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情報を伝えるお仕事と、品質。

世の中、通訳と呼ばれる仕事がありますよね。言語間音声通訳はメジャーですが、文字に直すお仕事もあります。今回は、要約筆記とよばれる文字通訳について、ふと考えたお話。

1.通訳とは。

障害もなく、同言語を扱う人だとして、会話が成立している状況下では、Aさんの発した言葉をBさんが聞いて、解釈する構図が成り立ちます。

しかし、言語が違うと、これが成り立たなくなります。そこで、通訳者が行う「通訳行為」が発生します。

言語間通訳では、常識や文化、言い回しなど「そのままでは置き換えられない・表現できない」事もあるので、この通訳が「直訳」と「意訳」を使い分けながら、伝えます。

このあたり、定義を含めて考えるといいのですが、例えば、中村さんの論文にある通訳定義によると

(1)通訳の定義:翻訳でなく「解釈」通訳とは、異なる言語間において、話者(speaker)が表現する内容を理解し、その内容が発せられた元の言語(source language)からそれを伝える対象となる他言語(target language)へと転換し、口頭で伝達する行為をいう。《[通訳手法と通訳業の特質/中村艶子]より引用》

とのこと。「異なる言語間」で、「口頭で伝える行為」がポイント。例えば、日本語⇒英語の場合はこれが成り立つわけですね。

また、

「通訳」は英語では“translation”ではなく、“interpretation”であるが、それはこのプロセスがsource language から単にtarget languageへと言語を転換するだけでなく、その言語背景にある文化的意味合いや発話者の意図などを理解して、内容を「解釈」し伝達することを意味するからであろう。《[通訳手法と通訳業の特質/中村艶子]より引用》

という点もあり、トランスレータが直訳だとしたら、インタプリタは意訳、と読み替えてもいいのかもしれません。

2.では、筆記通訳は?

日本の福祉の世界には、「要約筆記」というものや「手話通訳」というものが存在します。

これは、国の施策(意思疎通支援)によって市町で実施される対人支援施策。障害者自立支援法における地域生活支援事業ってやつです。基本的人権の尊重や、「合理的配慮」の1つとして注目されている制度です。

手話に関しては「手話言語法」の流れもあり、自治体によっては手話を言語という事を認めている(例えば、富士宮市)ので、「異なる言語間」という条件は成立します。もっとも、手話で話すことは音声かどうかを除けば、実質「口頭」と同等でしょうから、これは通訳と言っていいでしょう。(ろう文化/ろう運動の側面も考慮すれば、「転換時に考慮すべき文化・背景・常識などがある」といえます)

では、筆記はどうなんでしょうね?

音声⇒文字というのは、同じ言語圏で伝達形態(メディア)が異なります。何らかの理由により音声を受け取れない環境・障害にある場合に適用される通訳という点では、実質「口頭」と読み替えて良いと思いますが、通訳条件にある「言語間」と言い切れるか、という点はひっかかります。(今回の定義ではね。

福祉の世界でいう「要約筆記」というのは、内容を解釈し相手が分かるように伝達するところに重きが置かれているようにみえます。

その解釈としては、森住さんの論文にある通訳の解釈に近いのかな。

実際の通訳行為は、話者の言わんとするところ、つまりはメッセージの全体を十分に理解し、話者の意図や聴衆の期待などに沿ってそのメッセージを分析した上で、それを対象言語ならびにその言語文化のルールにのっとって再表現する、という、通訳者が積極的に関わる3段階のステップを経て遂行される。《[通訳者とコミュニケーション/森住史]より引用》

つまり、この通訳定義における「対象言語ならびに言語文化のルールに則って再表現する」を
・対象言語=「書き言葉」
・言語文化=「難聴者の歴史や文化、要約筆記表現」

と解釈すれば、通訳と言えないこともないか。

全要研が出している要約筆記養成テキストによれば、同じ言語圏の別のメディアである「文字」と「音声」は「別の言語」であると定義しています。また、森住さんの論文でいうところの「話者の意図等に沿って分析し再表現する」事を「エッセンスを保った概念の再構築」と定義しています。なので、「要約筆記は通訳である」とのこと。

3.通訳における大切なものとは?

