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占領軍慰問「特殊芸能人」、人気だった”こども楽団”の映像。


■何かある。臭いがした動画『テレビジョン』。

youtubeで古い教育向け短編映画をアップされているNPO法人科学映像館さんのチャンネル。時々覗かせていただているんだけど。

ちょうどyoutubeを見たら、今日(7/10)アップされた最新動画がドドっと表示されてきた。その中で目に付いたタイトルが『テレビジョン』(1952年制作)。あの皆様のNHKが、TVがまだ普及前だった草創期に児童向け啓発用に作ったフィルムという。

サムネ観たとき、プ〜ンと臭ったんだよね、何かあるって。電送見本の写真があの八千草薫じゃねえか、という話は正味横に置いといて。

■出演していた基地慰問芸人、こども楽団『中川ツルーパーズ』

クリックしたら、のっけから驚いたのなんの!

WW2敗戦で連合軍が日本にやって来た後、兵士たちの娯楽慰問のために日本の芸能人たちがピンからキリまで動員されたと言っていいほど米軍基地サーキットに従事した。多種多様だった芸人の中でも、特にGIたちの人気を集めたのは子供歌手(豆歌手)やこども楽団だったという。

そのこども楽団の中でも、トップクラスの人気を誇った『中川ツルーパーズ(一座)』がこの映画全編に出演していて、楽器演奏から得意のタップダンスまで持ち芸を披露していたのだ。

よく残ってたよな、このフィルム。占領軍慰問のこども芸人の演技を映像として目の当たりに出来るとは思ってもみなかったよ。

青木深教授の著書『めぐりあうものたちの群像』によれば、彼らの父である中川三郎は1933年頃に留学してタップダンスを習得、日本初のタップダンサーとなった人物。戦後は自身の子供たちと『中川ツルーパーズ』一座を組んで主に基地サーキットを回り、ちょうどこの映画の前年に子供オンリーの編成に組み替えたとある。

私の見落としがあるかも知れないが、青木教授の著書2冊には、この映画『テレビジョン』についての言及はなかったと記憶している。

■父上、中川三郎のタップ映像。

先々月だったかベティ稲田のことを調べていた時に、1936年に公開されたという映画が出てきた。

お目当てはベティだったが、共演しているのが中川三郎で二人でタップを披露する。”日本のフレッド・アステア”と讃えられたその父の薫陶を受けた子供らのダンスがこの『テレビジョン』に記録されていたのだ。

レッスンに耐えてよくがんばった! 感動した! おめでとう!

ちなみに、満5歳から叩き始めたというドラマーの三女・中川裕季子氏の姿が見える。裕季子氏はこの映画から2年後、1954年5月7日付『Stars & Stripes紙』に「最高のドラマー」と記事で紹介されたそうだ。(『進駐軍を笑わせろ!』青木深)

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ほーんと、びっくら魂消た、水曜の午後であった。

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