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推し活という可能性

推し活とは何か

推し活というのをご存じだろうか。

推し活というのは特定の人物にハマっていて、その人物のために活動していることを指す。推し活動のこと。

ではファン活動かといえばそういうことには一応なる。

でもドラマを見ていて、この俳優にファンになった♪ということはあっても逐一その俳優に関する動向を追うのはなかなかないかもしれない。

直接その人のSNSにコメントしたり、YouTubeにスパチャ入れたり、有料コンテンツやグッズを購入したり、動画からスクショを撮り始めるレベルになればりっぱな推し活だ。

推しというのはもともとは女の子グループのアイドルなどにハマったファンたちがどのメンバーが自分の推しなのかみたいなところから言葉が出てきているらしい。

推しの対象は俳優やアイドルだけでなく、アニメや漫画のキャラクター、アスリート、芸人など幅広い。アスリートだと羽生結弦くんみたいなのはかなり推し活している人も多いだろう。

SNS以前の推し活

私は昭和の人なので、学生時代にインターネットは皆無で過ごした。その頃推しがいなかったかというとそんなことはなく、最初は映画スターかアイドルだったかな。小学生だけど、父親が毎週見ていた日曜洋画劇場のおかげで洋画が大好きになり、スクリーンやロードショーという雑誌を立ち読みしたり、買ってみたりした。大人な本かなと思うけど、それについて話をする同級生はなかなかいなくて、小学6年生のときにはじめて映画について話せる友人が2人できた。ところがその2人は小6のわりには好きな俳優がピーター・フォンダとかアラン・ドロンとかジャック・ニコルソンだっけ?かなり渋好みで、推しが共通していたわけではなかった。

アニメや漫画も好きだったけど、その当時ハマっていた推しについて話ができる友人ができるまでに約10年くらいかかった。とにかく同級生ではまったく自分が好きな推しの話ができる人間がなかなかいなかったのだ。高校のときに漫画の話が少しできる友人がいて日出処の天子の話などしていた。(つまりはBLの話ができるということ)

20代にはじめて推し仲間ができた。その頃活発にコミュニティに参加していて、ほぼ同人誌を作るようなコミュで会報が定期的に送られ、その会報をとおして知り合いが全国のあちこちでできてくるしくみだった。つまりほぼ郵便物をとおしてコミュニケーションであった。そこで知り合った人と頻繁に手紙のやり取りをして、電話で何時間も推しの妄想を話したり、オススメの漫画を郵送で送りあったり、お互いに行き来していた。その勢いでいっしょに本を作り、コミケに参加するみたいな流れが昭和の推し活であった。


そのうちそれぞれ忙しくなったり、結婚や出産という人もいてその活動からは離れていった。

ある日突然推し活が始まる

その後、私自身何かにハマることはあっても、推しの活動までは至ることはなかった。気づくとときどきまわりで発生しているジャニオタや宝塚オタ、韓流スターオタといった人たちがいるようになった。女性もある程度の年齢になってくると何かを埋めるかのように、突然ハマりだす人たちがいる。

推し活はやろうと思って始められるものではない。対象となる相手が必要となる。そして必ず推し活はしなければならないものでもない。むしろ生涯やることのない人のほうが多い。

私の場合、ある日テレビを見ていてすごく歌声に惹かれたその人に出会った。YouTubeでその人の歌を聴き続けた。そこまではただ歌声が好きだったレベル。だんだんその人はどういう人か知りたくなり、普通のしゃべっているほうの動画を見始めた。それが信じられないくらいに可愛くて癒された。

この可愛いはものすごくかわいい小動物や子供をみているのとほぼ同じ。顔がアイドルみたいとか美形というのではなく、すべての言動が幼子のようにピュアで癒されたのだった。

見ているだけで癒された、癒される・・というのはかなり最初のポイントにもなる。推しが存在する世界に入室した状態となっていくのだ。

SNS時代の推し活

どの動画を見ても癒された。そのうちこれはどういうことか?と思い始め、同じように思っている人がものすごくいることに気づき始める。それがSNS時代の推し活の出発点だと思う。推しに関するSNSには必ず誰かのコメントがつく。そのコメントを読むとほぼ自分と同じことを考えている人たちであふれかえっていた。

推しに関するコメントでもっとも多いのが「あざと可愛い」である(笑)

歌の部分とは違う普段の素の状態はそうとうなピュア星人。本業の仕事での推しとゲームやってる推しもまるで別物。それぞれによさがあった。

そして推しのツイッターとインスタアカウント、YouTubeチャンネル2種類をフォローし、しばらくはずっと追っていた。するとコメントしているメンバーはだいたい決まっていた。ジャニーズ系ほどの知名度はまだないから、比較的推しとファンの距離感はかなり近い物であった。

あるとき推し関連の配信でのコメントでは通常、推しとファンがそれぞれ行ったりきたりしそうではあるが、そうではないことに気づく。配信のコメントの中で何人かで会話をしているのだ。推しとではなく、ファン同士が。

で、しかも相手が住んでいる場所とかも知ってたりする。

ん?この人たちみんな知り合い??

