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お金たちの声に耳を傾けてみると

普段、私たちは「お金さえあれば大丈夫だ」と思っています。

しかし災害や疫病のような危機が訪れた時、急にスーパーやコンビニからモノが消えたり、値段が跳ね上がったりすることがあります。

そうすると、いくらお金を持っていてもモノが買えなくなったりします。

昨年の今頃、町中からマスクが消えて値段が高騰していたことを、皆さんも覚えておられると思います。

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こういった事態に直面すると、お金に価値があるのは「モノやサービスと交換できるから」だったのだと実感します。

本当にありがたいのは、モノやサービスの方だったのだと。

そうして、そういったモノの生産・物流・販売に携わっている方々こそが、ありがたかったのだと。

でもお金が絡むことで、そのありがたさが見えなくなり、お金さえ払えば何でも買えるのが当たり前だと思ってしまいます。


誰かの誕生日や記念日に、プレゼントを贈った経験はありますでしょうか。

プレゼントを贈ったとき、「あぁ、これ本当に欲しかったものなんだよ。ありがとう」と言ってもらえると、何より嬉しく感じるものです。

私たちが働く時も同じです。

自分がしたことが「本当に誰かの役に立った時」、私たちはとても嬉しく感じるものです。

でもお金が絡むことで、その喜びを忘れ、お金のために働くのが当たり前だと思ってしまいます。


買う時 「モノやサービスを提供してくれて、ありがとう」
働く時 「自分が働いたものを必要としてくれて、ありがとう」

これが本来の姿なのに、お金を中心にして考えてしまうと、

買う時 「これだけお金出したから、モノを得られるのが当たり前だ」
働く時 「これだけ働いたんだから、お金を得られるのが当たり前だ」

になってしまう。


これは決して、お金が悪いからではありません。

お金も自分の扱われ方に、かなり不本意な思いをしているのではないでしょうか。

「え?マスクが買えなくなった?だから言ったじゃないですか。私たち(お金)の力はそんなものですよ。」
「モノやサービスがあるからこそ、私たちは力を与えてもらっているのです。」
「そんなに崇め奉らないでください。あなたたち人間を幸せにするのは、私たちではありません。あなたたち自身ですよ。」
「あなたたち人間は、モノやサービスを生み出せる素晴らしい力を持っているではないですか。その力で皆で幸せになれるではありませんか。」
「私たちはあくまでその仲介人です。それこそが私たちの幸せです。」

そんなお金たちの声が、聞こえてはこないでしょうか。


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