見出し画像

"しっかりもの"って苦しいもの

こちらは、いしかわゆきさんの書籍【書く習慣】における「1ヶ月書くチャレンジ」の実践になります。

今日から復職に向けて通勤訓練がスタート👟
1時間だけ本社で読書をしたけど、読んでる内容が全然頭に入ってこなくて微妙だった...でも久しぶりに同期と話せたのは嬉しかった!

さあさあ、
DAY5のテーマは『昔はどんな子どもだったのか』
小・中学校ぐらいを思い出して振り返ってみる!

良くも悪くも"しっかりもの"

確か、小学校の中学年ごろから先生や友達の親から、"しっかりもの"と言われることが多くなった。
それは、学級委員長をしたり、勉強やスポーツがそれなりにできたり、落ち着きがあったりといった、目に見えるものがそんなイメージを付けたのだと思う。
「"しっかりもの"=ポジティブなこと」と捉えるのが普通だと思うし、自分もそう思っていた。でも、"しっかりもの"でいなきゃと意気込んだ結果、自分らしさがわからなくなったという思い出。

特に学校にいるときは、しっかりものセンサーが強く、
・冷静でいなきゃ
・真面目でいなきゃ
・勉強もスポーツもできていなきゃ
・誰とでも仲良くしなきゃ
・迷惑かけないようにしなきゃ ・・・
と、周りとの衝突怒られることを避けるような行動を取るようになっていた。どれも悪いことではないけれど、自分の本当の感情にブレーキをかける癖がついて、勝手に我慢する側に回っている自分が嫌になったり、苦しかった。
極端な話、やんちゃで素直で自由気ままに生きるような子が羨ましかった。

子供の頃に身につけたものは大人になってもある程度できるのと同様に、今でもしっかりものセンサーは良くも悪くも働いてしまう。

ただ、あの頃とは違って、そのセンサーすべてに「YES!」の旗を上げるのではなく、ときには「NO!」の旗をあげて、自分の感情をストレートに押し出す判断が今の自分ならできるはず。そうやってうまく自分自身を操っていきたいと思う!

もしあの頃のイメージが"やんちゃもの"だったら、今の自分はどうなっていたんだろう。ふとそんなことを思ったテーマでした!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?