みんなが何に困っているのかを汲み取る
チームで仕事をしていると、
個人プレーでは起こらないような問題が発生します。
それは、自分以外のメンバーが問題を抱えたまま仕事に苦戦していることです。
自分自身が問題を抱えている場合は、
その問題をどう解決するかを自身の判断で導くことができます。
他のメンバーが問題を抱えているとするなら、
自分がその問題を汲み取り解決までの糸口を見つけられるような組織体制を作りましょうという話です。
チームの誰かの問題はチーム全体の問題に繋がる
誰かに抱え込んでしまっている問題がある場合、自分がその問題の対処に取り組むべき理由は、それが個人の問題ではなく、チームに影響する問題だからです。
Aさんという個人がある問題を抱えていたとして、その問題をBさんが抱えていないとする確証はありません。
汲み取るまで見えない問題は、Aさんの脳内にあるモヤモヤを言語化しきれないから明確になっていないだけで、そのモヤモヤの本質的な問題は他のメンバーが抱えているものでもあり得るのです。
そうなると、チームメンバーの多数が問題を抱えたまま仕事をしてしまっていることになり、
無駄な悩みへの思考時間が生まれて、結果としてチーム全体の生産性を下げることになります。
だからこそ、チーム全体の成果のために、
個人個人が抱えている問題まで汲み取って改善するよう働きかけることが必要なのです。
チームが抱えている問題を開示する
問題を抱えているメンバー個人に対して、
「今、持っている問題を共有してください」という依頼をしても、
集約できる情報は中途半端になると思っています。
理由は、上記の依頼によって提出される情報は、そのメンバーの言語化能力に託された依頼だからです。
共有するためには、「なんとなくモヤモヤする。」という感覚的な問題は省略されてしまう可能性が高くなります。
「自分の気のせいかもしれない。」と思うと不安になってしまい、問題がはっきりしてこない限り共有ができないのです。
だからこそ、
情報を集約しようとする立場から、チームの課題を開示していくことが必要だと思っています。
チームには今①、②、③という問題あり、それに対しての現時点の対策は○○となっている。
という風にチーム全体で既に把握されている問題を開示すると、
それに関連性がある各個人のモヤモヤの解像度が高くなる可能性があるのです。
チーム全体としての問題と個人のモヤモヤが少しでもリンクすると、
「自分が気になっていたことって間違いではないのか。」と自分の意見を肯定的に見れるようになります。
そこから、抱えている問題を開示することが間違いではなくむしろ必要なことだという解釈につながり、
チーム間での問題共有に発展すると考えています。
チームの誰かの内、意見を持ちつつも発信することが苦手な場合は、
その発信が間違っていないことを理解してもらうような寄り添いが必要なのです。
それでは、
おまけ
私も若くはないみたいです。
会社ではまだ若手なので、先輩からは嫌味かと言われて自分が19歳くらいと常に思い続けていました。
ただ、先日もつ鍋屋さんでご飯を食べた時、
リアルを痛感させられました。
その日は、お腹ペコペコで適当にもつ鍋とからあげとサラダと、チーズはんぺん的なやつと注文して、何も考えずにバクバク食べていました。
もつ自体もこってりしている中、からあげもなんだかんだ4個くらい食べて、締めを食べないのもなんとなくもったいない気がするから、チャンポン麺を頼もうと店のお姉さんを呼んだ瞬間くらいに私はあることに気づいてしまいました。
もう、おなかはいっぱいだ。と。
それでも呼んだからにはもう引き下がれないのが男の性ってもので、
チャンポン麺とおまけに、フライドポテトをなぜか注文。
フライドポテトなんて、お腹空いているときにマックで頼めばいいのに。
そうして、死ぬ思いでテーブルのものをかっさらい。
フライドポテトの尖った先が胃に直接刺さったのかと思うくらい胃が痛くなりました。
とりあえず歩いたらなんとなく胃の中が整う気がするからと、
店を出てから1つ駅を飛ばして、街を歩いていきました。
途中でワイルドスピードの世界に紛れ込んだのかと錯覚するほど、
色んなカラーといかつい形をした高そうな車の大名行列を横目に1時間ほど歩いてました。
それでも全然よくならない。
むしろ、さっきより辛いし横になりたい。痛い。
歩いても回復しないのがわかったので、
多分安静に寝るために最速で帰るように移動し始めました。
そうしてなんとかこらえながら、近くのコンビニで人生で初めてキャベジンを探すためにウロウロしました。
買ったことないからどこにあるのかまじでわからなかったです。
結局、薬のコーナーにあるのかと思いきや栄養ドリンクのとこにひっそりと置かれていることにイラつきながら、家に帰ってキャベジンを効くのかもわからずに胃に放り込みました。
そこから3日くらいは体の重たさを感じるほどの絶望を味わう羽目になりました。
人の体は常に健康が当たり前ではなくて、
いずれ誰にも劣化が訪れることを24歳に身をもって経験することとなりました。
またね。
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