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「心の哲学」への招待:『物質と意識(原書第3版)』(ポール・チャーチランド 著、信原幸弘・西堤優 訳)

私のなかのどこに「心」はあるの? 心は機械でつくれるの? そもそも「心」ってなんだ?

……誰しも人生のどこかの時点で突き当たる(かもしれない)、心をめぐる謎。人工知能や脳科学の研究が目覚ましい近年では、理工学系の研究者にとっても核心的な問題になりつつあるようです。

心とは何か。それは物質(脳/身体/計算機)とどんな関係にあるのか。これらを真剣に悩み始めると、古今の哲学者たちが取り組んできた「心身問題(心脳問題)」に足を踏み入れることになります。とくに「心の哲学」という分野は、心と物質の関係がどのようなものとして考えられるのかについて、緻密な洞察を積み上げてきました。

『物質と意識(原書第3版):脳科学・人工知能と心の哲学』(2016年8月発行)は、その入門書です。長年、大学生を相手に「心の哲学」を講義してきたポール・チャーチランド氏が、非哲学者向けの教科書として著した一冊。以下は、同書の翻訳者で、日本における代表的な心の哲学者である信原幸弘先生による「訳者あとがき」です。

――あなたは「心身一元論者」? あるいは「二元論者」? では、どの一(二)元論者でしょうか?

ヘッダ

『物質と意識(原書第3版)』訳者あとがき

著:信原幸弘

心身問題

心とは何であろうか。この問題を考えようとするとき、まず私たちにとって気になるのは、心と身体の関係であろう。肉体は滅んでも、魂は生き延びるのだろうか。これは太古から問われ続けてきた問題であり、おそらく永遠に、私たちの重大な関心事であり続けるだろう。多くの人々は魂の不滅を願い、その願いを叶えるべく、多くの宗教が霊魂不滅を説いてきた。しかし、魂の不滅を肯定するにせよ、否定するにせよ、魂が肉体とどのような関係にあるかが、具体的かつ整合的に説明されなければならないだろう。

心と身体の関係を問うとき、私たちはまず、心と身体(物質)は別だという心身二元論をとりたくなる。心はじつは物質だという物的一元論(=唯物論)ではなく、また物質はじつは心だという心的一元論(=唯心論)でもなく、両者は別だという二元論である。じっさい、心は明らかに、物質とは異なるようにみえる。たとえば、虫歯の痛みは、虫歯の物理的・生理的な状態とはまったく異なるように思われるし、脳のニューロンの電気的・化学的な状態ともまったく異なるように思われる。物質が示すどんな状態も、私たちが感じる痛みとは似ても似つかないようにみえる。心と身体は別であり、肉体が滅んでも、魂は不滅であるという考えは、たんに魂の不滅を願う私たちの願望から生まれてくるだけではなく、心的現象が物質的現象とまったく異なるようにみえるという私たちの日々の経験からも生じてくるのである。

しかし、それでは、二元論でよしかと言えば、そうはいかないところに、この問題の難しさと厄介さがある。心と身体はたしかにまったく別であるようにみえるが、その一方で、両者のあいだには、あまりにも密接な関係がある。眼前のバナナから光の刺激が眼の網膜に到達すると、そこから脳に神経信号が送られ、それによって脳の視覚皮質のニューロンが活性化するが、そのときまさにバナナの知覚が生じる。また、手を挙げようと意志すると、脳の運動皮質のニューロンが活性化し、その神経信号が手の筋肉に伝えられて、手が上がる。このような心身の相互作用は、心と身体が別だとすると、なかなか理解しがたいように思われる。心と物質がまったく別だとすれば、それらはいったいいかにしてお互いに因果的な影響を及ぼすことができるのだろうか。それらはむしろ、因果的に閉じており、互いに没交渉なのではないか。そのほうがはるかに理に適っているように思われる。じっさい、科学の示すところによれば、物質的現象は他の物質的現象からしか生じないし、他の物質的現象しか引き起こさない。物質がこのように因果的に閉じているとすれば、心と物質が因果的に相互作用することは不可能である。

