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【徒然和菓子譚】その21

今回も引き続き加賀・金沢のお菓子のお話です。金花糖と氷室饅頭についてお伝えしたいと思います。

金花糖
立体的に彫られた二枚の合わせ型に熱した砂糖を流し込んで成形し、色とりどりに着色して仕上げる飾り菓子です。主にひな祭りを中心に用いられましたが、単なる女の子の節句という以上の重要な祭行事であったようです。十三代藩主前田斎泰(なりやす)公の時代には金花糖が最も盛んに作られ、文化文政年間に藩主の命により作成された大型の金花糖「にらみ鯛」や「鯉」などの木型が180年以上を経た今日でも森八に保存されています。今でも金沢では雛壇にこの金花糖の献上台や籠盛が飾られるのが当然のようになっており、特に娘の嫁ぎ先に女の子が生まれたら、実家の親は毎年この金花糖の籠盛を持って嫁ぎ先に届けるのがしきたりとなっています。京都にも一部残っているようですが、これだけ盛んにおこなわれているのは全国でも金沢だけと言われています。

氷室饅頭
5代藩主綱紀公の時代、享保年間に片町の生菓子司、道願屋彦兵衛が創案したとされています。
「氷室開き」の行事は旧暦6月1日に行われ、倉谷山から切り出された氷を二重の桐の長持ちに納め、江戸へ急送し、将軍家に献上し賞賛されたと伝えられています。この氷が無事に江戸に到着することを祈願して神前に饅頭を供えたのが始まりとされるが、この時期は麦の収穫期にあたり、また盛夏を迎える節目の日にもあたることから、庶民の間では無病息災を祈って麦饅頭を食する習慣が広まったと言われています。

次回もまだまだ加賀金沢のお菓子の話が続きます。お読みいただきありがとうございました。

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