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良いお店とは。

先週、ついにSUHOをオープンしました!
今いるスタッフには出来るだけ負担はかけたくないというのと、自分が単純に人に頼むのが下手というのも相まり、友人の心強いサポートもあったが最後の方は1人で黙々と作業を進めていった。それもあってか、自分が昔の旅行先で買ったものや家にあった本や装飾なども持ち寄って、かなり私的な空間に仕上がり、大きな店がやっているのではなく、個人がやってるけどクオリティは高く、上品さもカジュアルさも両方ある、良い意味での抜け感があるお店になっていった。
白のタイルを贅沢に使い、クリーンな内装になるので、ケーキ屋さんみたいになってしまうのが嫌で、手書きのものやランダムに並べたディスプレイは「あえて雑多な感じにしたい」という言葉をそういえば何度も口に出していた気がする。
ニューヨークの街角にあるローカルに愛されてるお店、奥にはレストランがあってその手前の入り口にあるコーヒーや生活品、雑貨やグッズを取り扱う小さなお店を少しモデルにしたこともあって、その時に一緒に行ったいつもお世話になっている方に、
「実は、ここ、、あそこの店をイメージしてて、、」と話したところ、
「ああ!!あそこね、確かに!!」と言ってくれた時、自分は心の中でガッツポーズをしたのだった。

NYの街角にある小さなコーヒーショップ

オープンして1週間、家族のサポートや来てくれる友人やスタッフのお陰で、連勤の疲れなんて全く感じられないくらい素晴らしい時間だった。

小さな子供の頃に、良い本やCDに出会い
「これ、めっちゃいいから」
と友だちに教えてあげた、あの記憶や感覚のように、
自分が出会ってきた素晴らしいコーヒーショップのスペシャルティーコーヒーと
ミコト屋が創り出すクラフトなアイスクリームをお客様に教えてあげて、笑顔や反応を見るたびに
「ね、ほら、やっぱりそうでしょ。最高でしょ」
心の中でそう呟く。

小学1年生の時に給食について作文を書く授業で、他の生徒が好きな献立が出て嬉しい!と自分の事を書いていたのに対して、
好きな献立が出て嬉しくて、自分はそれを他の人に伝えたくて喜びながら友達の所へ行った。
という作文を書き、誰かに教えようという気持ちが素晴らしいと先生に評価され、
緊張でドキドキしながら給食中に放送室から全校生徒にその作文を発表したことを思い出す。
後にも先にも人生で表彰されたのはそれだけだったが自分が良いものをみんなに共感して欲しいという気持ちが昔から強かったのかもしれない。

本当は、スケジュールと店舗の大きさもあり、サクッと出すつもりが、かなりの難産になったこのお店は、難産だからこそ愛情が溢れて、今では毎日店に立っていて、あまり他の人には譲りたくないくらいめちゃくちゃ思い入れのある店舗となった。
店内撮影禁止というかなり尖ったルールもあり、知り合いやnoteを読んでくださった方には気を遣わせてしまい、ここって撮影、、、
みたいな空気になり、そんなルールを作っておきながら 
あ、いや大丈夫ですよ!と言ってしまう自分もいて何が正解なのか少し分からなくなってる自分もいる。

自分にとっての気持ちの良い空間とはなにか。
誰かにとって「もの凄い良いお店」というのではなく、「誰にとっても良いお店」なんじゃないか。
このお店を開いてそう感じるようになってきた。

店内撮影を基本的にNGにしたのは、撮る方は良くても撮られているほうは少しキツい思いをしたりするからで、ワンちゃん連れのお客様には注文は中でもオッケーだけど、飲食は中ではNGにするというルールにしたのもワンチャン連れもそうでない方も気軽に入れるお店にしたいから。
偏りや誰かにとっての心地よさが、一方では居心地の悪さになってしまわないようにしたいと思っているのだ。

今日、ミコト屋に朝、顔を出した時に本当に気持ちの良い空間だなと改めて思った。
震災支援のハブ的な存在になったり、若手の農家さんの応援だったりと自分たちだけではなく、誰かにとってを考えた気持ちの良いお店。
自分のお店はまだまだだが、これから来てくれたお客様が「ね、ほら、めっちゃ良いでしょ」
と、大切な誰かに伝えたくなってしまうような
そんな良い店にしていければと思う。

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