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科学技術といかに共生するか(近刊『鋼鉄と電子の塔』座談会公開 3/3)

前回前々回の記事に引き続き、2020年12月上旬刊行予定の『鋼鉄と電子の塔:いかにして科学技術を語り、科学技術とともに歩むか』座談会より、最後のパートとなる
 3 無関心問題(メッセージが届かない人にいかにアプローチするか)
 4 座談会の最後にあたって(読者へのメッセージ)

を公開します。

ヘッダ

『鋼鉄と電子の塔』
第4部 塔を囲む人々―執筆者座談会

2020年5月15日(金)、Web会議システムによりオンラインで開催
参加者:
 桝本晃章 (一社)日本動力協会会長
 唐木英明 東京大学名誉教授、(公財)食の安全・安心財団理事長
 平川秀幸 大阪大学COデザインセンター教授
 山口彰 東京大学大学院工学系研究科教授
 城山英明 東京大学大学院法学政治学研究科・公共政策大学院教授
 島薗進 上智大学大学院実践宗教学研究科教授、同グリーフケア研究所所長
司会:大来雄二 金沢工業大学客員教授、電気学会倫理委員会コーディネーター
司会補:佐藤清 電気学会倫理委員会コーディネーター

3 無関心問題(メッセージが届かない人にいかにアプローチするか)

大来
最後は無関心問題です。メッセージを送ろうとしている側が一所懸命メッセージを発しても届かない、あるいは誰が届ける役割を担うかという問題を議論したいと思います。ジャーナリズムは誰と誰をつなぐのか。科学者と社会の間、あるいは政治家と社会の間、専門家と専門家の間もあります。どのようにアプローチしていけばよいでしょうか。

島薗
今回のコロナでは、日本は五輪という要因もあって、対策も情報発信も遅れました。その中で京都大学の山中先生は独自のサイトをつくった。そこまでできたのは、iPS細胞を社会に浸透させる活動を続けてきた背景もあると思います。山梨大学の島田学長や、各研究機関も活発に発言して、それが政府側の弱さを補っています。日本社会の科学技術に関するコミュニケーションの熟成度を逆に示しました。一方、ジャーナリズムではPCR検査の不要論が強く出てしまった。そこは日本の科学技術ジャーナリズムの足腰の弱さでは、と思うのです。
その後の展開を見ると、底力はあるのに、それをうまく結び付ける働きを政府、あるいは学会も適切にできていないのではないか。そういうところに資源を投ずるという考えが弱い。そのあたりを相互にコーディネートしていく科学技術政策、その中では人文社会系が大きな役割を果たす。これも無関心の克服という点では非常に重要じゃないかと。大学教育でこういう問題を取り上げる、その体制強化も必要と思います。

山口
まず思うのは、無関心の人が多いことの何が問題なのか、あまり共有されていないのではと。政策の意思決定に困るなら、政治家さえしっかりしていればいいわけです。現実的にも、世論調査を見ると放射線でも原子力でも、恩恵を受けていながらそれを知らない人のほうが多い。これを問題とするなら、恩恵だけでなく、同時にリスクなども無関心層に伝えなければいけない。ですから、無関心の何が問題なのかを明確にしておきたいというのが、まず一つ。
二つ目に、人間というのは、メニューがないと物事を決めにくいだろうと思います。振り返って、いままで我々が、そういう伝え方ができていたかというと、そうではなかった。たとえばレストランに入っていきなり何にしますかといわれても困ります。前菜、メイン、デザート、飲み物といろいろありますが、そういう見せ方の工夫、提示の仕方はあまりできていなかった。
三つ目は、初等中等教育の問題です。よくいわれるのは、やはり小中学校の先生が原子力を教えることの難しさですが、バイオとかナノテクとか遺伝子工学とかも含めて、何を教えるかという議論を改めてしないといけないと思いました。

