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【特別寄稿】近刊『図式と操作的確率論による量子論』Webまえがき

2022年10月中旬発行予定の新刊書籍、『図式と操作的確率論による量子論』のご紹介です。
発行に先駆けて、著者の中平先生に寄稿していただきました。ぜひご覧ください。

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『図式と操作的確率論による量子論』Webまえがき

著:中平健治

量子論は我々の直観に反する不思議な性質をもっており、そのイメージをつかむことは容易ではありません。また、量子論で現れる数式が複雑でわかりにくいと感じる方も多いのではないでしょうか。しかし、量子論が操作的で確率的な理論とみなせることを知り、また数式よりも直観的に表現できる方法があることを知ると、量子論を素直に理解するための大きな助けになると思います。本書では、このような立場から直観的でわかりやすい形で量子論の基本的な性質や数学的構造を説明することをめざしました。そのために用いたツールが「図式」と「操作的確率論」です。これらのツールは、一般の方の認知度はまだ高くないようですが、量子論の研究者たちの間ではしばしば活用されています。本書を通してこれらのツールを学ぶことで、量子論に対してより素直な考え方ができるようになることと思います。

本書の目的

有限次元系の量子論の「数学的構造」と「操作的・確率的な性質」、およびそれらの間にある密接な関係を、見通しのよい形で提示することです。

たとえば、量子論の数学的構造として複素ヒルベルト空間が現れますが、この空間に基づいて操作的・確率的な性質を直観的に理解することは一般に困難です。このように、量子論の数学的構造と操作的・確率的な性質の間にある対応関係はそれほど単純ではありません。本書では、複素ヒルベルト空間の背後に隠れた本質的な構造を顕在化し、その構造が量子論の操作的・確率的な性質と深く関連していることを明らかにします

想定している読者

量子論や量子情報理論の初学者から研究者までです。

主に、量子論の数学的構造や操作的・確率的な性質を素直に理解したい方、従来の量子論の定式化が難しいと感じている方、量子論を従来とは異なる視点からより直観的に理解したい方などを想定しています。一方、電子や光子などのミクロな物体の具体的なふるまいのほうに興味がある方には、本書は向いていないかもしれません。

本書が前提とする知識は、複素数と線形代数の基礎です(線形代数の基礎は付録にも記載しています)。また、初学者は、本書と併せて量子論の入門書などを読むとよいかもしれません。量子論のことを全く知らない方は、量子論がどのような理論であるかという大まかなイメージをもってから本書を読むと、理解しやすいと思います。

本書の主な特徴

以下の二つです。

  • 量子論の「数学的構造」を、物理デバイスの操作的なふるまいに基づく視点から明瞭・簡潔な形で提示している。

  • 量子論の「操作的・確率的な性質」を、図式と操作的確率論というツールを用いて直観的にわかりやすい形で論じている。

なお、量子論の本質的な性質の多くは有限次元系でも現れますので、本書では有限次元系に限定しています。これにより、無限次元系で必要になる高度な数学を避けながら本質的な議論を行います。また、物理量などの概念やシュレディンガー方程式などは、本書ではほとんど扱いません。

図式とは何か

図式とは、線形代数などに関する数式と同じ内容のものを図形により表現したものです。数式がもつ厳密性を損なうことなく表現でき、図式のみを用いて計算することもできます。

図式について具体的なイメージをもっていただくため、以下に一例を示します。初学者や図式を知らない人にとってはわからない箇所も多いと思いますが、雰囲気をつかんでいただければ幸いです。

すべての量子操作 $${ f }$$ は,「入力と純粋状態 $${ \ket{\psi} }$$ との並列接続にユニタリ行列 $${ U }$$ で表される量子操作を施した後で部分系($${ D }$$ とおくことにします)を捨てる」という操作の形で表せることが知られています。この表現は、シュタインスプリング表現とよばれています。これを数式で表すと次のようになります。

 $${f(\rho) = \mathrm{Tr}_D [U(\rho \otimes \ket{\psi} \bra{\psi}) U^\dagger]}$$

図式では次のように表せます。

図式では、$${ f }$$の入力および出力をそれぞれラベル$${ A }$$および$${ B }$$が付いた線として表しています。図式は、図の下側から上側に向かって情報が流れるようなイメージで眺めるとわかりやすいと思います。また、右辺の右上に描かれた3本の横線は、「系を捨てる」ことを表しています。

