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小説[山門国の女王伝]        第4話 第3章 ヒナコとスサオ

 9歳を少し過ぎたヒナコは祖母のアヤカと二人で王城内の前国王スイ爺の館近くの竪穴住居に住んでいた。スイ爺の館は小じんまりした高床住居で部屋が明るいので、昼間は自由に出入りさせてもらっていて、食事も毎日いっしょだった。近くの煮炊きの堀立(柱の)小屋から炊事人が運んでくるのだ。
 1年前から毎日、午前中はスイ爺の住居で半分遊びながら論語を学んでいた。仲良しの一つ年上の祭祀太臣の娘アキナ(明菜)もいっしょだった。祭祀大臣も同じ日向の一族なのである。
 先生はスイ爺が伽耶国(狗奴韓国)から探してきた和語と漢語ができる通訳のキム(金・泰希)女史である。
若いキム先生が変な筑紫弁を使うと二人は転げまわって笑うのであった。
 「キム先生、筑紫の方言わかるとね?」
 「伽耶国にいる和人はほとんど筑紫人じゃけん、筑紫弁が和語じゃんね」
「ほら、ふてり(二人)とも次を始めちょるばい」
それを聞いてまた二人は笑い転げてなかなか先に進めない。
それでも、聡明な二人はこの一年間で数えきれないほどの「子曰く、―――」をおぼえてしまった。
「子曰く、学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして憂みず、亦君子ならずや」¹。
「子曰く、巧言令色、鮮なし仁」。
「子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり」。
「子曰く、君子は周して比せず。小人は比して周せず」。
「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」。
これらの金言の意味もすべて理解しているのである。

 午後になってもうすぐ8歳になるスサオが遊びに来た。スサオは王宮近くの住居で母のイナミと住んでいる。スサオは王城からひとりで外に出ることは禁じられていたが、王城内なら自由に遊びまわることができた。
「ヒナ姉(ねえ)、一緒に遊ぼー」
「何ばして遊ぶとねー」
「物見櫓(やぐら)に登りたかー」
「えっ?櫓?ばってん、櫓は危なかよ」
「ちゃんとしたはしごんあるけん大丈夫たい。櫓ん上から見る景色はすごかげなよ!」
スサオは、目を輝かせて言った。彼は好奇心旺盛で冒険好きな性格で、いつも無鉄砲であった。ヒナコは、どちらかと言えば慎重でおとなしい性格で、スサオの無茶な提案にはよく困らされていた。

「ばってん……櫓は高かろうが?落ちたらどげんすっとね?」
「大丈夫たい!俺(おり)が守ってやるけん!」
「そげん言ったっちゃ……」

ヒナコは不安そうに言ったが、スサオは聞く耳を持たなかった。彼はヒナコの手を引いて、櫓(やぐら)に向かって走り出した。

「来んね!ヒナ姉!楽しかばい!」
「ちょっと待たんね!スサオ!」

ヒナコは仕方なくスサオについて行った。二人は櫓に着くと、はしごを見上げた。
背丈の10倍以上もありそうだ。ヒナコは何度もやめたいと言ったが、スサオは聞かなかった。
仕方なくヒナコが先に登ることになった。
ヒナコは苦しそうだった。やっとはしごを登りきると、大人が3人ほど立てる、手すりのついた物見台に着いた。

「わぁ!すごか!」

スサオは感嘆の声を上げた。王城や王国の風景が一望できた。北の方は広々とした筑後平野の緑の田んぼと清水川とその先の矢部川も見晴らせた。ヒナコもつられて景色に見とれた。
「きれいかね……」
「だろー、俺はここが大好きばい」
「あっ!初めてじゃなかったつね?」
「えっへっへ」
西の方は畑や竹林の向こうに有明海と多良岳や島原半島が見渡せる。東から南の方には佐野山と筑肥山地の山並みが連なっている。

