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Wandering Destiny...

スウェン・ヘディン著、福田宏年訳『さまよえる湖(上・下)』(岩波文庫、1990年)

#STAYHOME が叫ばれる今こそ、読書は最高のエンターテインメントとなり、人間らしさを保つためのよすがになるはず。

今失われている「人間らしさ」とは何でしょうか。自分なりに考えてみましたが、一つには「自由に動き回ること」が人間らしさなのではないかと思います。

そこで、今回から数回にわたって、「お家で旅を」というシリーズで家にいながらでもどこか旅をしている気分になることができるような、そんな本をご紹介したいと思います。

今回ご紹介するのは、スウェーデンの探検家、ヘディンが1933年から1935年まで、当時の国民政府の委託を受けて行った中央アジアの探検を記録した『さまよえる湖』です。

確かちゅう学校の頃だったと思いますが、国語の教科書に載っていました。タイトルのカッコよさや、湖が移動するという考えられない自然現象のインパクトもあって、印象に残っていた本です。

中央アジア奥地の湖、ロプ=ノール。その位置は古来から史料によってまちまちであり、謎に包まれていました。ヘディンはこの湖が実は砂漠の中を渡り鳥のように南北に移動するのではないかと考え、その説を立証すべく東トルキスタンの踏査に出ます。

本書の舞台となっている時代は日中戦争の直前の時代であり、新疆はまだ辛亥革命の混乱の余波の中にありました。ヘディン一行が行く道は人跡未踏。砂漠を流れる川をポプラの樹をくりぬいたカヌーで下っていきます。葦原をかきわけ、時に浅瀬では必死にカヌーを引っ張り、ロプ=ノールを目指すヘディン一行。

テントの入り口からは、まばらなポプラやタマリスクや繁みの間に川が見えたが、やがてその川面にも黄昏と闇が降りてきた。ほどなく、かまどの中ではぱちぱちと火が燃えはじめ、お茶の湯が沸く。(中略)ふたたび神の造り給うた自由な自然の中に出て、夜の闇の中で燃え輝く焚火を眺めるのは、本当に気持ちがよかった。(p52.f)

キャンプに行きたくなりましたね。さて、こんなのんびりしたことも書いていますが、実際にはヘディン一行が踏査している地域は、まだまだ治安がいいとはお世辞にも言い難く、怪しげな盗賊が跋扈していますし、新疆省の辺防督弁である盛世才の治世はまだ不安定な状況でした。ヘディンも盛世才から余計な横やりが入らないか不安な気持ちで調査行を続けていたようです。探検かなど、下手をするとスパイと疑われて監禁されてしまいかねないわけですから。

ロプ=ノールを目指す途中、有名な楼蘭遺跡を発掘しており、遺骨を始めいくつかの遺物も持ち帰っています。

そんな大冒険の果てに、とうとうヘディンはロプ=ノールに再会します。20世紀の初頭に自らが踏査したときとは、川の流れが変わり、ロプ=ノールもまた動いていたのです。

ヘディンの筆致は割と端正でそれほど踏査行の大変さが伝わってきません。パーティーのメンバーを違うところに派遣して、あとで落ち合うという離れ業もやっているのですが、地図もろくにないのに落ち合えなかったらどうするんだろうかと読んでいるほうははらはらします。案の定、予定の時間までに戻ってこなかったメンバーがいて、もうこれ以上は待てないというときにそのメンバーが帰ってくるという、できすぎたエピソードもあるのですが、そこでも特にヘディンの筆は盛り上がることなく、淡々と事実を記していきます。この冷静さこそが探検家というものでしょうか。

道なき道をゆき、枯れそうな川を下り、その果てにヘディンがたどり着いた、「さまよえる湖」の正体。それは、乾燥しやすく高低差が極度に少ない砂漠地帯を流れる川が生み出す自然現象でした。川は容易に浅くなり、僅かな高低差で簡単に川筋を変えてしまうのです。そして、やがて湖に水が流入しなくなり、新たな川筋の果てには水がたまって湖になる。どうやらこのようなサイクルが、比較的(地球の時間に比べてという意味ですが)短い周期で起こっていたのです。

きっと、人が足を踏み入れたことのない場所で、誰にも知られずこのような自然の不思議な現象が、今もどこかで起きているのでしょう。人間に知られるかどうかなど、全く意に介することなく、粛々と、着々と。

自然の不思議を痛感する話ですが、それもヘディンのような探検家あってこそ、初めて我々の目に触れるわけです。

人間の中には一定数冒険を好む人がいます。一つ所にはとどまることができず、絶えず知らない世界を見て見ないと気が済まないというタイプの人です。いろいろな探検家の本を読んでいると、それは人間の中に組み込まれた遺伝子のなせる業なのかとも思います。人間がアフリカで生まれ、この世界上に散らばっていくために冒険を駆動する遺伝子は必ずや必要なものだったはずです。

移動したい、まだ見ぬ世界を見たいという欲望。それが人間らしさ、いや、生物の根本的な欲望の一つなのかもしれません。

動くことできない今でも、僕たちの想像力だけは無限です。家にいながらでも、どんな大冒険も味わえる。そんなことを改めて感じさせてくれる一冊でした。



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