4. ブラジルでの展開(カンドンブレとマクンバ)

2001年に書いた「アフリカン・アメリカンの宗教と音楽」の第4回目です。


ブラジルでは16世紀から19世紀までヨルバ、フォン、アシャンティ、バントゥー系の奴隷が、主にリオ、バイーアのサルバドール、レシーファといった都市に連れてこられた。

ポルトガル人が異文化に比較的寛容で、奴隷の絶対数が多かったこともあって、ブラジルではアフリカの文化が多く残った。

また、逃亡奴隷の共同体であるキロンボも存在し、中には数千人から2万人規模に達するものも存在した。

ブラジルではヨルバ族を「ナゴ」、ヨルバを売った側のフォン族を「ジェジェ」と呼ぶ。

ブラジルのヨルバ系の宗教はカトリックと習合しながら各地で様々に展開し、様々な名で呼ばれている。

最もヨルバのジュジュに近い宗教は、ブラジル・ミュージックの震源地バイーアの「カンドンブレ」だ。

バイーアでは90%の人がカンドンブレに関わっていて、儀式ではヨルバ語が使われている。

一方、リオではヨルバ系の宗教は「マクンバ」と呼ばれている。

また、リオにはヨルバ系の宗教が、西欧の心霊主義やアンゴラ系の宗教、インディオの薬草医術、西洋占星術などが習合した宗教の「ウンバンダ」、そのブラック・マジックの側面の「キンバンダ」も存在する。

また、フォン族系の宗教としては、北東部のサン・ルイスを中心にした「ミナス(カーザ・ダス・ミナス)」がある。

ちなみに、宗教ではないが、本来は格闘技だったが舞踏・音楽としての側面を持つ「カポエイラ」は、アンゴラのバントゥー系の文化だが、ヨルバの宗教も取り入れてきた。

ブラジルでもオリシャ(神々)ごとに対応する迎えの歌、祝詞、リズム、色、シンボル、供えものや、キリスト教の聖人との対応がある。

しかし、オリシャはヨルバでのように特定の氏族の守護神ではなく、特定の教会や個人の守護神になる。

個人の守護神は、本人が選んだり、司祭が選んだりする。

また、ヨルバの神々の名、性質、リズムはブラジルでは一部変化している。

ヨルバでさほど有力でなかった神が有力となることもあった。

至高神オロルンは「オロドゥマレ」、造物神オバタラはキリストと対応して「オシャラ」、湿った大地の女神イエモジャはマリアと対応して海の女神「イエマンジャ」になった。

また、道化神エシュはデヴィルや堕天使ルシファーと対応づけられた。

実際、カンドンブレではどんな儀礼が行なわれているのだろうか。

特定の神のイニシエーション(入信式)の様子は以下のようなものだ。

まず、儀式が行なわれる場所は、その神の色、象徴物で飾られる。

カンドンブレではアフリカでと同様に3種類のドラム(アタバキ)を使い、当の神のリズムを演奏する。

入信者はダンスするうちにトランスに入る。すると、奥の部屋に連れられていく。

次に、他の人達がダンスを始め、順次リズムが変わって、当の神に関係した神々が次々に登場する。

男神は息子、女神は娘を連れてきたりする。

憑霊してトランス状態になる人が続出し、トランスに入った人は頭の被り物と胸の巻き物が、その被り方や巻き方を変えられる。

やがて、入信者もの被り方や巻き方を変えて再登場する。

入信者は回りの人に当の神のアシェ(生命力)を与えながら踊る。

そして、やがて神々は帰ってもらい、みなも平静な状態に戻る。

入信を終えた人はおしゃぶりをくわえたりして、象徴的に赤ん坊をになったりする。

神々が憑霊することをまったく信じない人々が、こういった憑霊の儀礼を見物しても、その迫力とリアリティーには圧倒的な感動を受けるそうだ。

バイーアでは19世紀末から、弾圧に抗してアフリカン・カルチャーを主張し、カンドンブレなどのアフリカ系宗教を路上で展開し、カーニヴァルに参加することを目的にするグループが現われた。

