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迷ったらやめておく?とりあえずやってみる?どっちもアリだけど、それよりももっと大切だと思うこと。

何かを選択する際に、「迷うのであれば、今はやめておいた方がいい」という説と、「とりあえず、まずはやってみよう」という説があります。

これについて、「どっちがいいのか?」と考えたことがある人は、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

かくいう私も、ここ数年の間に、「はて、どっちがよかったのだろうか?」と考えさせられるような出来事が立て続けに起こっておりまして、ゆえに今回、このような記事を書いてみようと思い立ったわけです。


はじめに結論からいってしまうと、あくまでも一個人の私見ではありますが、「迷うなら一旦やめておく」も「とりま、やってみよう」もどっちもアリなんじゃないかということです。

「どっちがいいのか教えて!」とばかりに「正しい答え」を知りたい方にとっては、「何の解決にもなっていない無責任丸出しの役立たずな記事」になってしまいそうで、申し訳ありません。

でも、私のこれまでの経験を振り返ると、そういわざるを得ないというのが正直なところです。

  • 迷った末に「やらない」という選択をしたことで、「あの時にやめておいてよかったのかもしれない」と思えた出来事(やらなくて正解だったかも)

  • 迷った結果「やめた」けれども、「自分の進化・成長のチャンスを逃してしまったのかもしれない」と、少し惜しい思いをした出来事(やらなくて失敗したかも)

  • 迷いの部分がありつつも、「やってみなければわからない」と飛び込んでみたら、「この選択は間違っていなかった!やってよかった!」と心から思えた出来事(やってみて正解だった)

  • 迷った挙句に「やってみよう」決断した結果、「こりゃ大きな選択ミスをしたな」と思った出来事(やってみたけど失敗だった)

事の重要度や緊急性は異なれど、どれもこれも経験した結果です。

しかしながら、このようなことは当然に起こりうることで、いまさら私がドヤ顔でいうことでもありません。

そして、
「そんなことはわかっている。失敗の可能性がより少ない方を選びたいから、それを教えてほしいんだ。」
「みんなはどっちを選んでいるのかを知りたいんだ。多数派を選んでおけば、間違いはないだろう。」
なんて声が聞こえてきそうです。そう、まさに私がそうだったので。

でもですね。

ちょっと本筋からズレてしまうことを恐れずに申し上げますと、
拙いながらも人生経験を積んでいるうちに、何かを選択する際の大事な部分はそこ(迷ったらやめるのかorとりまやってみるのか)ではないかもしれない、ということにある時気がついたのです。

  • 何かを選択をする際は、たとえ周囲からの影響があったとしても、最終的に決めたのは自分だという覚悟を持つ。その結果、マイナスと思えるようなことが起こったとしても、外側のせい(他責)にはしない。

  • 社会的風潮や他者の意見・考えはある程度必要なデータではあるが、比重を置くのは、自分はどう感じるのか、自分はどうしたいのかという自分の本音、本心(にできるだけ近い部分)であること。

  • 仮に選択した先でマイナスと思えるような出来事が起こったとしても、それこそが自分の内面と向きあうことができるよき機会であると捉える。

これらは、やめようがとりまやってみようが共通の項目であり、ある時から私は、何かを選択する際には、これらをふまえて決断するように意識しました。

すると、どのような結果になっても、最終的には肯定することができるようになったのです。(もちろん、その時に発生した課題を明確にして、次に活かすよう心がけてはいますが)

ここ最近も、比較的大きな選択を迫られた出来事があったのですが、迷いながらも「やってみる」という決断をしました。

そして、その結果はなかなかに厳しい状況なわけで、一瞬「しまった!またしても、私の選択は間違えてしまったのか?」という言葉が、超特急で脳裏を駆け巡ったのはいうまでもありません。

しかし、この決断をした時を思い出したことで、「今のこの現実を作り上げたのは、他の誰でもない自分自身。だからこそ、この環境で、自分はどんな学びが得られるんだろうか?」といったように捉え方を変えてみたのです。

そして、「この環境のどんなところに、私は違和感を覚えるのだろう?」と自分の気持ちを感じ取り、内面を掘り下げていくことで、自分はどう生きていきたいのかという方向性が、あらためて明確になりました。

そうなると自然と心にゆとりができ、今置かれている辛いとされる現実も、「面白おかしく乗り越えられるから、きっと大丈夫だ」という気持ちに変わることができたのです。(ていうか、まだ現在進行形なのですが)

「どっちが正しいんだろう?」と外側にばかり正解を求めたり、「みんなは何を選ぶんだろう?」と周りの目を気にしているうちは、また同じような状況がぐるぐると巡ってくるのは、経験上いえること。(はい、私は何度も痛い思いを経験をしています。)

さらに、「私が会社でこんなひどい目に遭っているのは、隣のあの人が意地悪だから・・・上司が無能だから・・・組織の仕組みがおかしいから・・・社会が悪いから・・・」と外側にばかりに責任を押し付けるのをやめないと、問題は一向に解決しないばかりでなく、悪循環、負の連鎖が永遠に続くのでしょう。(はい、自分にいってますよ)

いいかげんそのループから抜け出して自分がしっくりくる生き方をするには、見たくもないかっこ悪い自分と向き合い続け、自分の内面を掘り下げ、自分の本音に辿り着くことで得られるのかと私は思っています。

自分にとっての正解は自分の中にしかない、なんていわれますしね。

だから、「迷ったらやめた方がいいのか、とりまやってみた方がいいのか、どっちがいいの?」と考えた自分に対しては、
「正解も間違いもないからどっちもアリだけど、それよりももっと力を注ぐことがあるよね」
と伝えたいです。


ところで、「迷ったらやめておく」と「とりまやってみる」のどちらが失敗の確率が低いと思いますか。

調べたわけではないのですが、私の感覚では「前者」です。

だって、何も行動を起こさなければ、「何も起こらない=失敗がない」わけですので、当然といえば当然なのはないでしょうか。

その分、何かを成し遂げるまでのプロセスは経験できませんし、それを乗り越えた際の喜びや成功体験なども味わうことはできませんけどね。

はい、どっちがいい悪いでも、正しい間違いもありません。

ですが、私の場合は、「迷ったけれど、とりまやってみる」を選ぶ方が多い気がします。

その分失敗も多いのでしょうが、失敗はフィードバックだとか、失敗談は他者の役に立てるともいわれていますので、それを考えれば、これほど美味しい経験(人生ネタ)はありませんよね。(ちょっとポジティブが過ぎますかね?)


ということで、これまで述べてきたことは、いうまでもなく持論です。

「こんな変わったことを考える人もいるんだな」程度で捉えていただけると、今後も気楽に書くことができますので、どうかどうか、広いお心と温かい目で見守っていただければ幸いです。


さいごに一言。

実は数年前から、この「note」をやろうかどうか迷っていました。
私が運営しているブログで、過去にその心情を綴ったものを記事として挙げています。

この記事を書いてからずいぶんな時間が経ってはおりますが、あることをきっかけに、今回意を決して「とりま、やってみる」ことにしました。

はたしてこれが、今後どのような結果になるのでしょうか。
今から楽しみでしかたありません。

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