好奇心について

キーワード
好奇心の効果、拡散的好奇心、特殊的好奇心、好奇心を高めるには、好奇心と共に生きる

 みなさん好奇心は持っていますか。それはどのような好奇心ですか。周りの事象に関することや自己の内面に対して疑問に思って思索を深めることもあるでしょう。自分では好奇心が弱いと思っていても周りから見るとむしろ強いと思われていることもあります。というのも、私がそのパターンだったからです。自分ではわからないことをそのままにしておくのが気持ち悪くて、検索リストを作成して空き時間に消化していたことが人に「好奇心の強い人」という印象を抱かせていたようです。自分では普通だと思っていることが、他の人から見るとこだわりやその人の特性として捉えられることは結構あるようですね。私はこの好奇心のおかげでできたことがいっぱいあります。高校の時に海外研修に格安で行けたり、町おこしのコンテストや社会問題解決のイベントで最優秀賞に選ばれたり、ファイナリストに残ったのも好奇心のおかげです。京大で隔週で講義を受けるコースに参加したのもやはり好奇心のおかげだったと思っています。今回はこの「好奇心」について書いていきたいと思います。

 さて、最近はさまざまなメディアで好奇心を持つことの重要性が説かれていますね。例えば、同じ本を読むにしても好奇心を持って読んだ方が楽しめるし、理解度が上がるとか。あるいは同じ講義や講演を聴くにしても好奇心を持って、質問を考えながら聞いた方が自分ごととして捉えやすいですし、結果としてそのアウトプットも良質なものになりやすいです。それに好奇心を持つことは心身にも良い影響を与えることがわかっています。
 心理学者のバーラインは好奇心を2つに分類しました。それは未知の情報を目標なく求める拡散的好奇心と目標を定めて既知の情報を深掘りしていく特殊的好奇心です。好奇心をこの2つに分類した研究で次のようなことが示唆されています。強い拡散的好奇心を持つ人は探究心、論理的思考力、客観的視点に優れている。そして、特殊的好奇心は勤勉性や開放性を上げ、未知の情報に興味を持つことや集中力の上昇につながると言われています。そして開放性が高いと勉強の嫌悪をしなくなったり、楽観的な認知力の高さにつながるとされています。また、好奇心全般においては死亡リスクを下げるという報告もされています。遺伝的な研究もされていますが、これは好奇心というよりは開放性に関するものなので今回は割愛します。
 好奇心が強い人と一緒にいると自分も巻き込まれて自分も色々なことを考えるきっかけになるからとても楽しいです。もしかしたら好奇心を高めることで周りにそんな人に見られて嬉しい!なんて効果もあるのかもしれません。

 でも、そもそも好奇心ってなんでしょう。コトバンクのニッポニカの説明をここに貼り付けておきます。


 まぁ、ざっくり言ってしまえば新しくて珍しいものであったり、意外なこと、複雑なことなどの刺激に応じて生まれる、調べたり知ろうとする気持ちということだと思います。確かにこの説明であれば私の認識ともほぼ一致します。私の言葉で好奇心を説明するとするならば、「今まで当たり前と認識しているものの異質な部分を見つけること、あえて異質とみなすこと。そしてその異質なものをより深く理解し受け入れる準備をすること」です。自分の中で新しかったり意外なものを当たり前のものから作っている点は少し一般とは違うのかもしれません。