心と身体はまったく別であるようにみえながら、その一方で、両者のあいだに因果的な相互作用があるように思われる。この二面性をどうやって理解すればよいだろうか。心と身体の関係を問う心身問題の根底にあるのは、まさにこの二面性をどう説明するかという問題である。そしてこの心身問題こそが、心の哲学の中心に位置する問題である。というのも、心の本性を明らかにするには、心が物質とどう関係するかを解き明かすことが、まさに鍵となるからである。本書においても、この心身問題を中心に据えて、心の哲学の諸問題が論じられる。

心の哲学の入門書

本書は、何度も版を重ねてきた心の哲学の代表的な入門書である。本書の中心には、心身問題が置かれ、この問題に関する諸立場が明快に解説されるとともに、その長所と短所が的確に論じられていく。まず、心身問題に対するもっとも常識的な立場と言える心身二元論が取り上げられ、この二元論のなかにも、実体二元論と性質二元論があり、さらにこの二つがそれぞれ微妙に異なるいくつもの立場に分かれることが示される。そしてそのようないろいろな立場がどうして出てくるかが、それぞれの長所と短所に基づいて明快に説明される。つぎに物的一元論(唯物論)が取り上げられ、この一元論のなかにも、哲学的行動主義、心脳同一説、機能主義、消去的唯物論といういくつもの立場があり、それぞれがなぜ登場してきたのかが、やはりそれぞれの長所と短所に基づいて明快に説明される。本書は、二元論よりも唯物論を高く評価する方向で論述がなされているが、入門書としての公正さは十分保たれている。

心の哲学には、心身問題のほかにも、重要な問題がもちろん多々ある。たとえば、「痛い」とか「信じる」というような心理的な言葉がどのようにしてその意味を獲得するかという意味論的問題、他者や自分の心の状態がいかにして知られるかという認識論的問題(つまり他我問題や自己知の問題)、心を解明するにはどんな方法を用いればよいかという方法論的問題、などである。本書では、これらの問題について、いくつかの立場が検討され、著者の推奨する立場が最終的に提示される。そしてそれがまた、唯物論的な見方を支える重要な論拠ともなっている。

心の哲学の入門書として、本書のとくに独自な点は、心の科学の成果をかなり詳しく紹介していることである。人工知能と神経科学にそれぞれ一つの章を費やし、心の哲学の諸問題に関係するかぎりで、両分野の重要な成果が平明に解説されている。それは、心の哲学の根本問題を解決するためには、たんなる哲学的な思弁だけではなく、心の科学の成果を十分に参照した考察が不可欠だという著者の強固な確信によるものである。じっさい、コンピュータをプログラムすることにより、人間の知能のいろいろな側面が実現されたり、心の働きの神経基盤が次々と解明されたり、さらには神経活動を模した人工ニューラルネットワークによって人間の知能の多くの面が実現されたりするのを見ると、心の科学の成果が心の哲学にとって決定的に重要な意味をもつことは、もはや疑いの余地がないように思われる。そしてそのような心の科学の成果は、総じて唯物論的な見方を支持するのである。

素朴心理学からの解放

本書の著者は、唯物論のなかでも、もっとも過激な消去的唯物論の提唱者として広く知られる著名な心の哲学者である。私たちは心の状態について、日常の常識的な知識をもっており、それに基づいて行動を理解し、説明する。この心に関する常識的な知識は、素朴心理学とよばれるが、著者によれば、それは素朴とはいえ、心に関する一つの理論である。物理学が電子を措定して、電気現象を理解・説明するように、素朴心理学は心的状態を措定して、行動を理解・説明するというわけである。しかし、素朴心理学が理論だとすれば、それは新たな理論によって取って代わられ、消去される可能性がある。一般に、理論は、それよりもっと良い理論が新たに現れると、それに取って代わられ、消去される。そしてそれとともに、元の理論によって措定されたものも、じつは存在しないものとして消去される。たとえば、かつてフロギストン説は、フロギストンという元素を措定して燃焼を説明したが、酸素説が現れると、それに取って代わられ、消去された。そしてフロギストンも、じつは存在しないものとして消去された。著者によれば、素朴心理学も良くない理論であり、もっと良い理論、すなわち神経科学が成熟した暁には、それに取って代わられ、消去される。そして素朴心理学によって措定される心的状態、つまり信念や欲求なども、じつは存在しないものとして消去されるのである。

