復刻版「路地裏ニャン方見聞録」 シーワオアシス エジプト Part 1
はい、というわけで、今回は 復刻版「 路地裏 ニャン方見聞録」(ネコ雑誌
NEKO(現:ねこ)ネコパブリッシング)で掲載された、エジプト編パート1をお届けするのだ。ただ、パート2のデータがあるか不明なので、続きは期待しないでいただきたい。
そして、よく本を読む人なら気づいていると思うが、基本的には縦位置のエッセイで、当然のように段落分けをしているのだ。
この、新たに執筆している文章は、その辺りはまったく気にしていないので、そこんとこよろしこ。
旅系YouTuberの動画などで、エジプトはひどい。もう行きたくない。客引きがひどくて疲れると酷評だらけ。確かに私が訪れた頃もカオスだったなあ。カイロの街を俯瞰で見たときに、道路、人、店、ゴミなどすべてがめちゃめちゃで、どう進んでいるのかわからない状況で、生まれて初めて「混沌」という言葉が頭に浮かんだ。ああそうだ、こういう状況を混沌というんだなと。で、おそらくだけど、私が訪れた頃はもっとすごかったんだと思うのだ。なぜかというと、動画を見ていても、なんかきれいになったなあ。
客引きがしつこいというのも、まあそうだろうけども、見ている限りそれほどでもない気がするのだ。
東南アジア含めて、アジア圏、中東圏を旅していると、まあ客引きはしつこいのが当たり前。ただ、エジプトの場合、ちょっとした買い物をする際、もうすべて値段交渉をしていかなくちゃいけないのが面倒だった。とにかく果てしなく続く値段交渉。これで1日が終わるのではないかと思うくらいだ。
ハンハリリという巨大市場で一目惚れしたズタ袋(今でも愛用中)を買おうと心に決めた際、2回ほどお店に通って物をチェック。よし買うぞとお店に行ったところ、いつもの男性店員ではなく、女性店員だった。
これが運の尽き。女性店員って料金交渉絶対に譲らないんですよねえ。
もうね、もういい、じゃあいくら? その値段なら他に行く。ちょっと待って、じゃあこの値段ならどう? これを2時間以上続けたのだ。
私がエジプトを訪れた頃、日本人宿として有名な「サファリホテル」に投宿していたのだが、そのドミトリーで確か500円しなかったかな。
で、基本的に宿代より高いか、安いかが物価の指標としているので、そのズタ袋はあまりにもな高額だった。そして、大体1500円と言われたら、その半値以下で交渉して、半値くらいで手を打つことが多い。
で、結局のところ、3時間くらいそこで値段交渉して、もう根負けして買いました。
私のズタ袋を、同じく投宿していた日本人が気に入って、翌日買いにったら、私が購入しようとしていた額面で購入してきた。しかも簡単に。。。
話を聞くと、男性店員だったそうだ。
あと、歩いているとまあ「プスプス」口から音を出され、手の甲を前にかざしてくる。これはいわゆる「ちょっと待て」、「こっち見て」という意味なのだが、ずっとされる。まあ鬱陶しい。でもなれると適当にあしらうことができるようになるので、これもまあ経験値。
おっと、復刻版「路地裏ニャン方見聞録」の導入が長い。
シーワオアシス エジプト Part1 はじまりはじまり
蜃気楼の向こうに見えるものは
エジプトの北西部にはかの有名なサハラ砂漠が広がっている。砂漠を見てみたいのと、オアシスで暮らすネコが見たかったので、カイロから北西にある砂漠の、いやエジプトの恵みシーワオアシスへ出発した。それにしてもオアシスにネコはいるのだろうか。
ワゴン車は砂漠を駆け抜けていく
首都カイロからバスで北上し、地中海沿岸のマルサ・マトルーフという町に到着した。所要時間は5時間。ここからワゴン車に乗り継ぎ、サハラ砂漠へと南下するのだ。
オアシスへ続く道は1本だけ。この道以外に行く方法はないのである。旅人と村びとを乗せた今にも壊れそうなおんぼろワゴン車はスピードをどんどん上げていく。僕は一番安全と思われる後部座席に座っていたので、実際のスピードはわからないが時速130キロ以上はでていただろう。それにしても座席の下に道路が見えるとはどういうことだ。怖いぞ。
ふと窓の外に目をやるといつの間にか周囲360度見渡す限りの砂漠になっていた。もしこんなところで車が故障したらどうなるんだろう。ラクダにまたがった美女でも助けにやってくるのだろうかと、くだらないことを考えていたらなんと、タイヤがパンクである。さすが砂漠だけに道路も荒れているようだ。運転手も慣れているようで、一生懸命タイヤを交換していた。しかしただパンクに慣れているだけで、修理には1時間もかかった。
この旅で生まれて初めて蜃気楼を見ることができた。あれは本当に不思議なもので、はるか彼方の砂漠に町が見えるのだ。ぼやーっとしたものではなく、ハッキリとしたものが広がっているのだ。最初は本当に町があるものだと思ったくらいだ。でもいくら車が進んでもその町がずっと見えるので、蜃気楼だと気付いたのだ。もっといえば、湖は星の数ほどあった。
オアシスでの楽しい生活
オアシスは小さい頃に読んだおとぎ話のイメージ通り、砂漠の中にこつ然と姿をあらわした。そこには森が茂り、中心には湧水を満たした湖があった。イメージと違うのは、この湖は近付いてもボンッと消えないことくらいだ。
シーワオアシスの中心にはオールドシーワと呼ばれる泥で作られた山がある。ここは昔の村人が暮らしていたところで、さすがエジプト人、ピラミッドのようなものを作らせたら右に出るものはいないぞという印象をうける。
村の繁華街は直径40mくらいの広場で、ここを囲むように店が数件軒を連ねている。店といってもたいしたものはなく、水や果物を売っている店とシーワの人たちが着るネグリジェみたいな普段着、ガラベイヤを販売している洋品店くらいだ。
ここでは広場の裏にある安宿に部屋をとった。この宿に決めたのはもちろん「ネコがいるから」である。決してホットシャワーを思いきり浴びられるからではない。黒色の子ネコが宿の受付で眠っていたからだ。もうこれでネコ不足で困ることはない。まさにネコに招かれたといえよう。僕は久し振りに自由に遊んだり抱っこができる子ネコができたので、子ネコを見かければ部屋に連れ込んでずっと遊んでいた。何日かするとこのコも僕が遊んでくれるというのを覚えたようで、僕が部屋で休んでいたりすると、「あーそーぼっ」って感じでドアを「ポンポン」叩いて遊びにきてくれるようになった。かわいいヤツである。
これは無銭飲食?!
シーワでの食事は広場にある食堂でしていた。この食堂のパンケーキがおいしくて、一日に最低でも2度は食べていたくらいだ。グルメ雑誌に載っていない隠れた名店である。
出発の前日、最後にもう一度パンケーキを食べにいったときのことだった。ごちそうさまとお金を払おうとしたら、パンケーキ代30円の小銭がなかったのだ。主人に、「お金がないから両替えしてから払う」というと、「明日払ってくれればいいよ」と主人が提案してくるが、翌朝ここを離れると話すと、「なら1年後にここへ戻ってきたときに払ってくれ。ちゃんと顔を覚えておくからな」といってくれた。
それはシーワオアシスが僕にとって心のオアシスとなった瞬間だった
あれから数年が経過したが、主人は僕の顔をまだ覚えていてくれてるだろうか。またいつか、バナナが挟まった、はちみつたっぷりのあのパンケーキが食べたい。
猫写真家 森永健一 インスタグラム