ヒナコはスサオの顔を見た。彼は真剣な表情で景色を眺めていた。

「スサオ……」
「ん?どげんしたつ?」
「……ありがとね。ここに連れてきてくれて」
「え?なんで?」
スサオは不思議そうに言った。ヒナコは笑って言った。
「ばってん(だって)、こげん素敵な景色ば見せてくれたんじゃもん」
「あっ、ヒナ、下ば見てみんね。王城ば上から見っとは初めてじゃなかね」
「そうたい!うっかりしとったばい!」

 王城は広い高台に築かれいて、周囲には先のとがった棒を埋め込んだ柵と内側に土塁がめぐらされていたが壕(ほり)はなかった。門(入口)は2か所で、門番の兵士の詰め所がある。王城の中央部に王宮と祭殿がならんでいて、奥に自分たち(国王とその一族)の住居が集まっていた。
中央南側には集会所とその奥に大臣たちの住居が集まっていた。中央北側は兵站用の高床倉庫と、生活用の食料や濁酒などを貯蔵する竪穴の屋根倉がずらりとならんでいた。
 また、北側の柵近くまでは蚕小屋、製糸、機織り、染色の小屋や勾玉などの手工業の小屋がずらりと並んでいた。南側には、池があって、その周りには田んぼや桑畑などがあった。
ヒナコとスサオは指さしながら、「あれがスイ爺の館じゃん」などとはしゃいでいたが、いつの間にか櫓の周りに人が集まってきていて、騒がしくなっていた。
 「こら、誰ね!子供はそこに登ったらでけんばい!危なかぞ!」
 「堪忍(かんにん)してくれんね!すぐ下りるけん!」スサオが叫ぶと、王子と姫だと知れて騒ぎはさらに大きくなった。
 「御子(おこ)たちね!ちょっと待っとって!莚(むしろ)ば取ってくるけん!じっとしとかんね!」
しばらくして、はしごの下に6人の大人が筵の端を引っ張って広げると、
 「よかよ、一人ずつゆっくり降りてこんね!」と叫んだ。
 スサオはさっさと下りてきて、筵に飛び込んでみんなの笑いを誘ったが、ヒナコは怖くて足は震えるし、下から貫頭衣の中のお尻を見られているんじゃないかと思うと、恥ずかしくて顔を真っ赤にしながらそろりそろりと下りてきた。
 無事下りきると拍手が起こったが、二人はお礼もそこそこに逃げ帰ってきた。  

 キム先生は通訳の仕事もしており、都合で学習が休みになったある日、ヒナコが一人でスイ爺の館に遊びにいくと、スイ爺が「上がって、ちょっと待っとらんね」と言って、奥の部屋から四角い箱を大事そうに持ってきた。 箱から取り出し、赤い布をひらくと水晶珠(だま)が現れた。
ヒナコはびっくりして、「うわぁ、きれいかね!」と言いながら、見とれていた。
 「こりは爺が国王になった時、お祝いに怡土国の前の国王に貰うた物(もん)たい。水晶ち言うて爺の名前ん由来ちなったつたい。こん国の宝物(たからもん)ばい」
 ヒナコはスイ爺の顔を見つめて次の言葉を待った。
「こりは中国の占いの道具の一つで、身ば清め、心ば無にしてじっとながむっと、ご神託の現るっとげなよ。」
 「へえー、鹿ん骨ん占いより面白かごたるね」
 「そうじゃろね。ばってん水晶占いばかリじゃなく、占いをすんなら難しか易(えき)ん本ば習わんといけんとよ」
 ヒナコは目を輝かせて、「勉強する、したかぁ」と叫んだ。
「そんなら、論語は卒業して、易経ば教えてもらうごつキム先生に頼のんでみゅうかね」
 「アキ姉も一緒でよかつね」
 「よか、よか」

