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刹那的な幸福の後にある「アフターサン」と、4年前のディズニーでの絶望

楽しい時間って刹那的に過去になる。
写真に残した瞬間に思い出として記録されるように。

4年前、当時好きだった人を含めた何人かでディズニーシーに行った。数年ぶりに会う彼女は最後に見た時よりも大人になっていて、何の成長もしていない自分と彼女を比べてそれだけで居たたまれくなった。

夜になってから乗ったセンターオブジアースで火山口からパークの絶景が見渡される瞬間、明日から始まる平坦な日常が頭をよぎり1人静かに絶望した。明日からは彼女に会えなくなり、今日の幸福を引きずりながら日々を重ねていくのだろう、と。

25歳になった今では当時を思い返すことは無くなった。だが、生活の中で擦り減った自分を慰めるように過去に救いを求めてしまう瞬間はどうしたってある。無敵だった高校生の時の動画とか、世間知らずだった大学生の時の写真とか、コロナ禍の絶望を楽しんでいた社会人1.2年目のLINEのトーク履歴とか。大人になった今でも、現実から逃げたくて縋ってしまう思い出がある。

「アフターサン」のソフィにとってのそれは、11歳の時に父親とふたりで過ごした夏休みだった。

※以下『アフターサン』のネタバレを含みます

浮世離れした至福のバカンスなのに、死ぬ前に全部投げ打った猶予ある天国のような雰囲気が常に漂っていた。

劇中で流れていたビデオの映像は、父親のカラムと同じ年齢になった31歳のソフィが見返していたものだと最後の最後に判明する。二人がバカンス以外の現実をどう過ごしていたかは明らかにならないけど、大人になったソフィが11歳の夏に縋る動機は痛いほど分かった。恐らく彼女は20年間ずっと、誕生日にはこの映像を見返していたのだろう。

僅かにしか描写が無いが、31歳のソフィは女性のパートナーと1人の乳幼児と共に生活しているようだった。ここに至るまでに様々な人生の盛衰があったのだろうが、そこを全く写さずに過去の楽園を思い出しているソフィという一点からこの映画の意図が理解できる。

ホテルのバーで乱暴に酒をあおるティーンエージャーや容赦なくボールが飛び交う成人同士の水球、人気の無いプールで同世代の子どもと交わしたキスから「早く大人になりたい子どもが過ごすひと夏の成長記録」…かと思いきや、「子どもの頃に父親と過ごした刹那的な幸福を、大人になった彼女が思い返している」というあまりにも現実的で身に覚えのある絶望についての物語だった。

ソフィがカラムに「昨日、男の子とキスをした」と自白するシーンは彼女の緊張を想像させるが、カラムは叱るわけでも驚嘆するわけでもなく、あっけらかんとそれを容認する。「子どもだから」と下に見るでもなく、対等な存在として彼女を扱う彼は父親としては不適切なのかもしれないが、彼女にとっては唯一の存在として居てくれたのだろう。20歳で子どもを授かったカラムは親として未熟でありながらも、ソフィに注いでいる純朴な愛情に心打たれる。ビデオカメラを止めさせた後で彼女に語りかける11歳当時の記憶とか、誕生日を祝ってくれたソフィに贈る最後のポストカードとか。

31歳当時のカラムがどのような日常を抱えていたのかは不明瞭なままだ。なぜ右手に包帯を巻いていたのか。なぜ母親と離婚したのか。なぜ故郷を離れたのか。他人が捨てた吸い殻を拾う場面から、天国のようなバカンスで過ごす中にも彼が生きている現実が想起させられる。

空港でソフィを見送った後、カラムがビデオカメラの電源を落とし回想の中のクラブフロアに戻っていくラストは、彼にとっての絶頂の思い出に頼りながら再び現実を生きていくことを表した何とも残酷なラストだと思う。劇中で時折挟まれるナイトクラブの不穏な瞬きが、最後の最後でカラムが縋っていた記憶だということが分かる。

ソフィにとっては11歳のバカンス、カラムにとっては若かりし日のナイトクラブ。二人の楽園と日常が明確に表れた直後に、表題「アフターサン」とエンドクレジットが流れる。私たちを、平凡な現実へと引き戻すように。


ポロライドカメラの場面が特に印象に残っている。今過ごしているバカンスが過去の思い出としてじんわりと現像されることで、彼女の楽園が終わる予感がした。


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