戦後の「復元」の教理について1
天理教の歴史的を調べていて芹沢光治良著『死の扉の前で』を読み直す機会があった。既に何度も読み直している本ではあるが、読むたびに新しい発見があるような気がする。この本の登場人物は実名で他の文献でも見かける人ばかりなので驚かされることが多い。特に冒頭から登場する養徳社の岡島善次社長とのやり取りには戦後の天理教を調べる上で、そんなことがあったのかと驚くこと多い。
この本の登場人物は実在の人が多いが、筆者の年代では祖父の代に当たる人が多く、天理の学校を出た者で本部在籍者の子弟が友人にいれば、「彼のおじいさん」とか、「親戚筋に当たる」とかいうことも多い。そんなこともあってこの本を読んでいると赤裸々に綴られた昭和初期の天理教の様子や内実に接し、長年の疑問が解けたり、やはりそうだったのかと納得することも多い。
ちょっと紹介したい文があるので引用する。中山善衛三代真柱が慶応大学に在学中の頃の話で、二代真柱と芹沢氏が世田谷で会食している時の話である。
ここまで読んで、どのような感想を持つか。別に違和感なく、概ね現行の教理通りではないかと感じる人がほとんどではないだろうか。第二次大戦以後の戦後生まれの人から平成生まれの人に至るまで、だいたい上記のような教理を習い、概ねそのように理解し、信仰を続けてきたのではないだろうか。問題はここから先の文章であるが、長くなるので続きを読んでいただきたい。
(2に続く)
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