私とソフトテニス 高校部活編③

「#部活の思い出」今回は高校3年生の時のお話です。

前回はこちら↓

迷走のまま3年生へ

工事も終わり、学校のテニスコートで練習できるようになりました。この工事は高校が中高一貫化するにあたり技術科などの教室を作る必要があったために行われたものです。また、この中高一貫化に伴い、男子ソフトテニス部は翌年夏での廃部が決定していました。他にも廃部になる部活は会議によって決められており、その根拠は中高一貫化による教員等の不足のためなどと聞いたような気がしますが、今でもよく理解していません。そんな中、新しく入学してきた1年生の中にもソフトテニス経験があり入部を希望する生徒がいたようなのですが、当初は廃部予定の部活ということもあり入部を認めない方針だったようです。ですが、入部希望者の生徒たちの熱い説得により、競技経験者に限り2年生夏までという条件付きで入部が認められました。そうして新しい部員を7名迎えましたが、私の方は相変わらずでした。

初めての地区予選敗退

迎えた高校総体。迷走中の私は結局そのまま後衛として試合に出ました。自分のことで覚えているのは、後衛としての初めての実践でがちがちに固まり、あっけなく敗退したということ。新入生の中に実績のある生徒がおり団体戦は近畿大会まで進んだ記憶がありますが、自分が出ていたかどうかも覚えていません。それぐらい、地区予選敗退はショックでした。そして、自分の見通しの甘さに愕然としました。なぜ近畿大会まで進んだことを覚えているかと言うと、近畿大会の為に和歌山まで行った記憶はあるからです。泊まった宿舎の近くにあった「コンビニ」と書いてある商店で買ったお菓子の賞味期限が切れていたことを覚えています。試合のことは覚えていません。高校総体は、本当にあっけなく終わりました。

不完全燃焼男、夏も出る

こうして高校総体が終わったことでほとんどの部員が引退を迎えるのですが、私は夏の総体も出ることにしました。先ほども出てきた実績のある1年生の生徒と組んで、今度は前衛として出場したのです。結果はベスト16。高校での戦績としては最も高いものでした。正直、ペアに恵まれたとしか言いようがありませんが、それでもやはり自分は前衛としてプレーするのが性に合っているのだなと強く感じた次第です。

燃焼男、引きこもる

こうして、ようやく私は引退しました。夏休みを明けて二学期、抜け殻のようになった私は1ヶ月ほど学校を休みがちになりました。気が抜けたのか何なのかわかりません。

私の通っていた高校は進学を前提とした普通高校でしたので、私も大学進学のため受験生になりました。理数系の科目が壊滅的でしたが、英語が得意だったのでその一点突破でなんとか滑り止めも含めてすべて合格することができました。

ちなみに男子ソフトテニス部のその後についてですが、夏の大会で私をベスト16まで連れて行ってくれた後輩が2年生で見事インターハイ出場を決め、有終の美を飾ってくれました。

以上で高校部活編は終了です。次は、大学編に移りたいと思います。

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