これだけは身につけておきたい! 情報技術とデジタル社会の必須知識――近刊『サイバーフィジカル ― デジタル時代を「生き抜く」エンジニアの基礎教養 ― 』はじめに公開
2022年6月中旬発行予定の新刊書籍、『サイバーフィジカル ― デジタル時代を「生き抜く」エンジニアの基礎教養 ― 』のご紹介です。
同書の「はじめに」を、発行に先駆けて公開します。
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はじめに
昔から、情報技術開発者、IT技術者の人材不足が指摘され続けてきました。不思議なことに、この問題はいまだに解決されていません。業界に長く携わり、現在でも大学でIT業界に人材を送り出している立場の私からすれば、ITを用いてさまざまな問題を解決するこの業界での仕事はとてもおもしろいはずなのに、なぜか、永遠に人材不足が続いているようです。IT技術者の人材不足が指摘され続けている理由の一つとして、IT業界が比較的新しい産業であり、技術が進化し続けているから、ということを指摘できるでしょう。新しい技術を覚えても、すぐに技術が陳腐化してしまうので、つねに勉強を続けていなければならないという厳しさがあるからです。
現代は高度情報化社会となっており、その社会を支える人材が必要不可欠です。また、ITはますます高度化し、これまで以上に高度な知見を有するIT技術者が求められるようになりました。さらには人工知能、ロボティクスなど、過去にはSF映画の世界にしか見出せなかった技術が現実のものとなってきています。
たとえば、スマートスピーカーとよばれる人工知能を搭載した対話システム(エージェントシステム)は、一つのよい例でしょう。スマートスピーカーは、それ自身に組み込まれた処理に従ってあらかじめ用意された答えを返しているのではありません。ネットワークで接続された先のどこかにある超高性能なサーバコンピュータを使って、問いかけに対する適切な答えを探すという、高度な音声対話の処理が行われています。ネットワークを通じて、つねにデータを収集し、学習することで、スマートなはたらきが実現されているのです。
あるいは、近い将来に実用化が期待されている自動運転技術はどうでしょうか。自動運転システムは、各種のセンサーで得られた外界の情報を基に、システム内で現実世界のシミュレーションを行います。さらに、それだけではなく、シミュレーションの結果に従って、アクセルやブレーキ、操舵角を制御し、実際に人を乗せて運ぶことになります。
このように、高度情報化社会は、ただ高度な情報処理に基づいているだけではなく、情報システムと現実世界が、リアルタイムで密接に結びつくことで実現されることがわかります。すなわち、これからの情報技術は、ITの世界だけではなく、それがはたらく現実世界のことも一体的に考えていかなければなりません。そのような社会の変化を背景に、近年注目を浴びるようになってきたのがサイバーフィジカルという概念です。
サイバーフィジカル技術という言葉には、皆さん、まだあまり馴染みがないかもしれません。本書で解説するサイバーフィジカル技術は、高度なITを用いてサイバーワールドと現実(リアルワールド)を連携させ、我々の生活を物理的に(フィジカルに)最適化しようという技術です。そのためにはITの基礎知識を学ぶことはもちろん、ITのシステム開発に必要な知識や、ITで実装したシステムを稼働させるリアルワールドにおけるルール(法律など)も配慮しなければなりません。
また、サイバー犯罪や社会を支える情報システムへのサイバー攻撃など、社会問題化しつつあり、早急に対処しなければならない課題も増えてきています。サイバーフィジカルシステムが普及する今後の社会において、これらの行為はその被害がサイバーワールドに留まらず、現実の生活に被害が及びます。それらの課題に対して直接の対策にかかわるか否かはさておくとしても、ITの開発に携わる者であれば、最低限、これらの知識も身につけておく必要があるでしょう。
本書は、情報技術の基礎知識を平易に解説する入門書です。ただし、ともすると技術一辺倒になる情報工学的な入門書に欠けている視点、すなわち、上記のような社会実装を行う際に必ず求められる、社会的な観点も踏まえて解説を試みます。
本書では、まず第1章でサイバーフィジカル社会の基本的な概念を示します。サイバーフィジカルシステムとは何か、社会を支える情報システムはどうあるべきかを提示します。さらに、システムを社会実装してITによるサービスを世間に提供するためには、技術的な知識だけではなく社会的な知識も必要であることを強調します。
