私とソフトテニス 中学部活編③

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今回は中学3年生の時のお話。

びっくり、団体戦で県大会優勝

3年生になって最初の春の大会、団体戦も個人戦も無事に地区予選を勝ち抜き、秋に続いて県大会に進むことができました。県大会初日の団体戦、4番シードに入ったうちの中学は、他の1~3番シードの学校がシード破りにあって負けていく中順調に勝ち進み、なんと優勝することができました。私もこの時の団体戦に出場し、1番手後衛とペアを組み全ての試合に1番目で出て、おそらく一回も負けなかったと思います。すばらしいペアに助けられました。

翌日の個人戦、雨の降る中での戦いで、私たちのペアはベスト32ぐらいで負けてしまったのですが、1番手ペアが優勝、2番手ペアがベスト4と、素晴らしい成績だったことを記憶しています。この頃、私たちは間違いなく絶好の状態にあったと思います。

魔が差す

そんな絶好のときにあって、私はとある不祥事により部員や先生に多大な迷惑をかけてしまうことになります。詳細は控えますが、学校内で当時あまり素行の良くなかった生徒が多数関わっていた出来事に、私も一時の好奇心から少しだけ関わってしまったことが明るみになったのです。先生にはきつく叱られ、直近に予定されていた研修大会にも出さないと言われましたが、ペアが先生にどうにか出れるようにしてほしいと嘆願してくれたこともあり、試合に出る許しをいただきました。自分の軽率さが大きな力で跳ね返ってくることをこの時に学んだと思います(その後に活かされているかどうかはさておき)

まさかの負けと雪辱

そんなこんなで迎えた夏の大会、私たちペアの状態は最悪でした。理由は全て私にあり、ペアのミスにとかく感情的になりイライラしてしまっていたことです。今思えば、焦っていたのでしょうか。そんな状態で、地区予選はギリギリの順位で通過し、何とか県大会に進むことができました。考えを変えられたのは予選の翌日、勝ち抜いたメンバーで集まって行われた合同強化練習会の最中。きっかけが何だったかは覚えていませんが、ふと「自分が怒るから余計に悪循環になっているのでは?」と思い至ることができ、その日の午後からの練習試合では怒るのではなく前向きに声掛けをしていけるようになりました。ペアの関係も、かなり良くなったと思います。

そうして迎えた県大会、初日の団体戦、春に優勝していた私たちの学校は1番シードでした。もちろん、優勝しての近畿大会出場を目指していたことは間違いありません。そんな私たちの前に立ちふさがったのが、春の大会で2番シードだった学校。春の大会で負けたことで、シードの内側に入ってきていたのです。初戦から強豪校と当たることになりました。

強風の吹きすさぶ中、私たちは春の時と同じようにペアを組み替えながら、順番を入れ替えて試合に臨みました。結果、残念ながらチームは1本目、2本目を落として負けてしまいました。私も2本目で出場しましたが、相手校の2番手ペアに負けてしまいました。試合の後、顧問の先生は今日の負けは自分がペアの順番を変えたところに弱気が出ていたからだと私たちに謝りました。私は、試合に出て負けたのは自分たちなのにどうしてこの人に謝らせてしまっているんだろう、と不思議な悔しさがあふれてきました。何としても翌日の個人戦で雪辱を、と思ったのです。

そしてあくる日の個人戦、私たちペアは順調に勝ち進みベスト16まで進出しました。ベスト8、近畿大会出場権をかけて戦うのは前日の団体戦で負けた学校の、同じペア。どんな巡りあわせかと思いました。ちなみに、このペアには中学2年の秋の大会でも負けているのですが。この上ない雪辱の機会、私たちは過去最高の試合をできたのではないかと思っています。スコアは覚えていませんが、しっかりと勝ち切ることができたと記憶しています。見事、近畿大会への出場権を獲得しました。

ちなみにこの次の準々決勝、マッチポイントまで握っておきながら私かペアかどちらかのダブルフォルトから大逆転負けを喫してしまいました。先生には、ベスト8とベスト4以上で近畿大会に行くのでは全然違うと、こっぴどく叱られた記憶があります。

近畿大会へ

こうして個人戦での近畿大会出場が決まった私は、引退が少し伸びることになりました。その間にも学校で練習したり近畿大会出場者の合同強化合宿に参加したりとしていました。

この年の近畿大会は大阪の寝屋川で行われました。初日の団体戦は出場ならなかったので、決勝だけ観戦しました。レベルの高さに驚いた記憶があります。出番は個人戦、私は京都のペアと兵庫のペアと同じ予選リーグに入りました。いずれも負けてしまったのですが、兵庫のペアの後衛は後に岡山理大付属に進む上嶋選手で、当時まだ1年生だったのに体も大きくて打球もすごくて驚いた記憶があります。

近畿大会はあっさり負けて終わってしまいましたが、目標としていた舞台に立つことができた達成感はありました。1年生のころには腐っていた人間が、ふとしたきっかけから気持ちを入れ替えてがんばったことで、目標を持ち達成することもできたし、この頃にはソフトテニスが好きになっていました。大きな変化と成長をソフトテニス部での活動がもたらしてくれたと思っています。

引退してから

部活動もいよいよ終わって、受験生になりました。いろいろな選択肢がある中で、同級生の中にはソフトテニスの推薦で高校に進む人もいました。私は受験をして地元の守山高校に進みたいと思いました。通知表の成績的に微妙だと担任の先生には言われていましたが、模試での判定が常に良かったので大丈夫だろうと軽い気持ちでいました。同高校には同じ中学から部活の先輩が何人か進学していることも進学したい気持ちを後押ししました。

迎えた受験本番、のちに自己採点した限りでは今までで一番良い点数を出すことができ、無事合格することができました。高校でもソフトテニスを続けることも、この時決めました。

中学校のお話はここまでです。一旦区切りとなりますが、また高校でのことについても書く機会を持ちたいと思います。

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