ちょっとこのコメントしている人たちのアカウントも気になり、覗いてみたら、推しのための専用アカウントになっている。もしフォローするのなら、私自身のアカウントも専用にしたほうがいいだろうと思い作ってみた。そして次々と芋ずる的にファンをフォローしていった。

たいていのファンには傾向があり、推しのためだけにはじめてツイッターを始めたという人が多いこと、人生で初の推しであることを書いてる人も多い。あとアイコンが推しになっている人も多く、性別も不詳(ほぼ女性だけど)、年齢も職業もわからず(明かしている人もいるけど)、フォローしていくとかなりの割合でDMにメッセージがやってくる。

普通にツイッターやってたらなかなかフォロバのためのあいさつをしてくる人は少ないが、すごい高確率であいさつされる。一人、二人とフォローすると自然と関連の人たちが浮上してくるのがSNSなので後はそのまま増やしていった。

するとどうだろう。彼女たちはみなつながっていて、lineグループのように会話していたのだ。

推しについて何かつぶやけば、通常のツイッターアカウントならスルーされそうな個人的つぶやきなのに、けっこうなペースでいいねが押されてビビった(笑) お互いに共感できるツイートにはすかさずいいねを押して共感しあっているのだ。

疲れた時にこのタグを貼れば誰かが推しを貼ってくれる というタグがあるんだけど(笑)それを貼らずして、「疲れた、○○補給 (推しの名前)したい」とつぶやくだけでも誰かが膨大なスクショで撮られた推しの写真をチョイスして貼り付けてくれるのだ。それを見た他の人はそのつぶやきをしてもないのにその写真に反応していいねを押すというしくみ(笑)

絵がすごくうまい人も何人かいて、天才的に推しのすごくいい部分をアートや漫画で表現されてて、それにも感動したりする。毎週のように通信を発行してその週の推し情報をまとめたものを公開している人もいるし、推しをかわいく描いた絵を配布する人もいる。現代の推し活動は特別サークル作ったりせずにすぐにつながれて、いっしょに盛り上がれるシステムになっていたのだ。すでにりっぱなコミュニティ化としていた。

私はそこでかなりたくさんの有益な情報をいただけた。

そこで教えてもらった中でこんな本がある。

この本でYouTube動画では再生を少し遅くできる機能があるのは何のためかわからなかったが、スクショを撮るためだったのだというくだりで笑った。私は動画からスクショ撮るのに苦労してたから。そうだったのかー!!(笑)と。

推し活によって生じるもの

私の推し専用のタイムラインではほぼ毎日のように

「推しが笑っていれば、それだけで十分」とか「推しの幸せが私の幸せ」とか「推しがいるから頑張れる」のようなコメントが多い。

先ほどの本では著者は自分にとって推しは「お守り」だと書かれている。

自分のためにはがんばれないけど、推しのためなら全力を尽くせる。そういう生き方もあっていいんじゃないかと、今はそう思っています。

という文があったけど、推しは自分にとっての原動力になっているわけだ。

ツイッターの専用アカウントのタイムラインは推し情報以外はほぼ入ってこない(笑)けど、はしばしでファンの彼女たちの日常はたくさん出てくる。

年齢層もまちまちだが、新学期になって、大学に行くのが憂鬱な人、息子が高校に入学した人、先生をやっている人が新しい仕事についたという人、就職の面接に行った人など日々の大変な日常が出ては、それを推しがいるから頑張れるということをつぶやいている。

中には鬱病であったり、休養中であることも明かしている人もいる。何かあるとお互いに励まし合っている様子も見ることができる。「リスカした」「くびつりじさつしたい」というようなドキっとするようなツイートもまれにあるが、たちまちたくさんの推し仲間がコメントをしている。決して無視はしない。ネットのつながりはもしかしたら表面的なものかもしれないけれど、学校や会社、家族でもない人間関係をもつことは案外大事ではないかなとも思う。同調圧力は何もなく、ただ、みんな推しのことが大好きなだけ。

推し活によって得られるのはまぎれもなく、居場所だと思う。

どんな自分でもここにいて、いっしょに推しについて語れる場なのだ。

それだけでも彼女たちの精神は安定していくのではないだろうか。推しがいるというだけでも実は幸福度はあがっているのだが、病んでいた精神も安定し、人とつながることも可能になってくる。中にはもちろんいろんな人がいるのでみんな自分と合う人ばかりではないとは思うものの、今のところ変な人は全然みあたらず、(もともと推しがカリスマタイプではなく、ものすごく謙虚な人間なのでファンもおとなしめな人が多い傾向ではある) いい距離感ではないかなと思う。

SNS時代の推し活は比較的仲間を見つけやすく、つながりやすいというのはいいことだ。

自分の好きというものが強みになる

推しはいわば自分が好きなものがつまっている相手である。

自分の好きなことをやっていったらいいと言われる時代で自分が何が好きなのかさえもよくわからない人もいる。推しを応援したり、推しのための活動をすることは実際誰かのためになっている。(もちろん推しのためだけど、同じようにつながる人たちのためにもなる)

自分にも好きなものがあるというだけでも生きている実感が持てるかもしれない。実際は人生の困難なことは自分ひとりで対処していくしかない。そんな中でも支えとなるものがあるとそれは違ってくる。

居場所があるだけで、乗り切ることもできるのだ。

推しがいる人で漫画や絵を描く人は推しについて描かずにはいられないのだが、とてつもない才能を放つ人をたまにみる。でも推しがあっての表現なのでそれは強みにやはりなっているんだろうと思う。

そのような意味では推し活はただのオタクだろうという認識をもたれやすいけど、人との関係が持ちにくい困難な時代を生きていくには必要な部分も秘めているともいえる。

ところで、私の推し活はノードリターンあたりからおきている。私のノードは金星ともともとコンジャクションである。昭和の推し活をしていたのは私の金星の年齢域のころを考えると、ノードは人との縁やつながりと関わるので、それが金星的な活動、つまり趣味や同じ価値観、大好きなものをとおしてというのはかなり当てはまる。

自分がハマる活動は金星、推し活仲間とつながっていくのはノードと考えて検証してみるのも面白いかもしれない。


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