大来
1点目についてですが、これは国のあり方にかかわる問題だと思っています。選挙民が判断を誤れば、民主主義を否定するような政治をやっても、国が成り立ちます。ナチが典型ですよね。独裁国家なら、無関心層はいくら多くてもよいわけですが。
政治家は必ず間違える、しかし間違えても修正できるというのが民主主義だと私は思います。ですから政治家の質がよければ間違えないという問題ではなく、間違ったときにいかに応じるかという、受け止め側の問題になります。政治家や科学者、技術者、企業人がやることを、大勢の方がどう受け止められるか。日本が民主主義の道を進むなら、無関心の問題はその生死にかかわる大問題であり、だからこそご議論願いたいと、司会として思っておりました。

唐木
食品安全の一番の課題は、消費者の添加物や農薬が恐いという先入観です。先入観があると、確証バイアスが働いて先入観を裏づける情報しか受け入れない。関心があればいろいろ調べるはずだけれど、先入観で凝り固まっている。これは科学や安全問題に対する無関心と通じるものがあって、先入観と確証バイアスが一番の問題点であると私は思っています。ではどうするかですが、山口先生と同じで、リスクと科学の教育にもう少し力を入れる、そこが基盤になるんだろうと思います。
また、そういう人たちに対する情報発信の方法の問題があります。良くも悪くも、話題性があって手段があれば、世の中のほとんどの人が関心をもち、マスメディアまで報道するようなことがありますよね。たとえば山梨のコロナ感染者がバスで東京に帰ったことが報道され、ネットで炎上騒ぎになって、名前まで拡散した。この例は適切ではないかもしれないけれど、多くの人が関心をもつ情報発信の方法はある。しかし、我々が使わない、あるいは知らないだけかもしれない。そういう新しい方法の活用も身につけなくてはと日頃思っているのですが、これを実現するためにはお金も知恵も必要ということだと思います。

大来
伝え方によっては伝わるんだというお話しは非常に重要な問題提起だと思うのですけれど、どなたかご意見をいただけませんでしょうか。

城山
いまの山梨の女性の話とは少しずれるかもしれませんが、無関心にも二つのタイプ、問題があるのかなという気がしました。
まず、そもそも本当に関心がないというタイプ。たとえば健康増進策だと関心をもつ人は一定比率いますが、一番対応してもらいたい人が、まったく関心をもたない。たとえば肥満なんかは典型的な問題だと思います。そういうタイプの人をどうするかという課題があります。
それから唐木先生が挙げたような、中途半端に凝り固まっている人たち。ある既成概念にとらわれて新しいものを受け付けないタイプの人です。そこには、場合によってはその凝り固まったものがむしろ訴求力が強いというか、伝播していくという問題も発生します。
それで、どうやって対応するかとなると、いままでお話があるように、正攻法しかないところがあります。いろいろな選択肢を考えるときにも、プラス面もマイナス面も、幅広く認識してもらうようやっていくしかなくて、それは広い意味での教育なんだと思うんですよね。
先ほど出てきたテクノロジーアセスメントも、政策決定でも重要ですが、そういう人たちに伝えるのがより重要ではないかと。たとえば健康増進法でも、エネルギー源でも、どういうプラス面とマイナス面があるかとかですね。そういうのを要約、集約して学べるようにするのが本来のテクノロジーアセスメントで、それを社会に根づかせていくというのは重要と思います。その意味でSNSをどう使うかとか、質のいい情報が伝播しやすいようなコミュニケーション回路を設計するとか、そういう工夫、方向性が必要なのかなという気がします。

唐木
昔、みのもんた氏がテレビで一言いうと、その食品がすべてスーパーから売り切れた。これこそ最高のリスコミ手段だと、最初は冗談でしたが、現在は、そういうカリスマ的なリスクコミュニケータをうまく養成できないかと考えています。SNSですごい数のフォロアーをもつ人が出てきている。そういう人たちと連携する、育成するのも一つの手かなという話もあります。

