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昼下がりと夕方の間

家の窓を開けると、心地よい風が吹いてきて、このまま時が止まればいいのにと思う、昼下がりと夕方の間の時間。

美容室から帰ってきて、軽やかな気持ちのまま、ジェーン・スーさんの『おつかれ、今日の私。』(発行:マガジンハウス)を読む。ひとつひとつの言葉が沁みてきて、おつかれさま、と自分ではない誰かに伝えたくなるような本でした。

近くを走った軽トラに乗っていた近所のおじさんは、いつの間にか畑のあぜ道を歩いていた。

なんてことない日曜日だけど、田舎暮らしならではの自然の音が聞こえてきて、それだけで気持ちが浄化される。
ちなみに、気持ちが澱んでいたわけではない。でも、なんだかふわっとずっと宙に浮いていたくなる、そんな時間がわたしにはたまらなく必要だと思います。そんな時間が、わたしの心に平穏をもたらす気がしている。

そんな最高な日曜日。
6月に突入した途端、「そろそろ梅雨なんじゃないか」と焦り始め、わたしの暮らす岡山県も平年通りいくと、6月初旬には梅雨入りしそうだ。

こんなに青い空を眺めて、暑くもなく寒くもない風を感じられるのも、あと数日かもしれない。
梅雨が明けると夏。
7月にもなると、この家はとんでもなく暑くなり、クーラーなしではいられなくなります。

それでも、朝晩は涼しいから、夏の朝に窓を全開にして五感で自然を楽しむのが、夏の唯一の楽しみかもしれない。

そういえば、去年の夏はそれどころじゃなく忙しかった。日々を楽しむ心の余裕が全くなかった。
いま思うと、自分の身体は認識できるのに、中身が自分じゃない気がした。
きっと、飲み込まれていたんだと思う。

記憶に残っている夏の思い出で真っ先に浮かぶのは、風邪気味の休日に家から見えた、立体駐車場越しの花火だった。それも、花火の上部、端っこの端っこしか見えなかった。

苦い夏だったと思う。
あのときは、ひたすらに苦い夏を噛み締めて、「これが大人になるってことなんだ」と言い聞かせていました。

大人になんか、なりたいとも思っていなかったくせに。
それでも、自分が自分であるために、という盛大な勘違いをして、心身ともに削っていたような、そんな苦い夏でした。

自分で、自分がわからないことが、何よりもつらかった。

誰のためにしているんだろう。何のために仕事しているんだろう。
一度は対面するであろう、仕事の悩みという大きな壁。
イヤなことから逃げていたつもりはないけど、無意識にこの壁と向き合うことから逃げ続けていたのかもしれない。

一歩引くと、バランスが取れていなかっただけで。自分と仕事を重ねすぎていたのだと思う。
リアルとありたい姿と、現実と理想と。

仕事は仕事、プライベートはプライベート、とあまり区切りたくないタイプだけれど、オーバーラップしすぎていたことが不調の原因で。
自分の気持ちに正直に、をバカ正直に信じて貫くと、チームは成り立たないし社会には馴染めないのだと体感しました。

でも諦めているわけではないし、絶望しているわけではないです。
わたしの考えが及んでいなかっただけだと、それは前向きに捉えています。

そんな苦い夏を思い出していると、さわやかな風が現実に戻してくれました。
昼下がりと夕方の間。わたしの好きな時間。
おつかれさま、今日のわたし。

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