見出し画像

最後の時間を穏やかに

昨日は母の病院に面会に行った。
その5日くらい前に担当医から緊急呼び出しがあって、食事量と点滴等体力的な限界について話があり、これからどう治療していくか判断をして欲しいという打診を受けた。

1日考えて、母の意識がはっきりしていた時には胃瘻を拒否していたのと、元外科医だというおじいちゃん先生から、あまり胃瘻はおすすめしないということで、経口でできるだけ食事と投薬をしようということになった。その日にリハビリの人からも連絡があり、「生野菜のサラダが食べたいと言っているので持ってきてください。私も同席するので」ということだったので昨日の面会に至った。丸井で1000円もする彩り豊かな高級サラダを持って行った。病院の食事はあまり美味しくないだろうし、生野菜なんで出さないだろうからね。

人の三大欲求の「食欲・性欲・睡眠欲」を奪ってしまうことはあまりよくないという話もしていたので。

父の時の担当医もそうだったのだが、やはり人の命に関わる時になるとお医者さんも自分の意見をはっきりと家族にぶつけてくれんだなと感じます。

実は、あまりにメンタルが落ちていた時にもダメ元で職場の精神科の産業医にカウンセリングを申し込んだのだが、その時も命に対する考え方とかいろいろと言われたのだけど。

この1年、自分の知人も含めて医療に関わる人に話を聞くことを積極的にしていた。医療が発達して体に穴開けて生命を維持することは可能になったが、果たしてそれが本当にいいことなのかということをよく考えるようになった。

いやこれが30代から50代くらいの人だったらまた話は違うのだが、穏やかに最後を迎えるには、あまり積極的な治療はしない方がいいのかなというのが私の出した結論だ。こうゆう局面を迎えた家族の大方はそう感じるんじゃないだろうかと思うけど、日本の法制度がまだ追いついてないようにも感じている。

面会の話に戻るが、結局、母はあまり食事が進まないということで、再度医者から点滴をもう少し続けますと連絡がありすでに点滴をしていた。持って行ったサラダも1口・2口程度しか食べれなかった。

それでも、意識はまだなんとなくあるし、会話も多少はできるので父の時と比べればまだマシだなと思っている。父の時も感じたのだが、人の生命力ってすごいのでまだもう少し時間はあるんじゃないかなと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?