島薗
唐木先生の書かれた、予算を投入してSNSで、それも多量の情報を、有力な人を使ってやるということが、広告代理店などを通していま実際に、政治的な意見についても行われていると疑われています。物事を解決するのに、基礎となる科学技術の情報もそのように発信するというのは、力による押しつけにつながる。開かれた討議で自由な判断を求めるというのとは違うやり方になる、そこは気をつけなければならないと、私は思っています。

平川
いま出てきた論点に関連して、いくつか申し上げます。一つ目は城山さんが最後におっしゃった、質のいい情報が伝播する工夫ですが、ヨーロッパにGreenFactsというウェブサイトがあります。国連やアカデミー、国際機関などの科学的合意文書、いろんな報告書類を集約しているサイトですが、単純に報告書そのものの掲載だけではなくて、情報を3段階にかみ砕いて提示しています。1段階目は、誰でもその問題の要点がわかるような入口的情報です。次に、その話題を知る人向けに、より詳細がわかる情報をまとめて出しています。最後は報告書そのものです。
こういうものが日本でもうまくできると、世の中で何か問題になったときは、メディアも含め、そこをまず最低限参照して活用しようということができます。賛否は別として、専門家の間でわかっている範囲を含めた、その事柄に対するコンセンサスがある。ここをまず出発点に話していこうということが可能になります。さらにメディアに対しては、記事の中で科学的情報のソースを示してほしいという読者はいま増えていて、それに応えていくことが質のいい情報伝播の仕掛けになり、好循環が生まれるというのが一つあると思います。
それから二つ目が、すでに出た話と関係しますが、人文社会系の役割です。科学技術の側からどう伝えるかが問題設定の主体になりがちですけれど、受け手の側から考えるアプローチがあります。抽象的ですが、真正面のみでなく、多方向からの視点で考える。社会、消費者の側からは、科学技術はどう見えるか、どういう問題を専門家に考えてもらいたいか、何を実現してほしいかなどを探り、それを情報発信に反映させることが必要です。
たとえば、医療を科学技術の視点から見ると、iPS細胞とか治療法とか、テクニカルな話が中心になりますが、一般の人にとって医療はまさに自分や家族をどう助けてくれるかになる。そういう、利用者からは科学技術はこう見えるということを、社会の側から科学技術の専門家、あるいは政治・行政の側へ翻訳するのが、人文社会科学の大きな役割ではないか。人文社会系は、まさに社会の問題、人間の問題をどう見るかというプロであるわけです。現在、科学技術は社会を構成する一部となっているわけで、人文社会科学の専門家がどう仲立ちするか、大きな課題ではないでしょうか。


4 座談会の最後にあたって(読者へのメッセージ)

大来
最後に、今日の座談会でご自身が考えたこと、そして本書の読者の方々に伝えたいことをお願いします。

唐木
科学技術は日々複雑になり、いまや、私も専門外はほぼ理解できない世界です。しかし、科学技術は生活に密着した存在にもなっている。ウルリッヒ・ベックが「リスク社会」という本に書いていますが、昔のリスク、たとえば食品の腐敗は五感でわかるから、自分でリスク管理ができる。ところが現在問題になっている化学物質や放射線の存在は五感では認知できない。専門的な測定機器を使って初めてわかる。その結果、リスクの大きさやリスク管理の状況は科学者しかわからない。そんな世の中で、科学者や国のリスク管理に疑いが生じると、どうしようもなく不安になる。いまは多分そういう社会だろうと思います。
結局は、科学者、企業、政府が、市民の信頼を勝ち取るしか解決法はない。言うは易しですが、実現はきわめて難しい。具体策を我々は真剣に考えなくてはならない、そういう時代と思います。