しかし、著者の立場は、実際には、全面的な消去主義ではなく、部分的な消去主義である。すなわち、すべての心的状態が消去されるというのではなく、一部は消去されるが、残りは神経状態に還元されるとする。たとえば、信念や欲求のような命題的態度は、おそらく存在しないものとして消去されるだろうが、知覚や感覚などは、その存在があくまでも認められ、そのうえでじつは何らかの神経状態と同一だとされるのである。そしてそのように神経状態に還元されることで、知覚や感覚は、その隠れた豊かな性質が明らかにされ、既知の性質もその隠れた性質から説明されることになる。それは、水がH2O に還元されることで、水の隠れた性質が明らかになり、またそれによって透明性や沸点などの既知の性質が説明されるのと同様である。

神経科学が成熟すると、素朴心理学が措定する心的状態は、その一部が消去され、残りが神経状態に還元される。しかし、神経状態に還元されるとしても、その心的状態の面目は根本的に一新されることになる。たとえば、赤色の知覚は、内観によって知られるような、心に浮かぶ赤の一様な広がりではなく、いくつかの要素から構成される複合的な神経状態である。素朴心理学が措定する心的状態はおおむね、内観によって知られる心的状態(=意識に現れる心の状態)に基づいているが、内観は心的状態の本当の姿をほとんど示していない。かつては、内観は、外的知覚と違って、誤りえないとされ、内観が示す心的状態こそがありのままの心的状態だと考えられたが、内観もまた根本的に誤りうる。心的状態の真の姿を示すのは、内観ではなく、神経科学なのである。

神経科学が成熟した暁には、このように心的状態は、その面目ががらりと一新される。心的状態は、素朴心理学が措定するようなものではまったくなく、じつはそもそも存在しないか、あるいは存在するとしても、神経科学が措定するような状態、すなわち脳の神経状態なのである。私たちはこれまでずっと素朴心理学の心の世界に閉じ込められてきたが、神経科学が成熟すると、私たちはそこから解放されて、まったく新しい内面の世界を手に入れることになるのである。

本書は心の哲学への非常に野心的な入門書である。それはたんに心の哲学の基本的な諸問題を平易に論じるだけではなく、そこから見えてくる将来の展望、すなわち神経科学が切り開く新たな内面の世界を大胆に描き出す。そして住み慣れた素朴心理学の世界から、私たちを解き放とうとする。本書のもっとも大きな魅力は、まさにここにあると言えよう。

出典:『物質と意識(原書第3版)』

信原幸弘(のぶはら・ゆきひろ)
東京大学大学院総合文化研究科教授。『考える脳・考えない脳―心と知識の哲学』(講談社現代新書、2000年)、『意識の哲学』(岩波書店、2002年)、『シリーズ新・心の哲学』全3巻(編著、勁草書房、2014年)、『情動の哲学入門: 価値・道徳・生きる意味』(勁草書房、2017年)など、著書多数。

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『物質と意識(原書第3版):脳科学・人工知能と心の哲学』

脳科学は心の理解に革命を起こすのか?
人工知能で心はつくれるのか?
もしそうだとしたら、どのような意味で?
――哲学的立脚点を得るための、「心の哲学」入門。

◆心と物質はどう関係するのか?◆
心と脳は独立して存在するのか。あるいは両者は一つなのか。一つだとすれば、どのような意味においてそうなのか……。
心と物質をめぐる存在論的問題(=心身問題)に加え、
・意味論的問題(=心について語る言葉は何を意味するのか?)
・認識論的問題(=心について何を知りうるのか?)
・方法論的問題(=心はどう解明しうるのか?)
を整理した、心の哲学の入門書。
心身二元論と唯物論(物的一元論)、およびその下位区分の哲学的立場を詳しく取り上げ、急所を突く思考実験を通してそれぞれを批判的に吟味する。
後半では神経科学、認知科学、人工知能開発の進展にページを割き、それら科学・工学的アプローチがどの哲学的立場を支持するかを検討。近未来の「心の科学」が常識的な心の見方を根本的にくつがえすという「消去的唯物論」の驚くべき展望についても詳述する。

――理工系・人文系を問わず定評を得てきた原書第3版の翻訳。日本の第一人者による「訳者解説」付き。

【目次】
第1章 本書の主題
第2章 存在論的問題(心身問題)
第3章 意味論的問題
第4章 認識論的問題
第5章 方法論的問題
第6章 人工知能
第7章 神経科学
第8章 遙かなる展望

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