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ブラヴァツキー夫人(神智学)における秘密教義とミトラ教の堕天・帰天神話

近代神智学の創始者であるブラヴァツキー夫人は、キリスト教が堕天使や悪魔として描いた存在は、人間の進化のために人間に受肉した霊的存在であったとし、これが秘教・秘密教義の核心であると考えました。

ブラヴァツキー夫人のこの宇宙・生命進化論と神話解釈のバックボーンとなるのは、イラン系宗教、特にミトラ系宗教の堕天・帰天神話です。

この投稿では、これらに加えシュタイナーによる宇宙・生命進化論と神話解釈について、簡単にまとめて紹介します。


ミトラ系宗教とマズダ教・キリスト教


まず、インド神話とともに、神智学の宇宙・生命進化論のバックボーンになっているイラン系宗教、特にミトラ系諸宗教の神話について、その大枠を紹介します。
これはブラヴァツキー夫人が考える秘密教義の核心に関わります。

ミトラ系宗教というのは、イランの伝統的な信仰の中で主流だった光と友愛、契約の神ミトラ(ミスラ、ミトラス、ミフル、ミール)の信仰の潮流に属する宗教です。
具体的には、ズルワン主義、ミトラス教、マニ教、イスラム教ミトラ派などです。

ズルワン主義は、ミトラ信仰、アナーヒター信仰、マズダ信仰を折衷したアケメネス朝ペルシャの時代の国教(三アフラ教)の核心にあった思想で、無限時間神「ズルワン(ズルヴァーン)」が諸神を統合します。

ミトラス教は、ミトラ信仰がヘレニズム期に秘儀宗教化して、ローマ帝国内でも支持を広げた秘儀宗教です。

マニ教は、ミトラ(生ける霊)を主神とし、ササン朝ペルシャ時代に生まれた改革的宗教で、ヘレニズム・ローマ的な習合的性質、現世否定的グノーシス主義的傾向を持ちました。

イスラム教ミトラ派(ミール派イスラム)は、中東がイスラム教化して以降にイスラム教化したミトラ教です。

これらミトラ系宗教に対して、一般にイランの宗教と認識されているゾロアスター教(マズダ神を主神とするので以下マズダ教と記載)は、東イランから生まれた宗教で、新興の神「アフラ・マズダ(オフル・ミズド)」を主神とする改革的宗教です。

マズダ教とミトラ系宗教は、多くの場合、敵対関係にありました。
また、ユダヤ教やキリスト教は、その終末論などの点でマズダ教に多くを負っており、キリスト教もミトラ系宗教、特にミトラス教と敵対関係にありました。

先に書いたように、ブラヴァツキー夫人は、マズダ教ではなく、ミトラ系宗教の影響を受けています。
当時の欧米では、イラン系宗教の知識は限られていましたが、インド神智学協会には多数のパルシー教徒(インド・ゾロスター教徒)がいて、彼らの中の秘教派から直接、知識を得ることができたのでしょう。

ですが、そのような情報源のなかったルドルフ・シュタイナーが持っていたイラン系宗教の知識は、限られていたでしょう。
そのため、シュタイナーは、イラン系宗教に関しては、マズダ教や、当時知られていた範囲でのマニ教に影響を受けていました。

ミトラス神


ミトラ系神話とマズダ教・キリスト教神話


ミトラ系宗教の神話は、各宗教や時代によって異なりますが、その大枠は次のようなストーリーです。

「至高神」から「善神(天使)」と「悪神(堕天使)」、「原人間」が生まれる。

「悪神」は「至高神」に反逆し、堕天する。

「原人間」が「悪神」に殺され、「光のかけら」となって堕天する。
「光のかけら」を入れて人間が作られたため、人間の意識の深層には、「原人間」に由来する神性(分霊)がある。

