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【徒然和菓子譚】その18

今日は菓子司の最後のお話です。森下屋八左衛門(もりしたやはちざえもん)についてお伝えしていきたいと思います。

三代藩主利常公の命により、城下の尾張町にて寛永2年(1625年)に創業し、以後、現在に至るまで396年間、御用菓子司を務め続けています。16世紀後半に金沢近辺の一向衆徒を治めていた亀田大隅(かめだおおすみ)の子孫であり、もともとは武家であったものが菓子司に転身した珍しい事例になります。当然に、苗字帯刀を許され、後に町年寄、銀座役をも務め、いわば町人としての最高位に位置していました。三代利常公の命を受け、小堀遠州郷の意匠により生まれた「長生殿」は今も日本三名菓の随一とされています。さらに一向衆徒の兵糧が菓子に転化したといわれる「千歳鮓」や加賀藩士の紋服の黒梅染(くろめぞめ)を意匠とした「黒羊羹」など、今も金沢を代表する名菓を次々に生み出しました。尚、「森下屋八左衛門」は屋号でもあり、代々の当主が襲名した人名でもあります。明治以降は屋号を「森下森八」、さらには「森八」と改めて現在に至っています。

さて、菓子司のお話はこれでおしまいです。次回からは加賀・金沢の独特なお菓子について一つ一つお伝えしていきたいと思います。ご覧いただきありがとうございました。

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