見出し画像

「今日のダーリン」と暮らす。

糸井重里さんが毎日書くエッセイのようなもの「今日のダーリン」というものがある。noteの読者ならきっと読んでいる人も多いと思うが、糸井さんが主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載されているものだ。

人生の難しくて大切なことが、わかりやすくひらかれた言葉で綴られていている。仕事のことや生活のこと、そういった自分の人生(自分の物語)に力を与えてくれる不思議なエッセイだ。ぼくは、日光を浴びるのと同じように、毎日その言葉たちを浴びている。そんか言葉たちを、毎日浴びていたら、なんでこんなにわかりやすい言葉で綴れるのか知りたくなって。

週に一回ほど、気に入ったお話(今日のダーリン)を、自分でタイピングしながら書き写すようになった。そうお経を書き写すように。言ってみれば「写経」のようなものだ。ことばの使い方に直に触れられから、文章を書く練習にもなるし、なによりも心が整う。noteの更新の力にもなっていると思う。文章を書く練習にも「ダーリン写経」オススメです。

そんな「今日のダーリン」。先週は3月16日がとくに素敵だった。写経だけだと物足らないので。300字ほどに要約してみる。糸井さんになったつもりで。ゆっくりおしゃべりするように。

文章というのは、書く人がつくっている「道」。その道を、読む人が歩く。書く人は、読む人とは別の時間、別の場所にいるから、読む人が、どんなふうに歩いてくれるかわからない。だから想像しながら道をつくっているはず。

ほんとうは、読んでくれる人が目の前にいて、手をつないでいっしょに歩けたらいいけど、それはできないんだ。なにかを書く人と、それを読む人は、別々にいるから。だから、たがいが見えないまま出会う。

それとはちがうことだが、人と人が会って、同じ場所で、いっしょに道をつくることもできる。それは、人と人が会っておしゃべりすること。それってとても贅沢なことなんだ。

2021年3月16日の「今日のダーリン」より要約
(※本家様のお言葉から自分なりに短くまとめています)

人が文章を書くということの尊さと、コロナ渦の今、人と人が会って話すということの貴重さ。一度に、大切なことを2つも教えてもらいました。ありがたや。今後も、ぼくの「ダーリン写経」は続くのだ。

週に一回の更新を日常に。来週もまたこの場所(記事の更新)がつくれますように。そして互いが見えないまま、またあなたと出会えますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?