![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135617877/rectangle_large_type_2_6de069b178392ca7618340582ab8f7d6.png?width=800)
長嶋茂雄さんと古橋廣之進さんの意外な関係性
スターというのは、
みんなの期待に応える存在。
でもスーパースターの条件は、
その期待を超えること。
そう名言を残した長嶋茂雄さんは
実は水泳界の著名人、
古橋廣之進さんと関係がある人物です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135619415/picture_pc_42135301b4e5eaf2ebd51fac48f00d0d.png)
1949年、
ロサンゼルスでの
水泳大会(全米水泳選手権)初日、
1500メートル自由形予選に出場した
橋爪四郎選手は、
2位以下のアメリカ勢に、
なんと150メートルの差をつけて、
それまでの世界記録を20秒以上も短縮し
18分35秒という仰天記録でゴールしました。
この頃、
第二次世界大戦に負けた日本は
アメリカの占領下にあり
「ジャップ」と蔑まれていた時代。
そんな時に開かれた全米選手権。
そして続く、
古橋廣之進選手は、
さらに橋爪選手を超える記録を出したのです。
あまりの速さに
記者席がざわめき始めたといいます。
「どうなってるんだ!?ジャップは!!」
古橋選手は、
またもや世界記録を更新。
全米騒然の18分19秒。
ゴールした古橋選手は、
外国人に囲まれて口々に
「グレートスイマー」
「ザ・フライングフィッシュ・オブ・フジヤマ」
…と称えられました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135619490/picture_pc_e242aab3c02d4fbe1229fec7e7ea9de0.png)
日本人が
「ジャップ」から「ジャパニーズ」に
変わったのはこの瞬間だと
言われています。
日本が戦争に負け、
暮らしも貧しく、
プライドも失いかけていた時代でした。
しかし、
このニュースが日本中で話題になり、
街では「バンザイ!バンザイ!」と
涙を流して喜ぶ人もいました。
「スポーツってこんなにも
人を喜ばすことができるんだ。」
当時中学2年生だった
長嶋少年の記憶には、
この時の感動が刻まれました。
「いつか自分も野球で、日本中を元気にしたい」
そう決めたそうです。
「バッター4番、長嶋。
悠々バッターボックスに入ります。
構えました!
第一珠は…カーブボールです。
第二球…長嶋打ちました!
ボールはぐんぐん伸びております!
センターバック、ホームラン!
長嶋見事なホームランです!」
長嶋少年は、練習中そんな実況アナウンスつきのイメージの中で、何度も何度もホームランをかっ飛ばしていたそうです。
私は
この話が大好きです。
スポーツは
人々を元気にすることが出来る
…と、日々信じています。
宜しければサポートお願い致します!頂いたサポートは、教材、勉強費用に使わせて頂き、より良い記事を書かせて頂きます。