櫓の一件のほとぼりが冷めた頃、スサオがまたヒナコを誘いに来た。
「ヒナ姉、一緒に遊ぼ-」
「今度は何ばしてあそぶとね」
「城んなか(内)ばっかりじゃ面白なかけん外に出かけてみんね」
「外に出るとは止められとっとじゃなかね?」
「一人じゃでけんばってん、二人ならよかつよ」
「ちょっと待って、スイ爺に聞いてくるけん」
「山さん入るなら、干し柿と鉈(なた)ば持って行けち言うて袋に入れて渡してくれたよ。この鉈は那国の前国王からいただいた物(もん)げな。自分の足ば切らんように用心せろげな」
 止められはしないかと心配していたスサオは、大喜びで布袋を受け取り、
「俺(おり)が道ば作ってやるけん、ついてこんね。さあ、行くばい」と張り切って裏門に向かった。
二人は王城の裏手にある山道を歩き始めた。山道は緑豊かで、いろんな鳥の声が聞こえてきた。ヒナコは道べりの花や木の実に興味を示したが、スサオは「もっとよかところんあるよ」と言って先に進んでいった。
やがて、二人は山間(やまあい)の谷川に出た。浅瀬には清らかな水が流れており、沢蟹(がね)がうようよ這い回っていた。何時だったか、スイ爺が砕いた沢蟹の塩漬けを食べていたことを思い出したスサオは干し柿と鉈をヒナコに預けて、布袋に沢蟹を捕まえて入れていった。
「スイ爺のお土産にするんだ」と面白いほどたくさん獲れた。
 ヒナコは水辺で石を拾ったり、冷たい水に足を浸けて干し柿をかじりながらスサオの蟹獲りをながめていた。袋がいっぱいになったので、蟹獲りをやめて、谷川沿いに歩き続けたが、そのうち道が分からなくなってしまった。       ヒナコは不安になって泣きそうになったが、弟は元気に「大丈夫だよ。帰れるよ」と言って励ました。
 二人が手をつないで歩いていると、突然、がさがさという音がして、少し離れた茂みから大きな猪(いのしし)があらわれた。二人は恐怖に震えて尻餅をついてしまったが、猪は二人の方に向かって突進してきた。絶対絶命のその時、2本の矢が飛んできて猪の首と胴に命中して、猪はばったり倒れた。  二人が驚いて顔を上げると、そこには王城の兵士が2人立っていた。兵士は二人を見て安堵した様子で、「姫様、王子様、無事で良かったばい。一緒に帰りまっしょ。ちょっと待ちょってくんさい」と言った。

弓を置いて、スサオから鉈を借りて、二人は藪を分け入って、木の棒と蔦を採ってきた。大猪の足を木の棒に括(くく)りつけて、二人で担ぐと「さあ帰ろうかね」と言って谷川を下っていった。
王城に無事に帰って兵士に礼を言うと、兵士の一人が前国王に頼まれていたことを明かした。
二人はスイ爺のところにいって、鉈を返し、お土産の沢蟹を渡してお礼を言った。
スイ爺は「沢蟹は大好物たい。これで飲む酒はうまかもんね。山は面白かったね?また出かける時は爺に言うてから行くとばい」と笑いながら言った。
ヒナコはその日から山に出かけることはなかったが、スサオとの冒険は忘れられない思い出となった。

友達のアキナは10歳になったので、日向渓谷(ダムができる前の日向神峡)の高取山の祭殿に預けられることになった。
山の中腹の祭殿は日向の一族や近隣諸国の王族や大臣の姫たちが巫女修行をする道場で、一緒に寝泊まりして修行に明け暮れるのだ。ヒナコもあと1年したら預けられることになっている。
 スイ爺の館ではヒナコ一人だけでキム先生から易経を習い始めた。本はスイ爺が若い時に前怡土国王から水晶と一緒にもらったものだが、何冊も積まれていた。
 キム先生は「ヒナちゃんにはちぃっと難しかかもしれんばってん、あたいも初めてで難しかとよ。あたいも頑張って勉強したけんね」と言ってから、「易経を読む前にざぁっと説明するね。まず、世の中や宇宙の動きというか、自然の決り(法則)を知らんと占いは出来んとよ。 易経によると、陰と陽という変化する二つの気があって、すべての物(万物)が生まれたり消えてしまう(生成消滅)といった変化はこの二つの気によって起こるとよ。陽と陰は、それぞれいろんなものに分けられるとたい。
例えば、光と闇、明と暗、剛と柔、火と水、夏と冬、昼と夜、動物と植物、男と女など。これらはけんか(相反)しながらも、一方がなければもう一方も存在できんとよ。、世の中(宇宙)のあらゆる物(森羅万象)は、陽と陰の気によってどうにでも(消長盛衰)なって、陽と陰の二つの気が仲良くなって(調和して)初めて良くなる(自然の秩序が保たれる)とよ。
易経は人々がいろんなことの動き(物事の変化)を予測するために使われるとよ。」

