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文化人類学・民俗学・経済人類学

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主に自分が書いたブログから転載、編集した文章です。 伝統文化、異文化には興味がありますが、文化人類学の理論にはまったく興味がありません。
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記事一覧

中沢新一『構造の奥』が語らない純粋贈与

中沢新一の新著『構造の奥』について、それが「純粋贈与」について語らないことへの疑問をテーマとした投稿です。 互酬の原理と純粋贈与 中沢新一の新著『構造の奥』は、構造人類学の可能性をテーマにしています。 それは、レヴィ・ストロースが持っていた原-構造主義を掘り起こし、未来の構造主義につながることを期待するものです。 その核心は、二項関係の変換体系としての「構造」ではなく、その奥にある複雑で動的な原理です。 中沢は、この「構造の奥」を「対称性の原理」と表現しています。

仏教と野生の思考:中沢新一と清水高志の対称的アプローチ

中沢新一は、仏教と、レヴィ・ストロースの言う「野生の思考」、あるいは、「神話論理」とに共通する土台があると主張しています。 また、清水高志は、仏教哲学に、「野生の思考」と同種の思想があると主張しています。 両者は、ともに仏教と「野生の思考」の関係について論じているのですが、両者のアプローチはまったく対称的です。 本稿は、この違いをテーマにします。 一言で言えば、中沢が非言語的な心の働き(無分別智)を重視して、仏教と「神話論理」の違いを主張しているのに対して、清水はそれにつ

狩猟文化の信仰とコスモロジー

「シャーマンと伝統文化の智恵の道」で書いた文章を少し加筆して転載します。 農業や牧畜が発明される以前の後期旧石器時代の現生人類の文化は、狩猟・採集・漁撈文化(以下、狩猟文化)でした。 この文化は、現在まで、一部の地域で生き残っていますし、その宗教的影響は各所に大きく残っています。 このページでは、典型的・原型的な「狩猟文化」のコスモロジーを、「農耕文化」(下記ページ参照)と対比してモデル化します。 狩猟文化は、「遊動」から「定住」へと移行して大きく変化しましたが、両方を

農耕文化の信仰とコスモロジー

「シャーマンと伝統文化の智恵の道」で書いた文章を転載します。 このページでは、新石器時代以降に生まれた農耕文化の宗教的コスモロジーを、下記ページで紹介した狩猟文化のそれと対比してモデル化します。 天の男神と地の女神の聖婚 シャーマンに関して対比すれば、狩猟文化が「脱魂」型の男性シャーマンが中心だったのに対して、農耕文化では「憑依」型の女性シャーマン(霊媒、巫女)が中心となります。 冥界に行くこと、動物の魂を冥界に送ることは、「死」に関わるので男性の仕事であり、一方、現

狩猟文化と農耕文化の思想の違い

「シャーマンと伝統文化の智恵の道」に書いた文章を転載します。 伝統的な狩猟文化は、あるがままの自然の創造性を尊重し、その恩恵を正しく受容しようとする思想を持っています。 あるがままの自然とは、自然(冥界)の贈物としての食料となる動物です。 これは、心の内側においては、潜在意識(冥界)から現れる心の動きの受容として現れます。 この思想は、高等シャーマニズムや、タオイズム、ゾクチェンなどの東洋思想、フォーカシングやプロセス指向心理学のような現代心理学にまで受け継がれていま

洞窟壁画と洞窟儀礼

「シャーマンと伝統文化の智恵の道」に書いた文章を転載します。 後期旧石器時代以降、有名なラスコーやアルタミラの洞窟壁画のように、洞窟に描かれた壁画が世界各地にあって、類似した特徴を持っています。 洞窟壁画には、動物やシャーマンらしき人物の他に、様々な図形、線、手形などが描かれています。 描かれた壁画の意味について定説はありませんが、シャーマニズムとそこで行われた儀式に関係しているのではないかとする説が有力です。 儀式が行われていたとすれば、動物の「増殖儀礼(豊猟儀礼)

伝統文化のコスモロジーが持つ意味

「シャーマンと伝統文化の智恵の道」に書いた文章を転載します。 伝統文化の世界観は、単純に現代の科学的・合理的な見方からすれば、単なる妄想や迷信の類いに過ぎないでしょう。 ですが、伝統文化の中でも、原初的な、狩猟文化の「アニミズム」的な世界観は、人類が数万年を生きた世界観です。 ですから、それは、少なくとも、人間の心の構造を正直に反映した、普遍的な価値を有したものであるはずです。 伝統的世界観が持つ意味の一面を、抽象的になりますが、簡潔に書きます。 見えない世界と無意

