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ラーメンハゲに学ぶいのちの電話 ~もるげんよもやま話~

コミケの原稿と実験に追われている、もるげんです。
限界ぎりぎり……でもないですが、締め切りの方は順調に切羽詰まっています。
今回は以前、pixivに掲載していたFate/Zeroの二次創作小説を改めてまとめなおしたものなので、作業量は極端に多いわけではありませんが、中編小説以上の分量はあるので重いです。
絶賛、進捗は5~7割遅れ。この世に計画通りに進む進捗はない。90対90の法則である。

そんな状況なので、今月のnote更新は今回のみになると思います。
8月からは月2更新、そして小説もカクヨムの方で毎月更新の予定です。頑張ります!

今日は昨日見ていたニュースで、「やっぱこうなるか……」ってニュースがあったのでそれについて話します。

いのちの電話、相談員が足りない

「死にたい」といった相談を受ける電話相談事業、「いのちの電話」の相談員が減っていて困っている、というニュースが流れてきました。

いち精神科医として、非常に憂うべきことなのですが、本音を申し上げれば「なるようになった」と申し上げるほかありません。
と言いますのも、この相談員というのは無償のボランティアで、相談員になるには1年間の受講(しかも有償)が必要。しかも24時間5交代制というハードスケジュールで組まれているわけなのです。
素人でもさすがに「そうなるやろ」というような状況であり、もし自分も誘われたら躊躇してしまいます。

先にお断りしますが、私個人としては本事業はとても大切な事業であり、国なり自治体なりがしっかりお金を払ってやるべきこと、相談員の方々は(かつて会ったことがあるのですが)本当に素晴らしいことなさっており、彼ら彼女らを批判する意図は全くありません
しかし、このシステムは批判されてしかるべき、と思います。

カウンセリングとお金

この事業への「金払え」という至極まっとうな批判はいったん置いて置きまして。
ことカウンセリングとお金というのは切っても切り離せません。
精神分析の祖であるフロイト以降、カウンセリングや精神療法の本を読めば、必ずお金の話が出てきます。
別に守銭奴というわけではないのです。お金の設定はとても重要で、我々は「治療契約」を結び、患者やクライアントからお金をいただき治療を提供するのです。我々は、そのお金をもらうという状況に、責任を持ちます。

そもそも、カウンセリング云々の前に、こういった「人の話を聴く」というのは「聴く」人の時間というリソースを存分に消費するのです。
そしてこの「聴く」というのはかなりの技術を要することなのです(聴くことについては近いうちnoteにします)。
いわんや、「死にたい」などの悩みを有する方々の話を聴くことは、非常に大変なことなのは自明でしょう。

やはり俺たちの芹沢さんは偉大だ

もはや「やりがい搾取」という言葉しか思いつかない状況なのですが、これが日本の精神公衆衛生の実情であり、意識なのです。
この事業に十分にお金を落とさない、という判断をするくらいには、国はこれらの相談事業に対して軽視している、と言って過言ではないでしょう。
ちなみに、他のことでも愚痴りたいことは山のようにありますがね……。

この相談事業は、「いのちの電話」の他にも、NPO法人であるライフリンクが運営する相談サービスもあります。また、最近はチャットなどによる相談なども増え、そういう意味では相談員の負担は軽減しているのではと思います。
しかし、根底にある「ボランティアで話を聴いてくれている方々」を、そして「話を聴く」ことを軽んじている状況があるのは間違いありません。
企業でも「1on1ミーティング」や「コーチング」など、話を聴くことの重要性が叫ばれて久しい今日でありながら、ある意味最も「聴く」ことが必要な人たちに、「聴く」ことを届けられていません。

こういう話を聴くたびに、ラーメン才遊記に出てくる「ラーメンハゲ」こと芹沢達也のセリフを思い出します。

「金を払う」とは仕事に責任を負わせること、「金を貰う」とは仕事に責任を負うことだ。金の介在しない仕事は無責任なものになる。

らーめん才遊記 (8)

繰り返しますが、相談員が決して無責任であることを言いたいわけではありません
これは逆に、「金を貰う」から責任を引き受けることができる、という逆説でもあります。
多くの人にとって、深夜に悩みを聴くことは責任重大なことであります。ボランティアでこれを引き受ける方々は本当に素晴らしいですが、そんなことができるのは一握りです。
この重要な役目を、責任を持つには「金を貰う」必要があると私は思います。
これは巡り巡って、納税者(相談する人)から相談員が「金を貰う」ことであり、広い意味での治療契約が結ばれるわけです。
この仲介者である国が、お金を払わないから無責任な状況になってるなあ、と思うわけであります。

いつでも相談できる国

最終的にはchatGPTなどがいい感じに対応してくれたりして、こういう相談員が少なくても大丈夫な状況が生まれるといいなあ、とも思っています。
また、いつでも相談できるということ自体の治療的意味合いなど、考えることはまだまだあります。

あと、この事業がどういう成り立ちでできているのか、までは追うことができませんでした。国がお金を払えない、何らかの理由があるかもしれませんが、じゃあその何らかの理由を何とかするのが国のお仕事でしょと思うわけです。

いずれにせよ、今日もこのブログを書いているどこかで、相談員さんが頑張っています。
私としては、相談員の皆様方の苦労が適切に報われることを祈っております。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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