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夜と水と、文章と珈琲と

わたしの夜の定義は、外が暗くなってから眠りにつくまで。つい先日、立冬を迎えたばかりで、今から冬至が来ると思うとまだ長くなるのか。この時期は夜が長い。基本的に夜は苦手だけれど、楽しむ努力はしたいです。


車の運転中に、道路の落ち葉がダンスしていた。ヘッドライトが、一瞬だけ舞台のスポットライトに変身して、わたしの心も踊りました。


朝起きたら、これでもか!ってくらい喉が乾燥している季節がやってきました。水を飲みたい。


水筒の水を少し残すクセがあります。持ち歩く水分がなくなると、なんかこわくなる。手持ち無沙汰のとき、言いたいことを飲み込まなきゃいけないとき、水を飲みます。少々水がなくても、自動販売機で買えるのにね。少し水を残します。死なない水と常に共に。


こんな文章を書きたい、と憧れる文章に出会う。知的でユーモアに溢れて、やさしさと強い意志を感じる文章。リズムと臨場感を大事にしすぎると、独りよがりな文章になる気がします。知的さと強い意志には、裏付けと自信が大事。


分厚い本には、だいたいほしい言葉がある。

いま必要なのは、逆アンビルド、つまり「やりたいのにできない」ではなく、「できるのにやらない」ことを再考することです。

ビー・エヌ・エヌ スマートシティとキノコとブッダ p91より

そして、キノコの世界はロマンを感じる。


高速道路を走っていると、後ろからものすごいスピードのパトカーが横切りました。わたしの前の前を走っていた車の後ろにピタッとついたので、注意するために避けるのかと思いきや、ただ一緒に走り続けていました。しばらくその島の少し後方につけて走っていると、徐ろにパトカーが車線変更してピカピカと赤く光り始めました。そしてまたぐんとスピードを上げて見えなくなりました。これがパトロール?


そのパトカーと出会う前、後方車からハイビームをチカチカさせられました。俺様の道を開けろ!と言われた気がして、登坂車線に変更し、素直に道を譲りました。でも結局前は詰まっているから、わたしの車含めて2台分しか従えられなかった。わたし、そういう人、幸せじゃない気がしています。


夜の車の攻防戦で何が言いたいかと言うと、心に余裕がほしいです。


先日、1ヶ月森の中で展示させてもらった作品「汽音」。土の上にそのまま展示したところ、土や葉や枝が絡み合って、キノコまで生えていた。音に注目した作品だったので、この音の上にまた1ヶ月の軌跡を感じて、うれしくなりました。今回のnoteの扉絵にします。


珈琲ツアーの際に訪れたモーニングのお店で、イケてる雑誌が目に留まりました。早速トライアル購入。珈琲とワインの好きな味に傾向があるのか?という市民研究や、珈琲が毒だと謳われたマーケティング手法とその歴史、オーストラリアには実は量より質にこだわったコーヒーの生産地がある、などなど。珈琲好きのための定期購読「Standart」。朝の珈琲タイムに、思考と安らぎがプラスされます。


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