平川
まず、今日一つ思ったのは、さまざまな分野・組織の人の間でも、こういうざっくばらん、しかし突っ込んだ議論ができる場が、多くあればいいなということです。今日のようにオンラインであれば、物理的な距離を超えてできます。こういう機会が、現在の環境下で広がれば面白いなと思いました。
科学技術の問題は結局、それを含む社会の問題です。普段気にしていなくても、何か問題が起きれば自らの生活に直結します。今回のコロナで、そう実感している人も増えていると思うんですね。なので、これを機会に、日頃から一つでも関心をもつ、あるいはそこから広げて、専門家に話を聞くとか、自分たちなりに議論してみるとか、トライしてもらえると面白いかなと思います。

山口
今日の議論でもつくづく感じるのは、いまや科学とともに歩むのは避けられない時代になっているなと。身の回りには、選択の余地なくさまざまな技術が入り込んでいるわけですね。そういう状態であると認識することが、まず非常に大切と思います。
そのうえで、未知の問題にどう取り組むのか。これは必ずしも十分に予測できないわけで、それを認めつつ、知識をつねにアップデートしていく。リスク評価とは、リスクの大小ではなく、知らないことを明らかにすることであり、それを継続的に行う習慣をつくっていくのが重要だと思います。
どうやって実現していくかですが、これはモデルの考え方が要るのではないか。社会も経済も、理学も工学もみなモデルという発想をしていたと思います。しかし科学技術を社会の意思決定の問題として捉えるときのモデルの問題は、ほとんど議論されていない。モデルにはインプット、アウトプットがありますが、それらは何なのか。今日の議論でも国を始め、いろんなプレーヤーの名前が出ましたが、それらがモデルの要素なんだと思います。科学を扱う社会システムのモデリングを考えてみるのは、意義があるんじゃないかなと。

城山
専門家間のコミュニケーションの難しさというのが、今日の議論でもありました。専門家もある一面しか見られていないわけですね。他方、受け手の視点が大事という話もあって、いろいろなステークホルダーが多様な観点、関心をもつわけです。そういった専門家とステークホルダーの視角の間を誰がつなぐか。このメカニズムを、政府だけでなく、社会としてつくる必要があると思います。これには専門家自身が果たす役割も大きい。責任ある研究とイノベーションというのは、まさにそれを求めることだろうと思います。
それからもう一つ、私自身は触れませんでしたが、人文社会科学の役割です。科学技術基本法の話もありましたが、より大きくは、科学技術政策で人文社会系が求められる機能です。いままでは、倫理的、法的、社会的に問題がないかというある種のチェックリスト、ゲートキーパー的な役割だったのです。他方、社会のあり方を考えて科学技術を導入しようというなら、まさに人文社会科学は長年にわたって社会のあり方の設計を議論してきたわけです。あるべき社会の構想や価値の設定にどのように能動的に関与していくのかが、次のフェーズとして大事ではないかと思っています。

島薗
無関心問題ですが、今日取り上げた問題の多くに、国民が関心をもっている。直近ではコロナウイルスですが、自分たちの生活に直結していますね。だからみんな依存症に近いくらいテレビなどの情報を見ていると思うのですが、これは決して悪いことばかりではない。科学技術がいかに深く我々の生活にかかわっているか認識する機会でもあると思います。食品安全も原子力も、普段必ずしも関心が高くないが、健康にかかわると関心をもつというのが多い。ヒト胚とかゲノム編集でも生殖補助医療へのかかわりでは関心をもちます。
これがたとえばデザイナーベイビーとなると、どう考えていいのかわからない。自分の生活との関係が見えず、なかなか関心がもてない。それは自然なことですが、長期的には私たちのコミュニティを大きく変える可能性があるはずだから、関心をもたなければいけない。今後はそういう方向に進んでいくはずだと私は思います。
ですから専門家にとって、素人がうるさくいう領域は、科学技術リテラシーを高めていくよい機会でもあると思うんですね。まさに原子力はそうなりました。今回いただいたこういうやり取りの機会は非常に貴重で、立場による視点の違いがあらわになる。それが日常生活と同時に政策決定にもかかわってくる。そういう議論の場ができていくことが、一番好ましいことではないかと思っております。

