私とソフトテニス 高校部活編②

「#部活の思い出」今回は高校2年生の時のお話です。

前回はこちら↓

レギュラーメンバーのまま2年生へ


1年生の秋から先輩とペアを組み、団体戦メンバーのポジションは維持したまま2年生に。今思えば、当時の部内でそのポジションをキープすることに対する危機感はなく、あぐらをかいていたように思います。先輩の中にも前衛で中学からのソフトテニス経験者は一人しかおらず、ほぼほぼ中学からの貯金でどうにかなっていたような感じです。あの頃、対外試合でもう一歩抜けきれないことに対する危機感を持って練習していれば、何かが変わっていたのかもしれないなとも思います。

二度目の高校総体


迎えた高校2年生の春季総体、実はよく覚えていません。おそらく地区予選は無事に抜けて県大会に進んだと思いますし、団体戦も近畿大会ぐらいまでは進んだような…。なぜ記憶が曖昧なのか。これは推測ですしあまり人のせいにはしたくないのですが、ペアを組んでいた先輩の状態があまり良くなく、ほとんどの球にスライスがかかってしまっているような具合で、なかなか思うように試合が出来なかったことをぼんやり覚えています。それを指摘することも出来ず、モヤモヤした時期を過ごしていたような。覚えているのはそれぐらいで、大会の記憶はまるでありません。

先輩の引退、キャプテンに

いよいよ自分たちの代になり、私は部のキャプテンに任命されました。キャプテンとして私が最初にしたことは、部員の大半を占める高校からソフトテニスを始めたメンバーのスイングフォームを見直すということでした。何人かの経験者で個々の打ち方を見直していく場を設けたのですが、今思えばなんとおこがましいことか。ただ、その頃から誰かに教えることをしていたのだなとも思います。

迷惑、迷走

さて、キャプテンになったはいいものの、もともとお山の大将街道を歩いていた私はまんまその通りになってしまいます。最悪だったのが、キャプテンなのに練習に遅れる、欠席することが目に見えてあったこと。原因は、寝坊。なんとも情けない話です。昔から朝は弱かったのですが、それが災いしてキャプテンらしくない振る舞いになってしまいます。それによってかどうかはわかりませんが、人心は離れ、練習にこなくなる部員が少しずつ増えます。重ねて、冬場の時期にかけて校舎の工事でテニスコートが使えなくなり学校から離れた市営のテニスコートで練習するようになるとその傾向はますます強まるばかり。さらに、後衛が少ないことを理由に高2の冬から後衛に転向して、無理な打ち方をしてテニス肘になる始末。完全に迷走していましたし、特に副キャプテンには迷惑をかけました。そんな感じで、高校2年生は過ぎていったのです。

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