第2章から第5章までは、技術的な項目に焦点を当てた解説です。第2章はITの原理について、ごく基本的な部分から解説します。チューリングマシンから始め、コンピュータの根本原理を示します。さらに、サイバーフィジカルシステムに必要なリアルワールドとサイバーワールドの接点について説明します。第2章の後半はソフトウェアとプログラミングについての解説です。
第3章は情報システムの構成について述べています。情報システムの3要素であるコンピュータとデータベース、ネットワークについて概観します。
第4章は、サイバー空間における情報処理を、分散システムの実現形態という観点から整理しています。クライアント・サーバシステムの解説から始まり、現代においては典型的なサーバ・コンピューティング環境であるクラウドコンピューティング環境に言及します。
第5章はアプリケーションレベルの情報処理について、いくつかのトピックを紹介しながら具体例で説明します。人工知能、機械学習、自然言語処理、統計処理、あるいは業務の自動化やコミュニケーションツールといった、先進事例から日常の事例まで、幅広い事例を紹介します。
第6章以降、本書の後半は社会的な話題についても踏み込みます。第6章は、システム開発、ソフトウェア開発や運用に関する話題を取り上げます。システム開発のモデルを紹介し、システムのライフサイクルについて説明します。さらに、クラウドコンピューティングの項で紹介するいくつかのサービスカテゴリに関して、具体的な利用例を紹介します。具体的なイメージをつかむことで、より理解が深まることを期待します。また、開発におけるテストの重要性とテスト方法についても簡単に紹介します。
第7章は、情報システム開発に関する文化的側面にスポットライトを当てます。ドッグイヤーならぬマウスイヤーともいわれるこの速い技術開発の流れをキャッチアップし続けるためにも、情報処理技術者は日々勉強しなければなりません。そのための心構えを説明し、さらにコミュニティへの参加やオープンソースソフトウェアというソフトウェア開発文化、さらにはその土台となっているライセンスを遵守するという考え方を紹介します。
第8章はぐっと社会的な話題に及びます。サイバーフィジカル社会を実現するためには、ITのことだけに意識を向けているわけにはいきません。社会のルールにも配慮しなければなりません。ソフトウェア開発業務に従事するには契約を理解しておくべきです。さらに、昨今ではコンプライアンスの遵守や倫理的な事項にも十分に気を配る必要があります。ソースコードを取り扱う以上は著作権にも配慮が必要です。場合によっては特許にもかかわってくることがあるでしょう。すなわち、知的財産権に関する知識がひととおり必要です。個人情報の保護やプライバシーの取り扱いにも気を配らねばなりません。いろいろと慮る事項があって大変ですが、このあたりの知識をおろそかにしていると足元をすくわれかねません。
最後の第9章は、情報システムに対する脅威とその防衛策について考えます。サイバー犯罪や、サイバーフィジカルシステムに対する脅威とはどのようなものがあるのかを知り、情報システムの取り扱いにおいて避けることがなかなか難しい脆弱性の課題について考えます。さらに、情報セキュリティの基本について学んだうえで、身近なトラブルの回避方法を考えます。
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◆これを知らなきゃ、デジタル社会で生き残れない!◆
あらゆるモノがネットワークでつながる現代のデジタル社会では、情報システムが現実世界と一体化し、いまやその境界が曖昧になりつつあります。
サイバー空間を利用したさまざまなテクノロジーやサービスが実現されている一方、システムの誤作動やサイバー攻撃などが、現実社会に対する深刻な脅威となってきています。
そうしたなか、システム開発には技術的知識さえあればよい、という時代はもはや過ぎ去り、システムが社会に及ぼす影響まで考えて開発を行うことが必要になりました。
そうしたサイバー空間と現実世界の融合を目指して、近年大きな意味をもつようになってきたのが「サイバーフィジカル」という概念です。本書はこの概念を軸に、現代の情報システム開発で求められる基礎的な、しかし広い範囲にわたる知識を、コンパクトにわかりやすく解説します。
情報システムの開発者のみならず、その利用者にとっても、デジタル社会における必須の教養として役立つ内容になっています。