ジロウ閑話休憩…10
秋の大祭も終わり、諭達も発布され、何となくまた普通にもどったという感じもする。先日、懐かしい友人に何十年ぶりに会い、懐かしい話をしていたら、意外なことで共通点があったり、他の友人が、今、どうしているかなど、いろいろ話を聞くこともできた。
そんな中で感じたことは、やはり天理の学校を卒業して、また家でも信仰を続けていても、天理教とは距離を置いて過ごしていたという話が多いように感じた。就職し、一生懸命仕事もし、子育てもがんばり、子供も独立し、今は親の世話や介護など、子育て中心だったのが、親の世話が中心に変わりつつある人もいるようだった。まだ両親そろっているケースもあれば、片親だけのケースもあるようだが、同居していない分、足しげく実家に通っていることもあるようだ。
話をいろいろ聞きながら、それぞれに苦労はあっただろうし、楽しみもあったのだろうと感じた。しかし、皆一様に今の天理教や信仰について、思うところがあるのか、付き合いをやめるのではなく、呼ばれて、都合がつけば行くし、つかず離れずで、やっているという印象を受けた。それはそれで結構なことだとも思うが、何のために信仰しているのかという面でいろいろ考えさせられた。
複数の友人たちに共通していることは「天理教は嫌いじゃない、教えもいいと思う。」しかし、教会とのつながりでは月次祭にも行かない、たまに行った時にお供えを置いてくるくらいだという。親は熱心につないでいても、子供は仕事もあり、結婚もし、信仰からは離れていくという構図のようだ。しかし、子育ても終わり、とっくに人生の折り返し時点を過ぎて、いろいろ振り返って、教会本部に参拝に行ったり、教会にも顔を出すようになったりというケースもあるようだ。
教会制度について、いろいろ調べていて、感じるのだが、一派独立以降、大きな教団になったと言えるが、大きくなればなるほど、本来の信仰とは離れていくようにも思う。先を楽しみに先代は苦労を重ね、子の代になり、けっこうな姿をみせてもらっているとも言えるが、建物や施設が立派になればなるほど、形を整えることが信仰に変わっていっているように感じてならない。人間は目に映るもので判断しがちであるが、敷地を拡げ、教会を普請し、教会自体を大きくすることが神に喜んでもらえる道であり、それが信仰だと歩み続けてきたのではないかとも感じる。しかし、そこに大きな落とし穴があったようにも感じる。
教祖みきは教団など作りたくなかったのかと思う。「講を結べ」とおっしゃったように、現在のような教会制度ではなく、地域地域に根差した信仰者の集まりを結び、教祖が教えたとおりに生きていくことが人間として大事なんだと、千に一つも違うことがないと、「だめの教え」を伝えたのだと思う。それが教祖現身を隠された後、国の弾圧もあり、一派独立という気運も上がり、現在に続く体制が出来上がってきたのかとも思う。
本席伊蔵は教祖に認められた高弟であり、その思いをつないでいたのだと思うが、国家からの厳しい弾圧に初代真柱、松村吉太郎らの意見も聞かざるを得なかったであろうし、結局、一派独立を目指し、現在につながる巨大な教会制度を作り上げてしまったのかとも思う。
既に神は「不要」であり、むしろ伺いを立てるだけ、面倒な存在になったのかもしれない。三原典で神の言葉は説きつくされ、それを元にした真柱を中心とした宗教団体ということになっている。「教会」の元は「講」だと言われるが、私は別物だと考えている。国家からの弾圧もなく、自由に信仰できる今だからこそ、変えていく(本来に戻す)ことが必要な気がしてならない。具体的には「車中八策」で書いた通りである。
これから天理教も含め、宗教団体というのは、どこへ向かっていくのだろうかとも思う。
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