ライフサイクルと通過儀礼

「シャーマンと伝統文化の智恵の道」に書いた文章を転載します。 ライフサイクルと通過儀礼 伝統的な文化では、人間(の魂)を大きなライフサイクル(生命循環)の中で考えます。 この世に誕生し、成長して成人し、成熟して長老になり、亡くなってあの世に行き、個性を脱して祖霊(祖神)になり、子孫を見守り、やがて子孫としてこの世に再生する、というサイクルです。 人(の魂)は、このライフサイクルを歩む中で、いくつもの違った身分(人格・神格)を経ていきます。 その身分を変化させる時々に

アボリジニのコスモロジーと高位イニシエーション

「シャーマンと伝統文化の智恵の道」に書いた文章を転載します。 オーストラリアの原住民のアボリジニは、世界でも最も古い文化を残してきた人々の一つです。 アボリジニの社会は、男性も女性も多段階のイニシエーションを備えていて、「ドリーミタイム」と呼ばれる霊的次元に深く同調するように、生涯をかけてその成長を目指します。 アボリジニの文化は人類の原型的な文化ですが、精神的な側面では完成された文化でしょう。 トーテム先祖の創世神話 アボリジニの文化は、トーテミズムの特徴を持って

柳田国男「山人論」、折口信夫「マレビト論」、岡正雄「異人論」の戦い

柳田国男の「山人論」、あるいは、それから転向して唱えた「常民論」と、折口信夫の「マレビト論」、岡正雄の「異人論」、その3者の理論的な争いや関係ついて、霊魂観の違いや、民俗学と民族学と違い、経済人類学・社会人類学などの観点から、簡単にまとめます。 と言っても、とても長い文章となります。 柳田の山人論 柳田国男の民俗学は、平地の農民を「常民」と表現し、その本来的な世界観を「固有信仰」として描くことが特徴とされています。 ですが、彼の研究は、「山人の研究」(1910)以来、日

折口信夫の産霊信仰と鎮魂法

「神秘主義思想史」に書いた文章を少し編集して転載します。 折口信夫は、民俗学、国文学、あるいは、神道学、古代学、芸能史学の学者であり、その総合的で独特な学問は、「折口学」とも表現されました。 彼は柳田国男と並んぶ民俗学の創始者ですが、彼にとってそれは新しい国学であり、彼は最後の国学者でもありました。 また、折口は、釈迢空と号した歌人であり、小説家でもありました。 折口の学問に対する姿勢は独特で、コカインを服用して、古代人の思考方法や世界観を体験的に理解しようとし、直観

折口信夫の「死者の書」と神道の宗教化

「神秘主義思想史」に書いた文章を転載します。 このページでは、折口信夫が唯一完成させた小説「死者の書」と、戦後に主張した神道の宗教化、産霊神の一神教について取り上げます。 それは、折口が考えた、古代と未来をつなぎ、神道、仏教、キリスト教を総合しつつそれらを越える、普遍的な宗教とは何か、という問題です。 死者の書 「死者の書」は、折口が「釈迢空」名義で、完成させた唯一の小説です。 この小説は、1939(昭和14)年に連載され、その4年後に、構成を変えて第二稿として出版

縄文文化と月信仰

「シャーマンと伝統文化の智恵の道」に書いた文章を転載します。 規則的に満ち欠けを繰り返す月は、「再生」、「不死」、「豊穣」、そして、「時」と「秩序」の象徴であり、それを司る神です。 また、女性の月経を支配する、つまり、人間の出産を司る存在です。 そして、潮の干満を支配する、つまり、水の流れを司る存在です。 縄文文化は原地母神という女性原理の能産力、再生力を信仰の中心としていたので、必然的に月信仰を重視していました。 その後の倭国も、海の民(魚撈民)の影響の強い国でし

経済の交換様式と宗教

社会文化の違いやそこに暮らす人間の意識の違いを分析するには、様々な観点があります。 その中でも、「交換様式」の観点からの分析は、最も強力なものであると思います。 「交換様式」の違いは、それに対応した社会形態や文化の違いを生み、意識の違いを生みます。 この投稿では、柄谷行人や中沢新一の説を参考にしながら、「交換様式」と宗教に関わる知見、私見をまとめます。 非常に長く、抽象的な文章になりますが。 経済人類学の3つの交換様式 一般の経済学は、主に市場経済における「商