このコミュニケーションとしての通訳では、
・リアルタイム性(同時性)
・正しく意図が伝わるか(等価性)

というのは、大切な視点です。

水野さんの論文によると、等価性の定義は、

等価とは、2つの言語で語彙・文法などを扱う場合に、その意味の同義性(類義牲)を指す。《[近年の司法通訳をめぐる状況と課題/水野かほる]より引用》

とのことなので、書き換えなければ伝わらないものでなければ、同じ言語圏で書き換える必要がないわけです。(要約行為は、この「同義性」を担保できる場合においてのみ適用されるわけです。本来はね。)

要約筆記などの筆記通訳は、正しく意図を伝えるために再構成しているけれど、そこは基本的にその「文化」に関わる部分や、文章構造などを再構成して受け取り相手の障害状況にあわせ正しく伝える仕事をしているわけです。

4.ここでふと考える。

そうなると、こういう構図がなりたつ。

・直訳=文字をそのまま置き換える=音声認識でも可
・意訳=受け取り相手に合わせた対応=人間できめ細かい対応

もっとも、発話者が発する日本語のうち、処理される傾向にある「フィラー」1つとっても、多くの役割がある。視点で分析していたり…)

なので、それすら、うまく推しはかった通訳行為をしないと、実は等価性を確保するのは難しい、という事に気づく。

日本語を「逐次変換による要約」した場合に等価性が成り立つのか?という疑問をもつ知人もいます。

ある人は、単語すら別物に置き換えられてしまった、という通訳現場に出会ったという。この場合、これが意訳なのか?という点をしっかり考えると良い。話者が発した言葉と「同義性」がなければそれは意訳ではなく、誤訳となり、役目を果たしたとは言えないだろう。

通訳者がAさん⇒Bさんへの通訳を仲介していたとしても、話が変わってしまったのであれば、正しい理解は得られない。また、Bさんが理解できるように意訳をするとしても、解釈し理解するのはBさんであるから、その境界をどこにするかはなかなか難しいところなのでしょう。

このあたり、「要約筆記者テキスト」でいうところの「エッセンスを保った概念の再構築」が実現できてない「下手な通訳」のケースなのかもしれませんね。実際にその概念がわかっていれば問題ない、という指導者もいることでしょう。

実際に、そのあたりが難しいからこそ、決まった通訳者を指名することを望む利用者もいますし。

5.どうやって品質管理をするのか?

では筆記通訳の品質をどうやって確保するだろう?

現状は、たとえば文字通研テキストによれば
記録して赤ペンチェックをいれていく」などの練習方法を活用して品質を意識する、という指導をするケースが紹介されています。

実際には、大阪の派遣団体や名古屋の派遣団体では、練習の時に文章品質を徹底的に検証し、対応しているところもあります。最も守秘義務や業界通訳ルールもあり、実際の派遣時データを記録して検証・フィードバックする仕組みを実践するところはないため、現場品質の管理は利用者からのクレームや派遣された人たちの反省に寄るところに依存しているのが現状でしょう。

その反面、派遣制度では「一定のレベルを習得したこと」を試験によって認定しており、要約筆記や手話通訳の業界としては認定団体による試験も行っています。つまり、最低限のレベルは資格によって担保されている、と言えます。

ただし、実際の現場は、特色も専門性も違うし、利用者さんの障害状況も異なります。視野狭窄など、障害を複数持っているケースや、高次脳機能障害や発達障害などにより文章量や提示方法に工夫が必要なケースもあるので、そこからレベルアップしていく必要があります。

市町村では、現任研修などを行い、従事する通訳者のレベルアップもはかっていますが、障害理解などは経験によるところも大きいため、サービスレベルの均一化とレベルアップには苦戦しているケースもあるようです。

6.通訳システムの使いどころとは

歴史的な観点からいけば、昔の音声認識システムはお世辞にも実用的とは言い難かったです。(世代的には、SiriやGoogle音声認識が出てくる前の話。)

