【あとがき公開】なぜ、いまさら微積分の本を書いたのか?――近刊『授業では教えてくれない微積分学』
2024年11月下旬発行の新刊書籍、『授業では教えてくれない微積分学』のご紹介です。
同書の一部(あとがき)を、発行に先駆けて公開します。
※まえがき(目次あり)はこちらで公開しています。
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あとがき
大学の図書館や理工系の本を扱っている書店に行けば、圧倒されるほど多数の微積分の本を見ることができます。そんな状況で新しく本を出版するのには、それなりの理由が必要です。そこで本書を書いた理由を、ここで少し説明しておきます。要約すると、主に以下の四つの点を重視して書きました:
(1)より進んだ数学のための準備にあたる内容は最小限に留める、
(2)微分と積分が絡み合って有用な理論が展開されることを強調する、
(3)実数の概念や極限の定義を見直すことについて、その論理的な重要性よりは機能性を強調する、
(4)高校までの数学で証明せずに認めていたことを、できるだけ主張はそのままに証明を与える。
それぞれについて、他書との比較という観点で説明します。
(1)微積分の理論を基礎から詳しく解説した本には、多くの概念が現れます。たとえば、実数の連続性の多数の同値な言い換え、実数の部分集合の上限・下限、開集合・閉集合、集積点、関数の半連続性、といったものが挙げられます。これらは、より進んだ数学を学ぶときには知っておくと役に立つ概念で、それらに早くから触れさせようという意図で書かれているのだと思います。しかし、微積分の理論展開に限ると、必要ではない概念も数多くあります。数学を専門としない方が、微積分の理論的基礎に興味をもって学ぶ場合には、将来使う可能性の低い多数の概念を学ぶのは負担ではないかと思います。そこで、本書では理論の展開に必要ではない概念は、できるだけ導入せずに済ませるようにしました。
(2)微積分の多くの本は、積分より先に微分を導入し、導関数を使って元の関数の性質を調べる際には平均値の定理を使います。この方法は微分だけで話が完結するようで単純に見えますが、平均値の定理の証明が大変であるという問題もあります。具体的には、最大値・最小値の存在定理からロル(Rolle)の定理を経由して平均値の定理に至るのが常道なのですが、最初の最大値・最小値の存在定理の証明が、関数の連続性に加えて定義域と値域の両方で実数の連続性を使う、やや難しいものになります。さらに、これは微積分というより位相数学に属する定理であるために、それが微分の理論で重要な役割を果たすということがやや飲み込みにくいという事情もあると思います。本書では、積分を先に定義して微積分学の基本定理を示すことで、微分を使って関数の性質を調べるときに積分を積極的に使うことにしました。この方針は、「基本定理」がその名のとおり理論で基本的な役割を果たすことが納得できるという利点のほかに、技術的にもテイラーの定理の剰余項が明示的に積分で表示できるという利点もあります。この方法の欠点としては、ハイネ‐ボレルの被覆定理という位相数学に属する難しい結果に何度も頼ることがあります。しかし上のようにいくつもの結果を経由するのではなく、割と直接的に使うので、少なくともその必要性は明解です。また、この定理を雛形とするコンパクト性の現代数学における重要性を考えても、これを積極的に使う微積分の本が一つはあってもよいと思います。
(3)日本語で書かれた微積分の本には、とくに最初の実数や極限について述べる際に厳密性を強調するものが多く、少し行き過ぎではないかということが気になっていました。これには背景があって、18世紀から19世紀に微積分学の基礎をめぐる混乱と論争があって、その雰囲気を受け継いでいるのです。論争の詳しい内容は数学史の本などを参照してもらうとして*¹、結局はやや曖昧だった用語の定義などを見直すことによって混乱が収束したので、微積分の本ではとくに厳密性を強調する傾向があるのです。しかし、たとえばそれが高校で学んだ数学を批判する形になると、やや重苦しい雰囲気になるのは確かですし、微積分の本の中で「厳密である」とはどういうことかが説明されるわけでもないので、読者を不必要に怖がらせている面もあると思います。もう論争からは長い時間が経っているので、「何が悪かったのか」よりは「何がよかったのか」に軸足を移して微積分の教え方を考えてもよいのではないかと思います*²。たとえば極限の現代的な定義は、それが厳密な理論展開に向いていたからというだけではなく、関数の挙動などを定量的に記述する機能に優れていたからいまでも使われているのだと思います。そこで本書では積分の定義を主題にして、振り子の周期や楕円の周の長さといった具体的な問題を解決するのに、実数の概念や数列の収束の定義を見直すことが「役に立つ」という視点を強調してみました。
