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「クリエイターの世界は特別な人しか食っていけない世界なんだよ」という親を10年かけて説得した話①

説得したというより結果で納得させたという話かもしれない

小学生時代

僕が「ゲームクリエイターになりたい」と言い始めたのは12年前…小学生の頃でした。実際には卒業文集にこんな文を書きました。

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それで、小学生を卒業するタイミングの居酒屋での卒業パーティみたいなもの(という口実で親の飲み会…?)で親に改めてゲームクリエイターになりたいと伝えたところ確かこんなことを言われました。

1.ゲームクリエイターは大変な職業で一部の人しか食べていけない

2.今から専門学校に入るのは将来の幅を狭めてしまうので一般の学校には行ったほうがいい

正直2は納得できました。専門学校はちょっと面白そうだったので少し悔しかったけれど。ただ1が本当に悔しかったです。「お前は特別でもなんでもなくて、食ってはいけない」と…言ってしまえば才能なんてないって言われているような気分でした。

小学生の頃の僕は既にゲームが大好きで、家では親が遊んでいるドラクエやメタルギアを隣から眺めたり自分ではマリオだったりテイルズだったりを遊んで、友人の家ではマリオパーティで遊んだりスマブラの対戦をしたり、スターフォックスのゲームで対戦したりしました。ゲームによって特別な気持ちになったり、ゲームによって友人の間に普段はない会話が生まれたりして騒ぐのがとても楽しくて、辛いことがあってもゲームという非日常が自分を支えてくれました。自分は大人になったら同じように誰かを支えたいと思いました。(今でもその気持ちは変わっていません。)

中学生時代

小学生以降も親はテレビで似たような話題があると「クリエイターは才能がないと食べていけない世界だ」というざっくりとした話をしてきました。例えば無名のアニメーターだったり漫画家だったりをテレビで取り上げているタイミングで、成功している人ばかりではないのだと力説してきました。特に父はメタルギアが好きだったので「誰もが小島秀夫になれるわけではない」という話を何度もしてきました。

親は親なりの気持ちで、生半可な気持ちで親が「いばらの道」だと考える道へ進まないようにしてくれていたんだと思います。(具体的によく知らなかっただろうし)

だからといって諦めたかというと全くそんなことはありませんでした。僕は僕で具体的に将来の夢を考えた時、一つ一つ問題を攻略していけばいいということに段々と気づいていきました(次回に続く)

#創作にドラマあり

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