人間は悪神に誘惑されて堕落する。
「至高神」が派遣した「救世神」によって、人間は自分の深層の神性(光のかけら)を理解して救われる。

終末には、「救世神」がすべての「光のかけら」を救出する。
そして、「救世神(善神)」は「悪神」をやっつける、もしくは、「悪神」は「善神」になって帰天する。

具体的な神名は、主に、「至高神」はズルワン、「善神」と「救世神」はミトラ、「悪神」はアーリマン(アフリマン、アンラ・マンユ)、「原人間」はアフラ・マズダです。

これに対して、マズダ教(ゾロアスター教)の神話では、至高神がアフラ・マズダであり、悪神アーリマンは帰天することはありません。
また、原人間の精液から人間が作られたとしますが、マズダ教では人間の中に神性があるとしてこれを重視するような秘教的な性質はありません。
また、終末に人間は、死者も復活して不死になりますが、帰天することはありません。

これらのマズダ教神話の特徴は、ほぼキリスト教にも引き継がれます。

上述のように、ミトラ系宗教の神話では、原人間アフラ・マズダ(光のかけら)、悪神アーリマンという2者が堕天し、帰天します。
人間の堕落と帰天も、これにともないます。

実は、アーリマンは、本来はイラン人の民族神であり、二元論的なマズダ教によって悪神化されました。
日本で言えば、国津神の大国主が冥界に追放されて悪神にされたようなものでしょう。

そのためか、ミトラス教やイスラム教ミトラ派は、アーリマンが天使に復帰(帰天)したと修正し、これを秘密教義としました。
後者の神話では、アーリマンがアフラ・マズダと戦ったのは、主神的存在のミトラの命令によるとする点でも興味深いものです。

また、マニ教神話では、原人間が「闇の王(アーリマン)」らに自分(光)を食べさせるのですが、これは、闇(悪)を克服するためにあえて自身を犠牲にしたのだ、という堕天の積極的な意味を語る点で興味深いものです。

また、その後、原人間は「生ける霊(ミトラ)」によって救済され帰天します。
ですが、残った光にかけらは、植物、動物を経て、人間の中に入れられました。
この、植物→動物→人間という順には、進化論につながる観点があります。


ブラヴァツキー夫人


ブラヴァツキー夫人の主張する神智学の教義では、宇宙の生命進化の中で、神的な意識原理が人間の中に受肉して、人間が人間に進化しました。
具体的には、第3根幹人種の時代に、「モナド」が人間に下降したとされます。

「モナド」という言葉は、ピタゴラス派やヴァレンティノス派グノーシス主義に由来しますが、神智学におけるその実態は、ミトラ教系神話の原人間(アフラ・マズダ)に分霊である「光のかけら」です。
インド・ヒンドゥー哲学で言えば、個々の「プルシャ」や「アートマン」になるでしょう。

人間に受肉した「モナド」は「アートマ(霊的意識)」、「ブッディ(霊的知性)」、「マナス(自我・思考)」の3つの階層の存在に分化します。
さらに、「マナス」は、霊的存在を志向したままの「高位マナス(コーザル体)」と、感情や肉体と結びついた「低位マナス(メンタル体)」に分裂しました。

ブラヴァツキー夫人は、清浄なままの「高位マナス」をアフラ・マズダであるとも書いています。
ミトラ教ではアフラ・マズダの分霊(光のかけら)が人間の中に入りますが、マズダ教では少し違います。

そして、霊的存在だった「モナド」が人間の中に入って、その一部が物質性に染まって「低位マナス」になったわけですが、ブラヴァツキー夫人は、このことを「秘密教義」、「秘教」の「秘教」たる部分であると考えました。
そして、この「低位マナス」をアーリマンと解釈しました。

つまり、ブラヴァツキー夫人は、原人間マズダの堕天とアーリマンの堕天を一連のものとして一体的に捉えています。

そして、キリスト教の堕天神話の堕天使や悪魔は、これを誤解して表現したものであると考えました。
そのため、ブラヴァツキー夫人はキリスト教が秘教を理解せずに弾圧するとして、批判的に見ていました。

ブラヴァツキー夫人は、キリスト教の堕天使「ルシファー」や「アザゼル」は、本当は「モナド」であると解釈しました。
また、「サタン」、「サマエル」は、人間の中に入って汚れた「低位マナス」であると。
そして、「高位マナス」と「低位マナス」の葛藤は、「ミカエル」と「サタン」の戦いとして表現されたと。