(4)微積分の本では、高校までの数学で学んだことを異なる方法で導入することがあります。たとえば実数の扱いは、天下り的に「実数の連続性」を公理として導入して、それを満たす数体の存在まで保証する場合はデデキントの切断で有理数から構成する、という形式がほとんどです。これは高校までの数学で獲得した実数概念との隔たりが大きく、学ぶ側にとっては受け入れにくいようです。また別の例として、いくつかの微積分の本で採用されている初等関数の扱いを見てみると、
●$${\log x = \int_1^x \frac{1}{t} \, \mathrm{d}t}$$と定義し、その逆関数として$${e^x}$$を定義する、
●$${\sin x=\sum_{n=0}^\infty \frac{1}{(2n+1)!}(-1)^n x^{2n+1}}$$、$${\cos x=\sum_{n=0}^\infty \frac{1}{(2n)!}(-1)^n x^{2n}}$$と定義する
などがあります。これらの定義に問題があるわけではありませんが、高校までの数学で与えられていた説明と違っているのは事実です。まずこれらの方法を擁護しておくと、デデキントの切断も、積分による対数関数の定義も、無限級数による三角関数の定義も、理論を展開するうえで非常に効率的なのです。微積分の本は、大抵はそれに基づいて講義をするために書かれるので、あまり非効率な方法は採用できないのだと思います。しかし高校までの教科書でされていた説明が正当化できないのかが気になるのは自然なことなので、本書では実数については慣れ親しんだ十進小数展開をそのまま使い、指数関数・三角関数についても高校の数学の教科書の説明をそのまま正当化する方針で定義や性質を議論しました*³。本書の読者は、高校までの数学で学んだことに重大な間違いはなかったと安心できるとともに、他書の方法が効率的であるということも理解できるのではないかと思います。
なお、積分の定義だけは高校の数学の教科書とはまったく違う定義を与えましたが、それは第1章で理由も含めて説明したので、読者は理解されていることでしょう。実際のところ、日本の高校教育においても1960年くらいまでは積分は区分求積法の極限として定義するのが標準的だったようです*⁴。しかし、そのためには極限の取り扱いなどに慣れておく必要があり、それを高校2年生に要求するのは難しいという議論があって、1970年くらいには「積分は微分の逆演算」とする定義が定着したようです。区分求積法が高校生に難しすぎるかという点にはやや疑問が残りますが、ともかくいまの高校の教育はそうなっているので、それを区分求積法に基づく定義に直しておくことは、ある意味では最大の、概念的なレベルでの伏線回収ともいえるわけです。
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「極限や積分の定義」が、高校と大学で違うのはなぜ?
「中間値の定理」って、わざわざ証明するようなものなの?
「実数の厳密な構成」って本当にやる意味ある?
従来の教科書や授業では触れられてこなかったこれらの疑問点に答えつつ、微積分学を再構築。
これまでの学び方をアップデートする、「もう一つの」微積分学の入門書です。
独学者だけでなく、大学や高校の教員にとっても発見のある一冊。
◆そのほかの特長◆
・「実数」「関数」「曲線の長さ」「図形の面積」など、「高校の教科書ではさらっと説明されているが、よくよく考えると難しい概念」について、高校との接続を意識して解説。
・「0.999…=1」「ロピタルの定理」「微分の記号」「広義積分」といった「初めて学ぶ際に混乱しやすい内容」についても明解に解説。
・大学数学のハードルの一つである「定義や証明に対する向き合い方」にも随所で触れています。
◆数学者、物理学者からも推薦の声、続々!◆
服部哲弥氏(慶應義塾大学名誉教授)「単に正しい証明というのではない。その場面でその証明を選ぶ理由がある」
原隆氏(九州大学教授)「高校数学から最短距離で構築する、厳密な微積分学!」