桝本
まず、今日の議論で私自身いろいろ勉強となったことに御礼を申し上げたい。いろいろな話題がありましたが、ある意味で専門家間のコミュニケーションが中心だったと、私は思います。そして最後のほうで、平川先生が受け手という言葉を使われました。この受け手がじつはコミュニケーションのもう一つの大きい対象になります。この受け手をどう理解するか、あるいはどう伝えるか、これはなかなか難しく、専門家の方々にも、考えていただく価値のあることだと思います。
意見や考えの違う人たちのコミュニケーションについて、私はいつもこう思います。違いも、共通点も、この両方がわかることに意味があると。英語でもone size never fits allといいますが、一つに一つの解答があるわけではありません。多様な要素でできている世の中ですから、コミュニケーションはますます重要と思います。

出典:『鋼鉄と電子の塔:いかにして科学技術を語り、科学技術とともに歩むか』第4部

★第1回、第2回の記事はこちら:

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『鋼鉄と電子の塔:いかにして科学技術を語り、科学技術とともに歩むか』
大来雄二、桝本晃章、唐木英明、平川秀幸、山口彰、城山英明、島薗進 著
電気学会倫理委員会 編
四六判、304ページ、定価3520円
2020年12月上旬刊行予定

科学技術と社会の関係がいま、大きく揺らいでいる。

高度に進化し、日常に深く浸透したテクノロジーは、もはや科学的知見だけでは制御しきれないものとなった。それにより、科学技術の専門家、ひいては科学技術そのものが、しばしば疑いの目で見られ、時にないがしろにされるような状況が生まれている。しかし私たちの日々の生活は、科学技術なしには到底成り立たない。

科学技術といかに共生していくか――。この問いがいま、現代社会に生きる人々すべてに対して突きつけられている。テクノロジーへの無自覚・無関心な依存を脱し、互いに語らうべきときが来た。

原子力発電、遺伝子組換え、BSE、地球温暖化、そして新型コロナウイルス――。科学技術と社会の関係深化がもたらす課題と、それらをめぐるコミュニケーション・意思決定のあり方について、産業・理工学・人文社会学の各分野の第一人者たちが、それぞれの視点から切り込んでいく。

〈人類にとっての科学技術の意義とは〉、〈なぜ人々は科学技術に不信感を抱くのか〉、〈科学技術の光と影に、どのように向き合うべきか〉・・・。

各章で示される主張はまた、我々自身へのさらなる問いかけでもある。これらは現実の複雑さを投影して、さまざまな視角をもつ多次元の写し鏡をなしている。多面的な対話の重要性を、あなたは理解することになるだろう。

突きつけられた問いに向き合い、ともに語り、そして前進するための燈火となる書。

【目次】
第1部 シンアルの地――社会にとっての科学技術を理解する
 1章 不可避的に深まる科学技術と社会の関係(大来雄二)
第2部 言語の混乱――コミュニケーションとは何かを考える
 2章 科学技術の恩恵は見えているか:電気の“空気化”がもたらしたもの(桝本晃章)
 3章 不信と誤解が招く不安(唐木英明)
 4章 コミュニケーションのすれ違いをどう理解するか(平川秀幸)
第3部 王《ニムロド》のいない街――誰が、何を、どのように意思決定するべきか
 5章 「安全」の描像:リスクといかに共存するか(山口彰)
 6章 社会における科学技術のガバナンスと専門家の役割(城山英明)
 7章 科学技術専門家が市民の信頼を失う経緯(島薗進)
第4部 塔を囲む人々――執筆者座談会
 1 原子力発電の過去・現在・未来(福島原発事故と汚染水)
 2 未知の脅威にどう備えるか(次の感染症、次の大津波はいつか必ず来る)
 3 無関心問題(メッセージが届かない人にどうアプローチするか)
 4 座談会の最後にあたって(読者へのメッセージ)

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