「今の説明でわかったね?」
ヒナコは目を輝かせながら言った。「わかったばい。インとヨウは女と男じゃね!」
「解り過ぎ!」と言って二人は大笑いした。

 「さあ、今日から少しずつ易経の本を読んでいこうね。易占いの「易経」を見る前に、ヒナちゃんは1年間論語を習ってきたから、孔子さまの作とも言われている「易経翼伝」の方から読んでいくよ。孔子さまはおじいちゃんになってから易経が大好きになったそうよ。こちらの本は本文を補足して、易の理論を分かり易く説明しとるとよ。」
と言いながら、「繋辞伝(上巻)」の本を取り出して開いた。
 キム先生は「この上巻は八卦(はっか)と六十四卦の起源と意義について書いてあるとよ。あたしが漢文を指しながら和語で読むから、ヒナちゃんは論語の時と同じように、暗唱してね。あんまり分らんでも、後で易経を読んだらわかるとたい。でも、難しか所はすぐ訊いてよかよ」と言って第1章から読み始めた。

「天は尊(たか)く地は卑(ひく)くして、乾(けん)坤(こん)定まる。」
ヒナコ「乾坤って?」
キム先生「易の言葉で天と地のことだけど後でもっと詳しい説明が出てくるよ」
「卑(ひ)高(こう)もって陳(つら)なりて、貴賤位(くらい)す。」
「動静常有り、剛柔断(さだ)まる。」
「方は類をもって聚(あつ)まり、物は羣(ぐん、)をもって分れて、吉凶生ず。」
「天に在りては象(かたち)を成し、地に在りては形を成して、変化見(あら)わる」
「象(かたち)って?」
「天の象(かたち)は日、月、星で、地の形は山川草木たい」

「是の故に剛柔相い摩(ま)し(ふれあい)、八卦相い盪(うご)く」
「八卦とは?」
「これも易占いの用語で乾坤など八つの掛の言葉があるとたい。」

この調子で読み続けて、第一章を終わると、
キム先生「第一章はこれでおしまい。ばってん、ちょっと難しかったので、明日は易占いについて説明するね」
  ヒナコ「わかった。頑張るばい」
 
 
 翌日はキム先生が「今日は外で教えるね」と言って、用意してきた、たくさんの竹を削った短い棒を土の上に広げた。どれもみな同じ形で、竹の表面が一本棒の「陽」で、裏側が中央部を削って溝を付けた二本棒の「陰」になっている。
 キム先生は細い竹の棒で地面に漢字を書き、陰陽の棒(爻(コウ))をきれいに並べてから、
「この爻ば上、中、下の3本組合わすっと、8種類の違う組合わせが出来っとよ。これが八卦(け)たい。」
「わかった。」
「☰乾(けん)(天)、☱兌(だ)(沢(たく))、☲離(り)(火)、☳震(しん)(雷)、☴巽(そん)(風)、☵坎(かん)(水)、☶艮(ごん)(山)、
☷坤(こん)(地)の八卦にはそれぞれ違った意味があっとたい。乾と坤は習ったろうが。」

「天と地じゃったね。」
「そうたい。他の卦の意味も後で本を見ながら詳しく教えるね。」

 【参考】

キム先生が考案した竹製の爻

 
「次にこの八卦を二つ重ねて6層の爻にすると、64種類の卦が出来るとよ。これが易占いの卦で、この易経上伝、下伝で番号順にその意味を説明しとっとよ。」といって爻の棒を並べて見せた。

