アメリカ中央アメリカを縦断し、南米に行き着いたのだ。日本人とルーツが同じなのだから懐かしさを感じるわけである。
バルセロナ歴史博物館の地下に降りると、紀元前からの旧市街石組みを見ることができる。地中海のほとりに人々が住みつき始め、城壁を築き幾多の周辺民族との戦争や交易を経てバルセロナの町が拡張し、建造物の上に新たな建造を繰り返し今に至ることがとてもよくわかる。
洗濯物は軽く畳まれてふわふわに乾いて手渡された。柔軟剤の匂いが強烈すぎる。匂いを付着させるために使われている薬剤には毒性があるからちょっといやだなあ。
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