「ふつう」では自分はどうもないらしい。 漠然とだがそうはずっと思っていた。 「ふつう」だと感じていたことはない、と書いた方がより近いのかもしれない。 短い会社勤めをしていたまだ若かった頃、ほぼその通りをつい言葉にして人に言ったことがある。子細は忘れたものの、そう不適切なタイミングで言ったわけではいと思うが、返事の代わりに、というように、 (いい気持では聞きませんでした) ととれそうなかなり微妙な沈黙が返った。 まずかったかな? 「ふつう」ではない、を自負か自信寄りの言
とりあえずつけたこのタイトルのままでいいのかな、とさっきから気にはなっている。 「元年」といってもこの「障害」と世間との関係を意味するものなのでは無論ない。単に私にとっての元年で、 (去年も押し迫った頃に起きた一連の出来事を機に、じつは、その当事者だったのではないかと考え出してやがて確信するに至った) そんな流れであったはずだと思い込み、一月程度の違いならとより威勢のいい「元年」とした。それだけの話なのだが、ふと不安を感じてあらためて確認すれば、事の始めは去年の春もかな