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#559 手紙屋

今回は喜多川泰さんの「手紙屋」という作品について。この本は2007年に初版が発行されたものだが、15年以上たった今でも大切なことを教えてくれる一冊となっている。

主人公は、就職活動を間近に控えた大学生の西山諒太。将来についてイメージが持てず、漠然とした不安を抱えていた諒太はある日、顔なじみの書斎カフェ・書楽で「手紙屋」の広告を見つける。半信半疑のまま手紙屋とのやり取りを始める諒太だったが、10通限定のそのやり取りを通じて、働くことの意味や成功とは何か、など、就職活動だけにとどまらず人生において大切なことを学び成長していく。というのが、大まかなあらすじだ。

僕がこの本から得た学びとして印象的だったのは、「何のために働くのか」ということと「向き不向きを決めつけて選んではいけない」ということである。

何のために働くのか

ほぼ文字通りの話だが、諒太が手紙屋とのやり取りを通じて学んだことの中で最も太い軸といってもいい部分だ。諒太は就職活動を行う中で、何の仕事なのか、どういう規模の会社なのか、ということばかりを気にするところからスタートする。これは、一般的な就職活動をする学生にだいたい当てはまることだと思う。

これに対して手紙屋は、何の仕事をするかではなく何を目的として働くのか、が大切であると説く。昨今では企業や働く個人のパーパスを定めることが大切だということも言われるが、まさにそれに当てはまるような話だ。

向き不向きを決めつけて選んではいけない

これも、何のために働くのか、と通じる部分ではあるが、働く前から自分に向いていることは何か、で選択肢を狭めてしまうことはよくある。確かに、自分に向いていることが何なのかわかったうえで働くことができればそれに越したことはないが、多様な働き方や仕事の中で、何が自分に向いているのかはじめからわかるほうが稀だ。昨今ではそういったことを分析するツールもあるが、それの結果がその人の可能性の全てではない。

配属ガチャ、などという言葉が新年度を迎える頃によく聞かれるようになった。自分の望む部署とは異なるところに配属されたらハズレ、望むところに配属されたらアタリ、というわけだ。望み通りのところで働けたら、たしかに幸せかもしれない。しかし、自分の望む場所とは違うところで働くことになっても、それを不幸と決めつけるのは早計だろう。

少し話の軸がずれるが、僕も過去に複数の仕事を経験した。広告の営業や、福祉などだ。アルバイトも含めれば、飲食店の接客や調理などもある。

営業の仕事は、自分には向いていなかったかもしれない。仕事の成績は悪かった。でも、その時の経験から相手に何かを納得して買ってもらうにはどんな準備が必要なのか、どんな譲歩をして代わりにどれだけのものを得るのかなど、いろいろなことを学んだ。もちろん、形のないものを売ることの難しさも含めて、だ。

福祉の仕事からは、今風に言えば多様性について学んだ部分が大きい。同じように生きている人でも、それぞれに生きづらさや得意なこと、苦手なことがあって、それを認め合うことを知った。苦い経験で言えば、当事者だけでなく保護者の方の気持ちに寄り添うことの大切さを知ったのもこの頃だ。

過去に辞めることになった仕事は、もしかしたら自分には向いていなかったのかもしれない。あるいは、そう決めつけて諦めてしまったのかもしれない。その中にいるときは、不平や不満が多かったと思う。でも、振り返ってみればたくさんの大切な学びをもたらしてくれた経験であり財産だ。向いているかどうかを決めつけて飛び込まなかったら、絶対に得ることのできなかったものだ。

手紙屋は誰なのか

この物語では、手紙屋の正体は最終章まで謎として扱われる。しかし、おおよそ推測のできる人であれば、物語の序盤で見当がついてしまう。逆に、その謎解きを読者がするには余分で、主人公の諒太が「あの人かな、この人かな」と推理しているのを俯瞰の目線で楽しむ感じがちょうどよい。だからこそ、この本から伝わってくるメッセージがすんなりと読者に入ってくるように思う。

とても楽しみながら学べる本なので、ぜひご一読いただきたい。

(了)

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