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戦後の「復元」の教理について1

 天理教の歴史的を調べていて芹沢光治良著『死の扉の前で』を読み直す機会があった。既に何度も読み直している本ではあるが、読むたびに新しい発見があるような気がする。この本の登場人物は実名で他の文献でも見かける人ばかりなので驚かされることが多い。特に冒頭から登場する養徳社の岡島善次社長とのやり取りには戦後の天理教を調べる上で、そんなことがあったのかと驚くこと多い。

 この本の登場人物は実在の人が多いが、筆者の年代では祖父の代に当たる人が多く、天理の学校を出た者で本部在籍者の子弟が友人にいれば、「彼のおじいさん」とか、「親戚筋に当たる」とかいうことも多い。そんなこともあってこの本を読んでいると赤裸々に綴られた昭和初期の天理教の様子や内実に接し、長年の疑問が解けたり、やはりそうだったのかと納得することも多い。
 ちょっと紹介したい文があるので引用する。中山善衛三代真柱が慶応大学に在学中の頃の話で、二代真柱と芹沢氏が世田谷で会食している時の話である。

  確かに天理教は一神教です、多神教ではありません。教祖様に降りられた実の神は、宇宙を創り、人間を創り、生物を創り、あらゆるものを創り、これからも創り続ける絶対創造神です。それを人間に理解し易いように、言葉で月日だと説いたり、水、火、風と説いたりしたが、創造神、即ち親神です。日本人に解らせるために、十柱の神の名を挙げてその働きを説いたが、十柱の神様が存在するのではなくて、創造主、親神の働きを一つ一つ挙げて、それに便宜的に神の名をつけたのに過ぎません。敗戦後、日本人はアメリカから食糧といっしょに民主主義をもらって、有頂天になって喜んでいるけど、親神は天保九年(一八三八年)からすでに、教祖を通じて説いているでしょう、世界中の人間はみな一列兄弟だと、それ故、仲よく助け合わなければならない、そしたら自然に、世界は平和になると。人間には上下の区別はない、みな可愛い神の子だと。また人間には男松女松の区別もない、男も女も神の前では同じ人間で差別はないと。それ故、夫婦の間で、どちらが偉いのでもなく、たがいにたてあい助けあって、夫婦揃ってひのきしんのつもりで、家庭を治めれば、家は陽気暮らしができて、幸せに栄えると、説いている。そしてすべての人が平等であり、みな神の可愛い子であるから、人を助ければ、神が喜んで不自由をさせない。食糧がなくて困るようなこともなく、他国から食い残した食糧をもらって喜ぶ必要もない。病まず、飢えず、幸せに百十五歳の寿命をいただいて、陽気にこの世においてもらえるのだ…。

『死の扉の前で』芹沢光治良 P57-P58

 ここまで読んで、どのような感想を持つか。別に違和感なく、概ね現行の教理通りではないかと感じる人がほとんどではないだろうか。第二次大戦以後の戦後生まれの人から平成生まれの人に至るまで、だいたい上記のような教理を習い、概ねそのように理解し、信仰を続けてきたのではないだろうか。問題はここから先の文章であるが、長くなるので続きを読んでいただきたい。
 
(2に続く)

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