 
 【参考】
 ☷☷2.坤為地、☶(上)☷(下)23.山地剥、☵☷8.水地比、☴☷20.風地観、
☳☷16.雷地豫、☲☷35.火地晋、☱☷45.沢地萃、☰☷12.天地否、
☷☶15.地山謙、☶☶52.艮(ごん)為山、☵☶39.水山蹇(けん)、
☴☶53.風山漸(ぜん)、☳☶62.雷山小過、☲☶56.火山旅、☱☶31.沢山咸、☰☶33.天山遯、☷☵7.地水師、☶☵4.山水蒙、☵☵29.坎為水、
☴☵59.風水渙、☳☵40.雷水解、☲☵64.火水未(び)済、☱☵47.沢水困、
☰☵6.天水訟、☷☴、46.地風升、☶☴18.山風蠱(こ)、☵☴48.水風井(せい)、☴☴57.巽(そん)為風、☳☴32.雷風恒☲☴50.火風鼎(てい)、☱☴28.沢風大過、☰☴44.天風姤(こう)、☷☳24.地雷復、☶☳27.山雷頤(い)、
☵☳3.水雷屯(ちゅん)、☴☳42.風雷益、☳☳51.震為雷、
☲☳21.火雷噬嗑(ごう)、☱☳17.沢雷随、☰☳25.天雷无妄、
☷☲36.地火明夷、☶☲22.山火賁(ひ)、☵☲63.水火既済、☴☲37.風火家人、
☳☲55.雷火豊、☲☲30.離為火、☱☲49.沢火革、☰☲13.天火同人、
☷☱19.地沢臨、☶☱41.山沢損、☵☱60.水沢節、☴☱61.風沢中孚(ふ)、☳☱54.雷沢帰妹、☲☱38.火沢睽(けい)☱☱58.兌(だ)為沢、☰☱10.天沢履、☷☰11.地天泰、☶☰26.山天大畜、☵☰5.水天需、☴☰9.風天小畜、☳☰34.雷天大壮、☲☰14.火天大有、☱☰43.沢天夬、☰☰1.乾為天

 「六十四卦の意味は易経の本の「卦辞」で少しずつ覚えていくたい。それと、六爻は下から初爻・二爻・三爻・四爻・五爻・上爻と云ってそれぞれ意味があり、その一つを反転させた場合の変化も同時に「爻辞」として書かれているとよ。
易占いでは筮(ぜい)竹(竹ひご)を使って本卦と之(し)卦を決めるとばってん、方法はそんなに難しゅうなかけん、また竹ひごを作って持ってくるたい。」
 「わー、楽しみ!」

 このようにして、易経(上経、下経)と繋辞伝(上伝、下伝)を1年近くかけて習い、易占術と共に帝王学ともいえる聖人の心得を幼心に植え付けていったのである。

【参考】
繋辞上伝第七章
 子曰く、易は其れ至れるかな。夫れ易は、聖人の徳を崇(たか)くし業を広むる所以なり。知は崇く礼は卑(ひく)し。崇きは天に効(なら)い、卑きは地に法(のっと)る。天地位を設けて、易その中に行なわる。性を成し存すべきを存するは、道義の門なり。

同第十一章
 子曰く、それ易は何する者ぞ。それ易は物を開き務めを成し、天下の道を冒(おお)う。かくのごときのみなるものなり。この故に聖人はもって天下の志に通じ、もって天下の業を定め、もって天下の疑いを断ず。
ここをもって天の道を明らかにして、民の故を察し、ここに神物を興してもって民用に前(さき)だつ。聖人はこれをもって斉戒し、もってその徳を神明にするか。

 (この章の読み下し文は「易経を学ぼう(plala.or.jp/kigaku)」による。)

 (第5話) 第4章 ヒナコの巫女修行 に続く



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