なので、人力で文章を打つにも、音声スピードについていくのは難しい。逆にそのスピードで打ち始めたとすると、障害種別や個々人の読み取りスピードによっては読み切れないなどの問題もおきます。(このあたりは個人の状況によります。)

そこで、文章を要約したり、「共有情報」をうまく使うことで情報を適切に伝えよう、というテクニックや共通ルールを用いてきました。

しかし、現在では音声認識が飛躍的に向上し、それらを支えるITシステムやアプリまで出てきました。

つまり、時代の進化によって、その部分をカバーできるようになった。それも「全員が満足する最大公約数(=その場における最下レベル)」を選ばなくてよくなった。これは歓迎すべきことですね。より情報を出せる環境になったということです。

この辺りは「現状、文字がたくさんほしいのに提供してもらえない」という利用者が一定量いるとして、そこに対しての提供レベルを上げていくという意味でも、「人間がやる仕事と機械がやる仕事」をうまくミックスして楽しながら品質をあげるほうがこれからは良いのではないか、と思います。

もっとも、現在では制度によって派遣される部分と、それ以外のケースがあり、個別に業者を呼ぶ場合は割と融通が利くケースもおおいのですが。
(現に音声認識で「出来るだけ文字をだす」という講演会もある。)

だからといって、たとえば「要約筆記が必要ない」とか、「制度は不要」と言うかと言えば、そうではなくて、「使いどころが変わってくる」と言いたいわけです。今まで適用できなかった、もっと専門的で複合的な環境や障害に対応していけば、全体として多くの障害種別・利用者に対応できるようになるはず、ということです。

7.今後にむけて

今後は、少子高齢化が進んで、支援する人は減るが利用する人は増える。そして、より多くの障害種別に対応する事を望まれて行くはずだ。

その場合、リソースは限られているから、機械をうまく使うなど「リソースをうまく回る」手段が必要になります。

もちろん、リソースの活用にあたっては、品質の維持・向上は必須条件。なので、品質をどうやって確保するか?どうやって評価するか?という点では着実にフィードバックができる仕組みが必要で、それが出来なければリソースを最大活用するまえに、「品質が悪いから使わない」と言われて利用衰退してしまう可能性すらあります

そのあたりの仕組みが着実に運用されたうえで、機械をうまく使えばできるのであれば、最大限活用する手を考えていくべきでしょう。

この部分、どういう制度設計にするか、どういう運用をするのか?というのはしっかりと通訳者・利用者がタッグをくんで考えていく必要があります。実際に文字を利用する側も、「どういう環境になってほしいのか?」は声を上げていく必要があるでしょう。

私たちのことを私達抜きに決めないで」という話もあります。そこでいう「私達」というのがどの範囲なのかはしっかり考えないといけませんね。本質的な部分は、「特定の障害種別にある人」というよりも、「世の中のマジョリティが受けうる”普通の事とされている事”が困難な”全員”」…という視点なのでしょう。(もっとも、そのマジョリティすら”言葉を音として聞いてる”だけで話した中身を理解していないケースは多いわけで、「話者の話を理解できるように伝える」という意味での全体最適を考えたら、全員が文字情報を受け取れるほうがいい、という話すらあります。世の中の標準になってしまえばいい、と私は思う…がいろいろ丁寧に煮詰めなきゃいけない問題もあるんだろうけど。)

全文が必要なひとも、要約が必要なひとも含め「文字情報が必要とされている人」なのです。だからこそ、どちらにも対応できる技術や人材、環境、制度をしっかりと世の中に定着していく必要がある、と私はおもいます。

※きっとこんな記事を書くと、読む人によっては いろいろ思うところはあるでしょう。それもこれも1意見なので、実現したい世の中に向けて、すり合わせていけばいいと思います。声を出して丁寧に話さなきゃ変わらないしね。 

要は、「品質管理の方法、考えなきゃね」
   「要約筆記も音声認識も必要だね」
   「要は使いどころだよ」    って話です。

※頂いたコメントを元に続きをかきました。


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