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「0.1秒」の記憶

先日もありがたいことに
ご質問を頂いた。

Q.
「競泳は0.1秒や0.01秒で
勝負が決まるようですが、
選手の皆さんは
0.1秒や0.01秒での勝った、負けたは
その瞬間わかるのですか?」

A.
0.1秒は
タッチの瞬間、
なんとなくわかることがある。

しかし、
0.01秒は全くわからない。

ただ、
そんな「0.1秒」という、
一瞬のトップスイマー達の間で
色々な物語りが起きていることは
メディアでは
あまり語られてはいない。


そこで
今回のブログでは、
「私の記憶に残る0.1秒の水泳話」を一つ
ご紹介させて頂く。


①オリンピア林享選手との出会い

大学入学直前の3月は、
大学の水泳部と合流して練習をする。

私の場合、
高校卒業した後、
直ぐに大学の水泳部と合流した。

合流は
シンガポールでの合宿だった。

そのことについては
過去のこちらのブログを…

他校も合流していたため
日本代表選手や
全国表彰台レベルの選手たちが
たくさんいた。

そのとき、
一際目立っていたのが、
1996年アトランタオリンピック
平泳ぎの銀メダリスト
林享(はやしあきら)選手だった。

林選手は
覚えていないだろうが
同じ大学水泳部でもない
新一年の私にも笑顔で接してくれた。

不安で一杯だった私にとって
とても嬉しい出来事だった。

② 林享選手の「0.1秒」

そんな林享選手は、
1992年のバロセロナオリンピックでは
3位の選手と0.1秒差で4位。
惜しくも表彰台を逃してしまった。


しかし、
このレースを見た北島康介選手が
「オリンピックを目指す!」と
決めたと言われるほど、
熱いレースだった。

そして、
2000年シドニーオリンピックの選考会では
100m平泳ぎで
当時高校3年だった北島康介選手に
林選手は0.1秒差で負けてしまい
2位になってしまった。

このレースを見て
私は本当に号泣した。

このときの映像は
未だ私の脳裏にしっかりと焼きついている。

負けても尚、
人に感動を与える林選手に
多くのスイマーがエールを送った。


③私の目に映った北島康介選手の金メダル

その後、
北島康介選手が
林選手からタスキを引き継ぎ
世界一になった。

この時も、
本当に鳥肌が立ったのを覚えている。

私にとっては、
林選手から繋がる物語だったので、
本当に感慨深かった…。


皆さんの記憶に残る
レースや選手などはなんですか?

もしあったら
是非コメントやLINEで教えて下さい☺️

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