 上で少し好奇心の持つ効果について触れましたが、好奇心を高めるにはどうしたらいいのでしょうか。インターネットで少し調べてみれば無数に見つかるトピックではあるので、あえて調べたものには触れません。今回は私がやっていること<ネットに既出かも知れませんが>に焦点を当てて考えてみたいと思います。私の好奇心は先の「今まで当たり前と認識しているものの異質な部分を見つけること、あえて異質とみなすこと。そしてその異質なものをより深く理解し、受け入れる準備をすること」です。
 そしてこれは次のステップに分解できます。1.生活していて妙にうまく回っていることだったり、なかったら困ることを認識する2.これがなかったらどうなるかを想像したり、実際に使わないようにしてみる3.必要性を再認識あるいは人によっては必要ないことを理解する4.一旦知識をまっさらにした状態でそれがどのような経緯で作られたものなのか、どのように動いているのかを知る5.関連した論文を読んだり他の地域での運用状況を知る6.自分の知識や経験からそれのより良い形とは何かを考えてみる7.なぜ自分の考えた形になっていないのかを調べたり考えてたりしてみる
 おおむねこのようなステップを踏んで自分の好奇心を満たしたり、高めたりしています。単純な調べごとでもこのようなステップを踏むのが常です。この場合はステップ4から始めることが多いですが。もちろん自分の考えを思いつくためには本を読んだりすることも欠かせません。ある程度知識がついてくると自分で仮説を立てることもできるようになってきます。それをすることによって意外なものに関しては知識として定着しやすくなり、自分で考えることがとても楽しくなります。
 この中で個人的に大事だと思っているステップは1番と6番、そして7番です。1番に関しては最重要のステップです。なにしろ問いを発するステップになるわけですから。問いが悪かったら終着点も悪くなりがちですし、問いがあるからこそ方向性が見えてくるわけです。地図なし、目印なしで知らない場所を歩くようなものです。これは訓練が必要になる部分ではありますが、突拍子もない問いを発することを怖がらないことが大事になるのかなと思います。数をこなせばそれだけ面白い問いに出会える可能性は上がりますし、自分だけが考えられる問いだとか自分の好きなジャンルに気づくチャンスは増えます。6と7は問題を自分ごととして捉えられるので能動的に考えたり調べ事をしたりすることに繋がります。没入したり、興味を強めることができるわけですね。そして、自分しか考えたことのない領域に突入した時<意外に見つけられる確率は低いのですが>、最高に楽しいです。私も考えるだけは考えたとある便利グッズがあったのですが、その3年後くらいに特許庁の特許掲載サイトに非常に似たコンセプトの特許が見つかって自分と同じことを考える人がいるのだなと親近感を覚えると共に、ちゃんと形にしておくんだったと思ったことがありました。
 このステップを最初から実行するのはハードルが高いと感じた方、正直私も以前の私に聞かせたら卒倒するだろうなと思います。そんな時は新書を買ったり、科学博物館や美術館などに行ってみたらいかがでしょう。色々な研究に触れたり作者の意図だったり当時の技法に思いを巡らせて、研究の応用を考えたり技法の使える範囲や画材に疑問を持つなどが大きな一歩になると思います。どんなに小さな疑問でもとっておくことはとても素敵なことです。いずれは好奇心と共に生きることができるのではないでしょうか。

 ただ、行きすぎた好奇心は害になるのではないかと考える方もいるでしょう。個人的にはその考えには同意します。好奇心は猫をも殺すという言葉もあるように、好奇心が強くなりすぎるとなんでも経験だと思って飛び込んでいってしまうきらいがあります。それに広がりすぎた疑問を回収できなくなって精神をすり減らしてしまったり…….。物事の全てを知るのは無理なことです。研究も専門的なものになればなるほど理解が難しくどのように理解すればいいのかさえもわからなくなってしまう。そんなことも増えていきます。完璧主義になると苦しくて、問いを発することさえもしんどくなってしまうこともあります。しかし、です。好奇心と共に生きるというのは趣味みたいなもので、苦しくなった時は離れていいんです。それまでの積み重ねは少なくとも色々なことを考える時の材料にはなるし、苦しくなくなった時にまた始めれば全く問題ない。そういう気持ちの最善主義を目指すのが大事なんだろうなと私は思います。私も講演会はおろか本にも触れなかった時期が年単位でありました。でも、今はまた好奇心と共に生きることを選んでいます。楽しい方に進めるのならそれが1番良いと思うからです。

 もし、これを読んだ人のうちごく僅かでも好奇心と共に生きることを選ぶ人がいるのならばとても嬉しく思います。「仲間だ!!」って思えるので。仮にそうでなくても、ここまで文章を読んでもらえてとても嬉しかったです。それでは、また。今週も良い1週間になりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?