(神智学)  (ミトラ教)  (キリスト教)
・モナド  :       :ルシファー、アザゼル
・高位マナス:アフラ・マズダ:ミカエル
・低位マナス:アーリマン  :サタン、サマエル

つまり、キリスト教の言う「堕天使」は「堕天」したのではなく、進化のための人間に受肉したのです。
そして、「悪魔」は善神の敵対者ではなく、智恵に目覚めれば叡智的存在としての本来の姿を見せるのです。

先に書いたように、マズダ教は「アーリマン」を悪神化しましたが、ミトラス教やイスラム教ミトラ派は、「アーリマン」が第一天使に復活したことを「秘密教義」としました。
ブラヴァツキー夫人の秘教の理解は、この思想を継承しています。


ルドルフ・シュタイナー


人智学を創始したルドルフ・シュタイナーは、もとは神智学協会のドイツ支部長であり、ブラヴァツキー夫人から多大な影響を受けています。

ですが、シュタイナーは、神智学協会とは違って、キリスト教を重視する立場であり、自身の霊視に基づいて神智学の教義から外れる主張をしました。

先に書いたように、シュタイナーは、ゾロアスター教やマニ教を評価しています。

シュタイナーにとって、「アフラ・マズダ」は「太陽ロゴス」という宇宙的な霊的存在です。
ブラヴァツキー夫人がミトラ教的に理解しているのに対して、シュタイナーはマズダ教的です。

また、シュタイナーは、マニが悪の中に入って悪を克服する(原人間が自分をアーリマンらに食べさせた)と考えたことを評価します。
この点は、ブラヴァツキー夫人の言う意味で、秘教的です。
ですが、シュタイナーの宇宙・生命進化論の中では「モナド」の受肉という見方をしないようです。

また、シュタイナーは、「ルシファー(=デーヴァ)」と「アーリマン(=サタン、阿修羅)」を別な霊的存在と考えます。
この両者は人間の進化にそれぞれ一定の働きかけを行っており、両者のバランスが重要なのですが、バランスがとれない時に、両者は悪的な存在となるのです。

シュタイナーにとって「天使の堕天」は、ルシファーとアーリマンに、それぞれ別に起こった出来事です。

まず、ルシファーの堕天は、ルシファーが、太陽紀から月紀にかけての「天上の戦い」で、「妨害の神々」となった「運動霊」の誘いに乗り、その後、月から分離した太陽の影響に反抗して、進化から取り残されつつ、自由な存在になったことの表現です。

この堕天には、人間に自由意志を与えることになるという肯定的側面もあります。
ルシファーは、その後のレムリア時代に、月から人間の「自我」に働きかけたことで、「アストラル体」が独立し、人間は宇宙の叡智から分離された代わりに、自由意志、個体意識を得たのです。
これが人間の失楽園の神話になりました。

そして、人間が物質界・感覚界との関係において自由でいられるのは、「ルシファー」的な力を通して自分の魂の一部が霊的領域に留まることができるからです。

ちなみに、ルシファーの反抗に自由意志の発生を見るのは、ヤコブ・ベーメやイマニュエル・スウェデンボルグを含め、何人もの先人がいます。

神智学においては、反抗と自由意志のテーマは、レムリア期に人間に受肉することを拒否して自由を得た「アグニシュバッタ(阿修羅)」の行動に相当します。

次に、アーリマンの堕天は、1879年にミカエル達がアーリマン達を地上に投げ落としたことで、これによってミカエルの時代が始まりました。
ですから、当然、これはイラン系神話やキリスト教神話には反映されていません。

ですが、アーリマンはこれを期に、人間の一人一人の中に侵入するようになり、現代のような唯物論が当たり前の時代になりました。
アーリマンの働きには、物質的なものを認識させるという肯定的側面も存在します。

シュタイナーには、ルシファーやアーリマンの帰天という考えはないと思います。
ですが、人智学の用語で言い換えると、魂が「意志魂」と「感覚魂」に分離したけれど、「アストラル体」を「霊我」に変えることで「感覚魂」が「意志魂」に変化・一体化するということになるでしょう。


*タイトル画像は、ブラヴァツキー夫人の著作(機関誌)「ルシファー」の表紙イラストの一部



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