これらの式を比べると、図式のほうがより直観的に表現できていると感じるのではないでしょうか。数式では基本的に式を横方向に書くため「$${ 1 }$$ 次元的」であるのに対し,図式では横方向と縦方向を使って「$${ 2 }$$ 次元的」に表せていることがわかります。このため、縦方向を効果的に使える図式のほうが数式よりも見やすくなることが多々あるのです。少し慣れれば、図式のほうが早くかつ素直に理解できるようになると思います。

この例は、図式がもつ特徴の一部を示したものにすぎません。図式を用いれば、数式よりも直観的に表現できて、数式では隠れてしまいがちな本質的な事柄を顕在化できることがしばしばあります。初学者にとっては、図式を積極的に用いるほうが早く量子論になじめると思います。

操作的確率論とは何か

ひと言で述べると、「物体の操作的・確率的なふるまいを具体的な物理法則と切り離して考える理論」のことです。古典論(=古典確率理論)や量子論は、操作的確率論の特別な場合とみなせます。一般確率論とよばれる理論とほぼ同じです。

私たちは、なじみのある古典論に基づいて量子論を理解しようとしがちです。しかし、古典論と量子論には多くの相違点がありますので、この方法ではなかなかうまくいきません。これに対し操作的確率論に基づく考え方では、古典論でも量子論でも成り立つようなより本質的といえる性質に着目します。この考え方を習得すれば、古典論に特有の性質(つまり古典論という先入観)に惑わされることなく量子論の性質を素直に理解できるようになると思います。

本書の流れ

本書の大まかな流れを図示します。本書の内容は、「基礎」・「数学的構造」・「操作的・確率論な性質」の三つに大別されます。

本書では、「操作的・確率的な性質」とは切り離した形で「数学的構造」を先に説明します。次に、操作的確率論について議論しながら量子論の「操作的・確率的な性質」を説明します。

本書を読み終える頃には、きっと量子論の数学的構造や操作的・確率的な性質を直観的に理解できるようになり、図式と操作的確率論というツールを使って量子論を素直に表現できるようになることと思います。ぜひ、本書を手に取ってみてください。なお、著者のnote記事にて、より詳しい紹介記事を公開しています。

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著:中平 健治(玉川大学)

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【目次】
第1章 はじめに

 1.1 図式と操作的確率論
 1.2 本書の構成

第2章 線形代数
 2.1 線形代数の図式
 2.2 凸錐
 2.3 表現と同型

第3章 操作論と図式の基礎
 3.1 古典論と量子論におけるプロセスの例
 3.2 操作論の規則
 3.3 操作論の性質

第4章 エルミート行列・半正定値行列が作る操作論
 4.1 cup列ベクトルとcap行ベクトル
 4.2 格上げと格下げ
 4.3 複素行列全体からなる空間
 4.4 エルミート行列全体からなる空間
 4.5 格下げと2重化による表現

第5章 量子論の数学的構造
 5.1 確率の概念を備える操作論
 5.2 古典論
 5.3 量子論

第6章 操作的確率論の基礎
 6.1 テストと因果関係
 6.2 プロセスと確率の関係
 6.3 プロセスの等価性と局所等価性
 6.4 プロセスの和
 6.5 プロセスの拡張
 6.6 まとめ:操作的確率論における要請

第7章 操作的確率論の性質
 7.1 プロセス空間と凸錐
 7.2 完全識別可能な状態の組
 7.3 確定的なプロセスと実現可能なプロセスの性質
 7.4 雑多な話題

第8章 量子論の性質
 8.1 プロセスのChoi状態による表現
 8.2 プロセスの基礎
 8.3 もつれと相関
 8.4 ロバストネスとその応用

付録A 線形代数の基礎
 A.1 ベクトル空間
 A.2 ヒルベルト空間
 A.3 正規行列とスペクトル分解
 A.4 エルミート行列・半正定値行列・ユニタリ行列
 A.5 凸集合・ノルム・ゲージ関数・内積
 A.6 テンソル積

付録B 図式での表記
付録C 操作的確率論と量子論の対応関係

 参考文献
 索引


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