彼らは「ブロコ・アフォシェー」、あるいは「ブロコ・アフロ」と呼ばれる。

中南米の宗教祭事の中では、カトリックの歴に由来する「カーニヴァル」が大きな意味を持っている。

しかし、「カーニヴァル」の本質はキリスト教以前の民俗宗教の新春祭・農耕祭だ。「カーニヴァル」では生命力を喚起するための、日常の秩序を破壊・逆転させる騒乱的な祭事が行なわれる。

1949年にはバイーアの有力ブロコ・アフォシェーの「フィーリョス・ヂ・ガンジー」が創設された。

彼らはヨルバ北部の「イジェシャー」に由来するリズム(川神オシュンのリズムとも言われている)を特徴としていて、カーニヴァルでもカンドンブレで使う楽器だけで演奏している。

74年には最初のブロコ・アフロ、「イレ・アイエ」が創設された。彼らはイジェシャーにサンバのリズムも取り入れた。

一昨年リリースされた『25 Anos』(NATASHA)では現在でも、アフリカ・ルーツの強いパーカッション・オンリーの演奏を貫ぬく彼らのサウンドが聴ける。

ただ、彼らはヨルバ・ルーツではなく、アンゴラ・バンドゥー系のブロコ・アフロだ。

バイーア生まれのMPBアーティスト、ジルベルト・ジルはブロコ・アフロに傾倒し、70年代初頭にはカエターノ・ヴェローゾと共に一時解散危機に陥ったフィーリョス・ヂ・ガンジーを応援した。

また、77年の『Refavela』で、ヨルバ語や、ナイジェリアのジュジュ・ミュージックを取り入れたり、フィーリョス・ヂ・ガンジーやイレ・アイエの応援歌、シャンゴの讃歌を収録している。

同じくバイーア生まれのMPBアーティストであるカエターノ・ヴェローゾも、イレ・アイエの曲でヴォーカルをとったり、彼自身でもイレ・アイエの応援歌を歌っていて、これは最近、DJ SHIMOYAMAがリミックスをリリースした。   

79年には最も有名なブロコ・アフロの「オロドゥン」が創設。その名前は、至高神オロドゥマレ(オロルン)に由来する。

彼らはイジェシャーとサンバ、さらにレゲエもミックスした「サンバ・ヘギ」というリズムを作り出し、90年代に入るとさらにポップな方向に向かった。

80年にはやはりポップなサウンド展開をするブロコ・アフロの「アラ・ケトゥ」が創設された。アラ・ケトゥは、狩りの神オショッシをいだくブロコだ。

90年代にはサンバ・ヘギなどアフリカ色の濃い様々なポップ・サウンドが現われ「アシェー・ミュージック」と呼ばれるようになった。

「アシェー」は先に書いたように、神の力、生命力のことだ。アシェー・ミュージックの奇才、カルリーニョス・ブラウンは、彼の劇場のてっぺんに、鉄神・戦争神のオグンの像を立てている。

一方リオでは、19C末にはサンバが生まれた。その起源ははっきりしないが、バイーアに由来するという説もある。

サンバもやはりスルドというドラム3種類を中心に演奏される。1928年にはカーニヴァルでサンバ・パレードを行なう初の団体「エスコーラ・ヂ・サンバ」が生まれた。

60年代には、ボサノヴァ詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスとバーデン・パウエルがカンドンブレを題材にした名曲達で「アフロ・サンバ」を作った。

また、リオでもバイーアでのブロコ・アフロを受けて、82年以降、神託神から名をとった「オルンミラ」など、ブロコ・アフロが次々と作られた。


いくつか、CDを紹介しよう。

『Pontos De Macumba : Chants Religieux Afro-Breseliens』(IRIS MUSIQUE/ KARDUM)は、リオのマクンバの様々な神々への讃歌などを収録。

『Carnavals Du Bresil : Rio - Recife - Bahia』(PLAYASOUND)は、リオ、バイーア、レシーフェの3ケ所でライヴ・レコーディングされたシンプルでアフリカンなカーニヴァル・サウンド、さらに、カンドンブレやカポエイラのサウンドが聴ける。

ブラジル最高のドラム奏者、LUCIANO PERRONE が最高のパーカッショニスト達を集めて作ったブラジリアン・リズム集『Batucada Fantastica』シリーズも興味深い。

特に第3集ではエスコーラ・ヂ・サンバ、カポエイラ以外にも、オシュンやシャンゴーなどに捧げられたカンドンブレのリズムを収録している。


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